「よろしかったら板とストックは使っていたものを差し上げますので
ぜひ一緒に付き合ってください」とのAさんのお誘いにすぐに乗ったのは
2年前に隠居した直後から、“昔取ったキネヅカ”を
畑が雪に埋もれてすることがなくなる冬場の楽しみにしたいと思っていたからです。
”昔取った”とは言っても、30年ほど前のいわゆるバッジテスト1級に3回
志賀高原一ノ瀬、野沢温泉日影、八方尾根咲花の各ゲレンデで落ちているのですから
正確には“取り損ねた”と言う方が当たっているのかもしれません。
30年も前のことですので定かではありませんが、当時のテストは確か
ウェーデルン・パラレルターン・山開きステップターン・ゲレンデシュプルング・総合滑降の
5種目だったと記憶しています。
普段、よく立ち寄っていた今は廃業したNスポーツのSさんから
「そんなSAJのお膝元でなく新潟県のスキー場なら受かっていたはずだよ」などという
嘘とも本当ともつかない言葉で慰めてもらい、またそれ以上に
なぜ見れたのか経緯は忘れましたが、たまたま野沢温泉での点数を知ることができ
総合滑降のみが70点で合格していたことが
その後もスキーを続ける原動力になったことは確かでした。
ただし数年後、サラリーマンを辞めて独立開業した忙しさと
スノボが流行り出しスキーは消え去るものとの思いこみから
危険だから止めたオートバイ、金がかかるから中断したゴルフと並んで
スキーからもすっかり遠ざかってしまうことになりました。
一方、Aさんからお誘いを受けた理由は、Aさんが一人でスキー場に通っていたある日
駐車場をさ迷っているところを救助、病院に緊急搬送され
もしかしたらひどい転倒に因るものかもしれない記憶喪失と診断されて以降
奥さんから一人で行くことを厳禁され、同行してくれる仲間を探していたからです。
それまで女房の友人であるAさんの奥さんとの面識はあっても
旦那さんのAさんは見かけただけで特に話したこともなかったのですから
こうした両者が出会ったのもスキーの神様のお引き合わせというものです。
毎回Aさんのクルマに便乗させてもらうにしても、当初は昼飯までおごりだったのですが
さすがにそれは割り勘にしてもらうようにしました。
私にとっては、同行するだけで数年前にSAJテクニカル級を取得したAさんから
マンツーマン指導が受けられるわけで、2シーズン目にして
「もしかしたら1級に合格するかも」とAさんに言われるレベルにまで
今風の滑りのカービングを身に付けることが出来てしまったのですから
それはそれは有り難いことで、正に“渡りに舟”
今シーズンもすでに志賀、戸隠の2回、同行していますので
昨年同様、多分10回は無料の個人レッスンを受けられることになるのですから。