長野市周辺のスキー場にはシーズン中
多くの修学旅行生たちが訪れスキーやスノーボードを楽しみます。
スノボが流行ったとは言いながらも、今のようにスキー場を訪れる人数が
年々減少する以前は、名だたるスキー場のホテル・旅館のほとんどが
修学旅行の受け入れに消極的だったことを知っています。
そんなものに頼らなくても、400人収容クラスの客室が一般客で満杯になるほど盛況だったからで
顔見知りを理由に“布団部屋”に泊らされたり、民宿が売りのスキー場に少人数で行くと
どこの誰かも知らない人と“相部屋”にさせられた経験も何度かあるのですから
当時の賑わいが想像できるというものです。
真偽のほどを確認したわけではないのですが、修学旅行の場合、当日の引率ばかりでなく
事前の下見の先生方までも飲み食い・宿泊費はタダ
その上、観光バスの運転手と立ち寄るドライブインの関係と同じように
生徒が宿泊先の売店で購入したお土産代の10%以上を
学校にバックマージンとして渡すなどという話も聞いたことがあり
その話しっぷりからはイヤイヤ受け入れている様子がありありだったことを覚えています。
今では修学旅行様々、客数激減に持ち答えられなかった何軒かの
大型ホテル・旅館の経営者は夜逃げなどで姿を消し建物だけが荒れ果てて残っている
まさに“ツワモノどもが夢の跡”の環境の中で、必死で生き延びようと努力している様子は
良かった時代を見ている私などには涙ぐましくさえ感じられてしまうほどです。
こうしてようやく来ていたいただ、主に温かい地方の中・高生には
だいたい2泊3日や3泊4日でスノボ、またはスキーを体験してもらうのですが
これを教える“先生”が不足している話は以前から聞いていました。
ウェアを含めた道具一式はもちろんレンタル、靴を履いて板を装着
歩くことから教えるのですから、スノボ&スキー学校のインストラクター級技術などほとんど不要な
初級まで行かない初歩を教える“先生”を常時抱えておくことなど経費的に出来るはずもなく
必要な時に臨時に確保すればコトは足りてしまうと言うのです。
中でもスノボの人員確保は比較的容易なのに、スキーがなかなか集まらないのだとか。
それはそうで、1990年代に旧式ずん胴スキーの難しさ、いわゆるパラレルの壁(*)で
四苦八苦していた人々は、2000年頃から流行り出したスノボに移行したか
または全くウィンタースポーツから離れてしまったのですから。
*パラレルの壁…2本のスキーを平行にしたまま回るパラレルターンができるようになると
一気に別の世界が広がり、スキーの本当の楽しさを享受することできるのだが
昔のずん胴スキーではこれが難しい技術だったため
ここを超えられずに多くの人がギブアップしたことを例えてこう呼ぶ
その上、こうして一旦スキーを離れた人々が、スノボの片隅で流行り出した
カービングスキーなるものに戻ることは一切、なかったのだそうです。
私など、スノボが流行り出した時はもうスキーは姿を消してしまうのではとさえ思ったものです。
結局、現在のスキーヤーの構成は、流行のスノボではなく最初からカービングスキーを手にした人々と
旧式を続けていてこの新しい板で急速に腕を上げた人々、そして私のように
かつて旧式で“パラレルの壁”を超えていた世代で隠居を機に再度始めて
新たな滑りを手に入れた年寄りたちなど、いずれにしても少数派であることは確かなのです。
自動車板金屋として独立、成功している元社員のK君の友人、30代のボーダーO君を通じて
「もし、できるのなら…」と今回の仕事の「話が回ってきたのは数日前のことでした。
もちろん「ぜひお願いします」と回答したのは
年金をなんとかヤリクリして高いリフト代を捻出している身分にとって
一日数千円も頂けるというお給料の魅力が一番だったことは間違いないのですが
最年長の孫でもまだ小学3年生のため、普段、ほとんど交流のない中高生と交わって
これら世代の若者の息吹を少しでも感じ取りたいと思うからに他なりません。
また、お膝元に住むジジイとしては、今後のスキー人口を担う若者に
その楽しさを知ってもらう上で大切な最初の一歩に関われることに
ちょっとした使命感っぽいものも感じますし…。
早速、来週27日の一日だけではありますが、依頼があり
現在、改めて初心者に基礎を教える現代風の方法を一応、ネットで勉強中です。
何と言っても、ガキの頃、近所の坂道で遊んだ竹スキーから
本格的にヒッコリーなる木製スキーを買ってもらって年に数回スキー場に行き出したのは
もう50年以上も昔のことになってしまっているのですから。