カルスト地形の山並みとオリーブ畑がつづく『アルピーユ山地』
古い話になりますが
英国のジャーナリストでプロヴァンスの大地に惚れ込んだ
「ピーター・メール」
は
『プロヴァンスの十二ヶ月』
という
紀行文的随筆の世界的大ベストセラーで
プロヴァンス地方の世界的知名度アップに貢献した
その
「ピーターメールの世界」そのものを体験できるのが
『アルピーユ山地』と『リュベロン山地』の周辺なのです
まず
アルルとアヴィニヨンの中間地点タラスコンから東に数キロあたりから広がる
アルピーユ地方
その入り口あたり
アルルを発って北に6kmほどで
アルピーユ山地地方独特の
乾燥して石灰岩の高原地帯に入ったあたり
幾つかの村々が続き
その中で
『フォンヴィエイユ』村の周辺が「アルフォンス・ドーデ」の故郷
彼の代表作の一つが
少年時代の回想録『風車小屋便り』です
今でもいくつも残る風車のうち
この風車が
「ドーデの風車」として訪問客を集めている
この写真では
回らないように
羽のキャンバスを外してあるし
風下で力を受けるつっかい棒もなくしてある
中にも入れる
この大きな歯車の中央に
風車の中心軸がつながっている
その歯車が
縦軸歯車を回して粉を引くのです
この写真には写っていないが
とんがり帽子屋根の
石造りの塔との接点のの位置にも歯車があり
その日の風向きに応じて
屋根ごと羽の位置を風上に向くように回転させる
その羽と反対側の塔の外に
塔全体を支えるために「つっかい棒」を噛ませるのです
風車自体は微妙に高い位置にあって周りが見張らせ
季節ごとに方向が変わる風邪を
しっかり受け止められるような位置に建てられていることが
わかります
今来たアルルの方向を見ると
数キロ彼方に大きな石の建物が見える
こんな感じでもっと小さく
それが
『Abbaye de Montmajour モンマジュール大修道院』
県道のすぐ脇を一段上がる
建築技術が固まり始めた中世初期
「ロマネスク」様式から
「ゴシック」
「ルネサンス」
を経て
17〜18世紀「クラッシック」
様式まで
修道院の規模拡大と技術革新に伴って
拡張されてきた
一部残っている回廊は
12世紀『ロマネスク』の時代
同時代の
サン・ピエール修道院聖堂(教会)
写真手前
正面ファサード
その先の
もっと高くなった場所に
後から作ったもっと大きい聖堂もある
『ノートル・ダム修道院聖堂』
それも
まだ13世紀ロマネスク様式の時代
側面
結構大規模になった
内部
ただし
平面図で十字架の形の「交差部」の天井は
『ゴシック』
内部ディテールの部分的な時代の違いも
ゴシックの「壁龕」
ルネサンスの水場
南部フランス大諸侯たちが
北部フランス王家の支配下になかった頃から
王家との勢力争いが続き
教会や修道院も要塞化した時代があった
その頃の名残の塔
この塔に登ると
いろいろなことが理解できる
回廊の内側に
井戸の存在もわかる
17世紀古典主義(クラッシック様式)の建物の
廃墟
実は
大革命期に
王侯貴族の館や修道院など大規模建造物は
革命政府の財源のために競売にかけられたのです
このモンマジュールは
地元の豊かだった人物が買い取り
「瓶詰め工場」に使った
その後打ち捨てられて
この様に修道院全体が廃墟と化してしまったのです
それに
先回ボーケールでご紹介した様な
岩盤墓地が
ここにもある
それから
厳密には修道院の敷地の外だが
一番古い部分であろう礼拝堂が残っている
しかも
非常に良い状態で
『サント・クロワ(サンタ・クルス)礼拝堂』(聖十字架礼拝堂)
12世紀
プロヴァンス様式の初期ロマネスク宗教建築の見本
の一つと言われている
最後に
アルル近郊といえば『ゴッホ』
彼は
この辺りにまで出かけてきて制作に励んでいた
『モンマジュールの日没』ゴッホ 1888
『クローの収穫』ゴッホ 1888
「クロー」は
モンマジュールの隣村
そして
構図の一番奥には「モンマジュール大修道院」
が
書かれているのです
この角度で
うんと手前に下がった位置での画面です
では
次回はもう少し『アルピーユ山地』の内側へ入って行って
ご案内しましょう
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