copyright (c)ぴーきん
絵じゃないかぐるーぷ
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「
3000人が1日に、どっと押し寄せ後は閑古鳥。
よりも、
100人が30日間ひきも切らずだらだらと路歩きなどに。
「左琴」「右書」ならぬ古書・新書に導かれて、
あなただけのピンポイント地方めぐりを!
」 「左琴」(万葉集巻五参照) (c)ちふ・ぴーきん
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・旧大佛供3説について
奈良県桜井市に大福はあります。
ある人は、桜大福を連想してか、
おいしそうな名とも。
中和幹線上の寺川の橋名に、「大仏供橋」が
あります。
以下のような伝承があるようです。
1.大仏供はダイフク、ダイブツクといい、
興福寺の白米・灯油などの諸物、
供養・諸会式・転読料などの諸費をまかなう土地で
あったらしい。
このダイブクを佳字化したものが大福である。
(奈良県史)
2.推古天皇の御代飛鳥に大佛像を作らせ給ひ
従四位上紀朝臣文人に令し
佛生山の傍なる農家に命し大佛の供物を
貢せしめららる。
此時大佛供物調貢の村となりにしより、遂に大佛供村と
名つくるに至ると云ふ。(奈良県磯城郡誌)
3.大福村 大福本ト大佛供ニ作ル、即チ東大寺大佛ノ
供料所ナリ(大和志料)
のんびりと、ナゾ解きを考えながら、竹田の原などの
散策をどうぞ。
註;
「
寺川 「奈良県磯城郡誌」より
源を談山(多武峯村大字鹿路より発し多武峯村の中央を北流し、
更に西北に屈折して櫻井町の南部を西に流れ城島村川合に出て
粟原川を合せ大福・耳成二村を西流し耳成村大字十市に於て
高市郡より来る米川を合せ耳成・多の村界を北流し更に川東村と
田原本・都・三宅との境を北に流れ川西村に入り更に西北に流れて
結崎・梅戸を過き、吐田に至りて大和川に合す
其流域延長五里二十丁なり。
」
(本文と一部、未登録字体等のため違いあり)
寺川の寺は、多武峰妙楽寺からきていると思われる。
(筆者の独断)
この項おわり