埼玉県の〇〇中学校はお越しの2年生だけで総勢はなんと370人以上
レッスン班の数も40を超える大口のお客様です。
そのうちの4分の3は初心者
私は今回もこの“スキーを履くのが初めて”の男子7人を担当しました。
よませ温泉は小丸山、竜王のトイ面に位置し、頭に「北志賀高原」が付くスキー場の一つです。
記憶では昔は夜間瀬と書く単独のスキー場だったはずですが
現在は同じ高社山の斜面にあるよませ・高井富士・やまびこの丘・木島平の
4つのゲレンデが一つに繋がっています。
また、かつて“スキー専門雑誌の顔”のお一人だった海和プロが経営する
ホテル&スキースクールがあることを我々世代でご存じの方も多いことと思いますが
そこでの臨時コーチが今回のお仕事です。
多分、ご本人は私の顔を覚えていないでしょうが
クルマ屋を営んでいた頃、デリカワゴン4WDを買っていただいたことがあります。
初日午後:快晴、2日目:小雪、3日目午前:雪
(前回とまったく同じ天気のパターンでした)
北志賀一帯は標高が低いとは言えやはり20日の“大寒”の直前だけあって
特に最終日、女性コーチ達は「寒い、寒い」を繰り返していました。
前回のレッスンでは最終日に生徒の誘いに乗ってしまい
初めて行った上部リフトの途中のちょっと急斜面でギブアップした2人の対処に困り
コーチ仲間のOさんに一人をレスキューしてもらうという恥ずかしい経験をしましたので
今後この過ちは2度と起こさないと堅く心に誓い、それは守ることができました。
ただ、どうしても1人は含まれてしまう他の生徒達についていけない子供の対処法には
やはり今回も悩まされてしまいました。
統括責任者のKチーフが巡回の際、あまりに私がそのW君に掛かりっきりなため
2日目午後からは1日目に体調不良等で欠席した3人の特別班に編入してくださったので
他の生徒のプルークボーゲンの遅れは残り時間でなんとか取り戻せましたが
その主たる原因が運動神経にある場合、限られた同じ時間内で同じレベルにまで持って行くには
ベテランコーチに寄るマンツーマン的指導はとても有効に感じました。
こうした一人二人のために班の残りの生徒たちの待ち時間が長くなってしまい
初心者段階では特に大切な雪の上を滑る感覚に慣れることに影響が出てしまうからです。
結局、最終日に3人は元の班に戻ることが出来たのに
W君だけはKチーフのマンツーマン指導をもってしてもボーゲン(ターン)までは至らず
“補助なし”ファーレン(直滑降)も不完全なままで時間切れに…。
今後の参考にしたいため、Kチーフが行うレッスンを遠目で出来る限り観察した範囲では
コーチがバックボーゲンをして両手またはストックで下から支えたり
スキーのトップが開くのを手で防いだり、私はまだ試していませんが
先端が開かないようにする補助具を装着したりする以外の“補助”の方法は
見かけませんでしたので、これにはちょっと安心しました。
この補助の仕方は私自身も仲間のOさんから直前に教えてもらっていた方法で
W君に対してもずっとこれを主体に行っていましたので
方法自体は間違ってはいなかったことになるからです。
ただ、近くで見ないと分からないコツが必ずあるはずで、他の方法の有無を含めて
これは今後、誰かに教えを乞うてでも早期に身に付けるつもりです
ところで、まだ経験が浅いので断定はできませんが
こうした学校主催のスキー教室においては、ほぼ丸2日間のレッスンで
全くの初心者がプルークボーゲンで緩斜面を滑り下りられるレベルにすることが求められます。
振り返ると、昔のずん胴スキーでは考えられない短時間で
ごく一部を除いたほとんどの生徒たちがこのレベルに達するのですから
今さらながらこうしたレッスンを通じて、カービングスキーのターンのし易さに驚かざるを得ません。
それにつけても、1990年代からさらにもう10年ほど前にこの板が登場していたら
ここまでスキー人口が減らずに済んだのでは、と今さらながら思うと同時に
2日でプルークボーゲンが出来るようになったこうした若者たちが今後もスキーを続けて
統計的には約30日後に訪れるであろう「パラレルの壁」を突破し
生涯、スキーを楽しんでくれるように願って止みません。
その場合は、新潟県のようなベタ雪でない粉雪のゲレンデに
首都圏からでも約3時間ほどで立てる北志賀のこれらのスキー場をぜひ再訪して
なぜこんな斜面で四苦八苦したのか、とご自分の技術の進歩を懐かしんで欲しいのです