伯母の葬儀・告別式が行われた。場所が東京ではなく、家を出るのも早いので前日から翌日まで母を施設に預けた。ケアマネが探してくれたところは、ディサービスと泊まりを併合したようなもので、近いので送迎も行ってくれる。告別式場は東京駅から特急とローカルを組み合わせて約2時間。
式は盛大だった。社長の孫が喪主を務め、関係会社や趣味の団体からの花輪も並んでいた。久しぶりに子供のころに遊んだ懐かしい従兄弟たちの顔も見た。親戚の人から子供のころの父の話なども聞かされたが、父が私のことを自慢していたなどという話もあった。家出や不登校を繰り返し、友人に勧められてやっと大学に入ったpochiにとってはそういう話は聞いたことがなく、複雑な感慨だった。
とはいうものの親戚が多いので知らない人も多かった。町であっても判らないし、それこそ飲み屋で隣り合わせたとしても判らないだろう。葬儀・告別式後に納骨が行われ、その後、精進落としが行われた。
会場を貸し切ってのもので、見渡してみても知らない人たちが大勢いた。考えてみれば当然で伯母にはひ孫が10人以上いたという。pochiが子供のころに遊んだ世代は50歳半ばから60歳代で喪主の父親の世代だ。小学生の夏休みのころはよく伯母の家に1週間ぐらい遊びに行っていた。弟などは1カ月ぐらい行っていた。喪主の父親は会社を興したが、若くして亡くなったので、遺族はそれなりの苦労をしてきたと思うが、いまは経営上の苦労はあると思うがそれなりに順調だと思う。
料理は刺身、てんぷら、すしなど食べきれないほどの量が出た。余ったてんぷらと刺身はパックに詰めて持ち帰り、帰宅後、すぐ冷蔵庫に入れて翌日の夕食のおかずにした。1日経っていたが刺身の種類が豊富でそれなりにうまかった。
式は盛大だった。社長の孫が喪主を務め、関係会社や趣味の団体からの花輪も並んでいた。久しぶりに子供のころに遊んだ懐かしい従兄弟たちの顔も見た。親戚の人から子供のころの父の話なども聞かされたが、父が私のことを自慢していたなどという話もあった。家出や不登校を繰り返し、友人に勧められてやっと大学に入ったpochiにとってはそういう話は聞いたことがなく、複雑な感慨だった。
とはいうものの親戚が多いので知らない人も多かった。町であっても判らないし、それこそ飲み屋で隣り合わせたとしても判らないだろう。葬儀・告別式後に納骨が行われ、その後、精進落としが行われた。
会場を貸し切ってのもので、見渡してみても知らない人たちが大勢いた。考えてみれば当然で伯母にはひ孫が10人以上いたという。pochiが子供のころに遊んだ世代は50歳半ばから60歳代で喪主の父親の世代だ。小学生の夏休みのころはよく伯母の家に1週間ぐらい遊びに行っていた。弟などは1カ月ぐらい行っていた。喪主の父親は会社を興したが、若くして亡くなったので、遺族はそれなりの苦労をしてきたと思うが、いまは経営上の苦労はあると思うがそれなりに順調だと思う。
料理は刺身、てんぷら、すしなど食べきれないほどの量が出た。余ったてんぷらと刺身はパックに詰めて持ち帰り、帰宅後、すぐ冷蔵庫に入れて翌日の夕食のおかずにした。1日経っていたが刺身の種類が豊富でそれなりにうまかった。