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ブルターニュ紀行 68 < 『ブルターニュ防衛線』をたどる 5 最終回 ドォル・ド・ブルターニュ > 

2021-07-09 00:00:08 | 素晴らしき世界/フランス/ブルターニュ
巻頭写真 : 「ドォル・ド・ブルターニュ」の市壁(町を囲む防壁)

海と信仰とケルト文化と古代巨石文明と
フランスにあってフランスではない異世界を巡ろう
68



『Marche de Bratagne』
これまで「ブルターニュ防衛線」と訳してきたが
フランス王国側から言えば「ブルターニュ長征線」なのです


西ローマ帝国が「蛮族ゲルマン人」の侵入による解体滅亡の後
多くのゲルマン諸部族の興亡の末に
「フランク族」が他民族を凌駕して「旧西ローマ帝国領土」の大半を平定していった
その際の
ガリア地方における他部族平定戦の過程で生まれてきた言葉であった

第二次大戦戦中に中国共産党を組織し
大戦後中国全土を平定した毛沢東の平定戦を『長征』と呼ぶのと同じで
大ピピンから領土を受け継いだ『シャルルマーニュ大帝』が
ブルトン人の領土平定戦をおこなった足取りが「Marche de Bretagne」と呼ばれ
直訳すると「ブルターニュの歩み」という意味になる
今回その「歩み」の跡がその後1000年間のブルターニュ公爵領と
フランスのカペー王家(その後支家ヴァロア王家)との領土紛争の最前線となり
今回「ブルターニュ防衛線」と訳して南から北へと辿ってきた

脱線すると
シャルルマーニュがイタリア半島北半分「ロンバルディア」を征服した際に
ローマ周辺から北にラヴェンナまでのやや濃いオレンジ色の部分を
教皇に奉納し「ローマ協会領」と定めた
これが
建前上西ローマ帝国の皇帝位の復活でイタリアを領有する
「神聖ローマ皇帝(ドイツ皇帝)」と
西欧カトリック世界の神の代理人「ローマ教皇」との間に
イタリアに対する支配圏の対立が起こり
『ギベリン派』と『グエルフ派』との抗争が続く最初の遠因となった

5回目となる今回の
最後の⑭番目『ドォル・ド・ブルターニュ』で締めくくる事になる


旧市街の通り

実はこの町には
城は全く跡形も残っていない
ただ
町を取り囲んで防御する城壁「市壁」の一部が残っているのみ
それも
かつては雑草と雑木が無秩序に生い茂るに任せて打ち捨てられていたのだが
近年
町当局の努力で整備され「プロムナード」として再生した


こんなだったのが


足元が整備されて歩きやすくなった




場所によっては


案内板もある


公園風にまでなってしまったが
空堀の位置の雑草や雑木は取り払い
歩く道筋は整地されて安全に歩きやすくなったが
城壁に絡んだ草木はそのままにしておいてくれたのが良かった

塔の内部も見ることができる


屋根はなく


結構傷んでいるものもあれば


床も屋根も修復されている塔もある

それから
5500人ほどの人口の町にしては立派な大聖堂がある
理由は街の成り立ちにあるのだがそれは後述することにして
とりあえず見てみよう

『Cathédrale Saint-Samson de Dol 聖サンソン大聖堂』


西側正面の玄関口は非常に素朴な作り
しかも普通使わない


扉口の上のサン連アーチ部分とその上部に
屋根のようなデザインで「木瓦(木のチップ)」が使われているのが珍しい
通常の出入りは
西側正面の右門から側面に回り込んだところに造られているポルシュから

Porche de la Cathédrale


身廊の造りは極めて正当なゴシックの大聖堂


ただ主祭壇は交差部ではなく内陣に入ったところ


右側廊のアーチの一つの下に身廊に向いて「説教壇」があるのも定型
その説教壇の裏側

外陣

内陣を取り囲む周歩廊は無く
内陣の両側は身廊部の様に側廊があって正面で閉ざされている
内陣の正面の奥は
外側に向かって礼拝堂の様に張り出している

南側の側面の全景


大聖堂南側のポルシュに向かう通り


その通りの終わるところ

北側の側面全景

北側 遠景

ここ「ドォル」の町のカテドラルが大規模なのは
この町がブルターニュの中でも特殊な重要性があるから

伝説によると
「モン・サン・ミッシェル湾」の位置は7世紀頃までは所々に湿地のある森林だった
湾に近い『アヴランシュ』の町の司教「オベール神父」の元に
大天使聖ミカエル(サン・ミッシェル)が夢枕に立ち
「自分のための祠」を立てて欲しいと訴えた
大天使の出現を信じないオベールにミカエルは三度現れ
三度目の出現の際に大天使に指で頭を小突かれて彼は正気になる

大天使聖ミカエルの「御出現」という奇跡体験の教皇庁への報告と
聖ミカエルの祠の作り方を学ぶためにオベールはイタリアへと旅立った

彼の3年弱の不在の間にその辺りで大地震が起こったらしく
おそらく地盤沈下のせいで
森林だったあたり全域が遠くだった海岸線から海水の侵入により
湾になっていた
以前森の中に丘が三つあった
「モン・トンブ」「モン・トンブレーヌ」「モン・ドォル」
それらが湾になった海に島となって浮かんでいた

イタリアから帰ってきたオベール神父は森が海に変わっている光景に驚愕し
大天使ミカエルが「祠作りを急げ」と自分に対しての催促のための奇跡だと思い
一番陸に近い島「モン・トンブ」の頂上に大天使のための祠を築き
以後その島は『モン・サン・ミッシェル(大天使ミカエルの山)』と呼ばれるようになる

なぜ「モン・トンブ」だったかというと
「モン・トンブレーヌ」は小さな岩礁程度の大きさしかなく
陸から遠すぎて工事をやりづらかった

そして「モン・ドォル」は
聖書に描かれた悪魔が天上の世界に憧れ天に攻めこもうとした際
大天使ミカエルの軍勢に叩き潰された
その際ミカエルは剣で岩山を切り裂きその中に悪魔の残骸を封じ込めた
という伝説があって
恐れ多くて手をつけられなかった

それが「ドォル」の町の宗教的優位性を作り上げたのです

以下の「モン・サン・ミッシェル湾」の俯瞰写真において
白い四角を見ていただくと

photo by ⒸEuropa Space Agency

右に二つ縦に並ぶ四角の上から下に
「モン・トンブレーヌ」
「モン・サン・ミッシェル」

そして左に一つはなれている四角が
「モン・ドォル」
この島はその後の湾の縮小でいつしか陸地の中に取り込まれてしまった

ちなみに湾の淵のグレーの帯状の部分は
干潮時で水がなくなるか
非常に少なくなっている事を表している

左上「モン・トンブレーヌ」 右下「モン・サン・ミッシェル(旧モントンブ)」

『Mont-Dol モン=ドォル』

畑に囲まれた岩山「モン・ドォル」は


最高点での標高65メートルの楕円形で
花崗岩の一枚岩の丘(Mont 小山)


上の俯瞰写真の丘の左下が削れている所は
岩が露出した部分で


ロック・クライマーがよくトレーニングを行っている





クライマーが張り渡したザイルが残っていた




頂上の片隅に「聖母子像」を塔と礼拝堂が
はるか四方を見下ろしている

左「Chapelle de l'Espérance」 右「Tour Notre-Dame de lEspérance」

「希望の礼拝堂」と「希望の聖母の塔」




風車もある

『Moulin du Mont-Dol モン=ドォルの風車』

楕円形の岩山を取り巻いて周囲に家並みが少しあり
「ドォル・ド・ブルターニュ」の町の「字(あざ)」で岩山の名前と同じ
『Mont-Dol モン=ドォル』






所で「ドォル・ド・ブルターニュ」のカテドラル「聖サンソン大聖堂」の前に
最近面白いものができた

『Maen Vog』

これは
なんと花崗岩でできた船
しかも浮く

2000年に3月に彫刻家「ジャン=イヴ・メネーズ」が作り上げた
『Maen Vag マエン・ヴァグ号』
ブルトン語なのであやふやだが「海の石」というような言葉らしい
長さ4m02
幅1m81
喫水(水上に浮いた状態で水面から下の沈んでいる深さ1m06
積載重量1t50



中に女性が一人乗っているので大きさの想像がつく

この船は
この近くの「Lanhélin ラネリン」という町の近くから産する花崗岩
35トンの塊を削りくりぬいて作られている

実物製作用に作られた模型の一つ

彼はこのような模型を何種類も作り
実際に浮力計算を行って
水上航行が可能な最終作品を造った
重さが3t50



内部はこうなっている
舳先から艫(とも)つまり前から後ろを見た角度

これまでにフランス全土で10回ほど
遊覧航行を実演した


この写真は艫に座っている製作者本人からの提供


パリのサンマルタン運河でも航行して見せた
ブルターニュのご案内も
そろそろ最終章です
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