そのうち、すべてが落ち着いてここに書こうという気持ちになったらきっと書くけど、今、大変なことが起こっていて家庭がちゃんと機能していない。
今までの生活はなんと幸せだったんだろう…ということを実感しながら、目の前の一日一日をなんとか遣り果せている。
でも、ものが正常に考えられない…という状態は一昨日までで、昨日はなんとか冷静に行動する自分に戻ってきていたと思う。
このまま、ちょっとずつ前みたいな生活を取り戻して、テレビ見て笑ったり、本読んで泣いたり、映画を観て怖がったり、日常生活から離れたことにも興味を持てる自分に戻りたい。
今朝、1ヶ月前に録音したラジオ番組を聴いていたら、国立大学の文系学部を廃止しようという動きがある、という話をしていた。
なんと愚かしいこと。目先の利益を追い求めるばかりで、背景にある哲学や教養を軽んじているから、日本は技術は一流なのに経営は三流と言われてしまうんだ。人文科学をずーーっと軽視し続けてきた結果が、「文系をなくせ」などという発想が出てくるような今日の状態なわけで、こんなことじゃこの国はいずれ滅びる、日本にもスティーブ・ジョブズが生まれるようにとか言ってても絶対無理!とコメンテーターは言っていた。
私は自分が文系で…というか算数(すでに数学のレベルですらない)も理科もできないから消去法で文系学部に進んだわけで、なんか全然役に立たないことをずっと一生懸命勉強してバカみたいだったなー、もし高校生に戻ってやり直すことができたらどんなバカ大学でもいいから理系の学部に滑り込めるよう頑張るのに…なんてずっと思ってた。でも、なんの役にも立たないことに打ち込んだり、自分って何なんだろう…なんと無能で小さくて非力な存在だろう…と絶望しうちひしがれてそれでも自分にできることは何かを暗中模索しつづけた時間って、とても貴重だったし、あの数年間がいま生きるうえでの糧になっている。
いや、いまはそんなことが論点ではなく、大学って何のために存在するのかってことを認識し直さなきゃいけないと思う。
自分が何かを学びに行く場所ってだけじゃない。これまでの先行研究を学んだ上で、その研究を発展・前進させて、その成果を蓄積する場所が大学じゃないか。
だから、例えば就職に役立てたいとか、自分はこんな職業に就きたいからこの知識を身につけたいって思うだけなら、大学じゃなくて専門学校に行く方がずっと実践的で有意義だ。それでもわざわざ大学に行ってぐにもつかないような社会に出てすぐに役立てられるとは限らないような研究をする生活を送って何か得られるものはあるかって考えると、それはやっぱり方法論の一言に尽きると思うんだ。つまり、既存の考え方の問題点・不足点に気づける発想力、それをどうしたら解決したり補ったりできるだろうと考える想像力、考えたことを検証する実行力、失敗してもへこたれずに追求を続ける精神力、そして得られた結論を皆に報告して認めさせる論理構成力。ついでに言えば、自分はこの研究を発展させる一助となったという自信(プライド)かな。
でもね、大学に行く意味に今さら気づいているようなバカな私に、十数年前に学士とか修士とかの学位をくれてるんだから、日本の大学の文系学部ってやっぱ程度低いのかも!!
今までの生活はなんと幸せだったんだろう…ということを実感しながら、目の前の一日一日をなんとか遣り果せている。
でも、ものが正常に考えられない…という状態は一昨日までで、昨日はなんとか冷静に行動する自分に戻ってきていたと思う。
このまま、ちょっとずつ前みたいな生活を取り戻して、テレビ見て笑ったり、本読んで泣いたり、映画を観て怖がったり、日常生活から離れたことにも興味を持てる自分に戻りたい。
今朝、1ヶ月前に録音したラジオ番組を聴いていたら、国立大学の文系学部を廃止しようという動きがある、という話をしていた。
なんと愚かしいこと。目先の利益を追い求めるばかりで、背景にある哲学や教養を軽んじているから、日本は技術は一流なのに経営は三流と言われてしまうんだ。人文科学をずーーっと軽視し続けてきた結果が、「文系をなくせ」などという発想が出てくるような今日の状態なわけで、こんなことじゃこの国はいずれ滅びる、日本にもスティーブ・ジョブズが生まれるようにとか言ってても絶対無理!とコメンテーターは言っていた。
私は自分が文系で…というか算数(すでに数学のレベルですらない)も理科もできないから消去法で文系学部に進んだわけで、なんか全然役に立たないことをずっと一生懸命勉強してバカみたいだったなー、もし高校生に戻ってやり直すことができたらどんなバカ大学でもいいから理系の学部に滑り込めるよう頑張るのに…なんてずっと思ってた。でも、なんの役にも立たないことに打ち込んだり、自分って何なんだろう…なんと無能で小さくて非力な存在だろう…と絶望しうちひしがれてそれでも自分にできることは何かを暗中模索しつづけた時間って、とても貴重だったし、あの数年間がいま生きるうえでの糧になっている。
いや、いまはそんなことが論点ではなく、大学って何のために存在するのかってことを認識し直さなきゃいけないと思う。
自分が何かを学びに行く場所ってだけじゃない。これまでの先行研究を学んだ上で、その研究を発展・前進させて、その成果を蓄積する場所が大学じゃないか。
だから、例えば就職に役立てたいとか、自分はこんな職業に就きたいからこの知識を身につけたいって思うだけなら、大学じゃなくて専門学校に行く方がずっと実践的で有意義だ。それでもわざわざ大学に行ってぐにもつかないような社会に出てすぐに役立てられるとは限らないような研究をする生活を送って何か得られるものはあるかって考えると、それはやっぱり方法論の一言に尽きると思うんだ。つまり、既存の考え方の問題点・不足点に気づける発想力、それをどうしたら解決したり補ったりできるだろうと考える想像力、考えたことを検証する実行力、失敗してもへこたれずに追求を続ける精神力、そして得られた結論を皆に報告して認めさせる論理構成力。ついでに言えば、自分はこの研究を発展させる一助となったという自信(プライド)かな。
でもね、大学に行く意味に今さら気づいているようなバカな私に、十数年前に学士とか修士とかの学位をくれてるんだから、日本の大学の文系学部ってやっぱ程度低いのかも!!
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