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パリで美術三昧 < オルメカ展 1/2 > ケ・ブランリィ美術館

2021-07-23 00:08:40 | 素晴らしき世界/パリ/美術
巻頭写真 : 『Musée du Quai Branly』

パリで一番新しい国立美術館
『Musée du Quai Branly Jacques Chirac』は
「第三世界」の美術工芸の専門美術館
そこの
『オルメカ特別展』を訪れよう 
前編


1981年から1995年まで
二期14年大統領を務めた社会党の「フランソワ・ミッテラン」が
新国会図書館と新しく国立総合病院を作らせ
死後「ミッテラン図書館」「ミッテラン病院」と正式名称にその名が残された後
次の保守党大統領「ジャック・シラク」が
自分の名前を残したくて
パリに新しい美術館を作らせ
生前から「ケ・ブランリィ・ジャック・シラク美術館」と命名した

Quai Branly(ブランリィ河岸)というセーヌ左岸のエッフェル塔のすぐ近く
通りに沿ってガラス張り


ガラスの塀の中に入ると鬱蒼とした「藪」になり
ここかしこに
歓談用にベンチを備えた一隅などがあり
その緑に囲まれて摩訶不思議な建物が建っている


鉄のコロンで持ち上げられた何艘かの数珠繋ぎの船の様な

『Musée du Quai Branly jaques Chirac』

設計は目下フランス一名高い建築家となっている『ジャン・ヌーヴェル』


ちなみにすぐ隣にあるエッフェル塔の展望台から見ると



こうなっており
対岸の「シャイヨー宮」の「歴史文化財博物館」の窓から見ると


こんなであります
エントランスホールには
「オルメカ文化」の象徴のような巨大な頭像が鎮座している


このエントランス・ホールの中央に入場券確認があり
そこからスロープを上階の展示フロアーに登ることになる


今二人がいる場所から右にスロープに入ると


世界中の文化遺産の所在地と出土地の地名が
スロープの床にランダムに映し出され
あたかもセセラギの流れのように
曲がったり集まったり離れたりしながら流れ下ってくる



途中で左右の壁を岸辺の土手に見立てて
流れの一部が潜り込んだり別の場所から流れ出てきたり
驚かされる

上階の展示フロアーにたどり着くと


「オルメカ文明」の彫像の一体が出迎えてくれて
奥のポスターが上から吊るされている「特別展会場」へと進む

特別展の会場に入ると最初の部屋が

『Senor de Las Limas ラス・リマスの男』紀元前900年〜400年頃

1965年に「ラス・リマス」の町の郊外で発見された
「古代オルメカ文明」最高傑作と言われる「超現実的存在を両腕で抱く男性座像」がある



「オルメカ」は
紀元前1700年頃からメキシコ中部「メキシコ湾」岸沿いに起こった文明で
紀元前600年〜400年頃が最盛期であったらしい
紀元前200年頃に突如消滅
「Las Limas」「El Azuzul」「Tres Zatotes」「La Venta」「San Lorenzo」
など何箇所かの遺跡サイトに分散して見つかっている

その末裔たちの最後が「アステカ文明」の人たちで
スペインからの侵略者「征服者ヘルナン・コルテス」が1521年に上陸した時点で
文明全体が消滅した

『ラ・ヴェンタの供物』紀元前800年〜600年頃

16人の人型と6本の斧の模型からなる
15人はジェダイット(硬玉)製で花崗岩製の一人に向き合っている
神への捧げもの

次は
1987年に発見された『アズズレス」遺跡
紀元前1200年〜紀元前900年の遺跡の出土品4点の中から




これは
痛み具合がほんの少し違うほぼ同じ2点の一つ

同型のもう一体は




さらにこの坐像も2体あって
一つは




同型のもう一体が




そっくりだが
正面から見たときの腹帯の水平度が微妙に違っている


『Laguna de los Cerrosから出土した 無頭の男性立像』紀元前1200年〜900年




以下は『オルメカの男性像』と呼ばれるもの

『Cruz del Milagro 出土の オルメカの人像』紀元前1200年〜900年

同 背後


同 側面



『Piedra Labrada 出土 記念石柱』紀元200年〜600年


『Cerro de las Mesas 出土 祭壇 族長の側面坐図レリーフ』紀元467年〜468年


『Cerro de las Mesas 出土 族長側面坐図レリーフ』紀元600年〜900年

次は凄い

『Tres Zapotes 出土 祭壇 上部』紀元前31年

『同 下部 暦』
実はこれオルメカ数字で暦になっていて
紀元前3114年8月11日
から
紀元前32年9月1日
つまり作られた年の前年までを表している

以下
題して「メキシコ湾岸の人々」

『Antonio Plaza 出土 レスラーと名付けられた男性坐像』紀元前1500年〜紀元前400年

『同 右斜め側面』

『同 左斜め側面』

『同 背中』


『Chiquipixta 出土 青年像』紀元前1200年〜紀元前900年


『同 背面』
背中に一本くっきりとした縦の溝が彫られている

『同 側面』
古代エジプトに見られるような「長頭族」に似ている

ここから時代が飛ぶ

『Tamahi 出土 背中に子供を背負ったワステカ族の青年』紀元1000年〜1521年

『同 上半身』

『同 背中』


『別の青年像』
同じような刺青をしている

『Tecomaxöchitl 出土 台座に立つ女性像』紀元900年〜紀元1521年


『Tuxpan 出土 跪く女性像』紀元900年〜紀元151年

『同 左側面』


『同 右側面』

『同 背中』


『Ciudad Madero 出土 腕の先で穴を掘る棒を持つ男性像』紀元900年〜紀元1521年


『El Tajin 出土 Niches のピラミッドの装飾石柱』紀元600年〜900年?

『El Naranjo 出土 トガり帽の男性像』紀元900年〜1521年

『Castello de Teayo 出土 女性像』紀元900年〜1521年

『同 背中』

『Ozuluama de Mascarenas 出土 Seigneur d'Ozuluama 
擬人化されておうぎ形の帽子をかぶった族長』1200年〜1521年

『同 背中』
帽子の後ろ垂れは骸骨

『Huilocintla 出土 ウィルシントラの石柱』900年〜1521年
族長自らの自己犠牲を表しており
これにより神への生贄を想起させ超自然的存在が失った血を取り返してくれるという
「マヤ」でよく見られた風習

『Tempoal 出土 跪く男性像』1200年〜1521年

『同 右側面』

『Castello de Teayo 出土 擬人化された女性石柱』900年〜1521年

『同 裏側』

『Ahuateno 出土 何かの動物の上に立つ人像』1200年〜1521年

『同 右後方側面』

『同型 別ヴァージョン 背面』
顔に穴が空いていないタイプ

この項 後編に続きます
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