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プロヴァンスを巡ろう 3 <プロヴァンス最西端の街 ニーム>

2020-10-23 00:02:23 | 素晴らしき世界/フランス/プロヴァンス
古代ローマのアリーナ



プロヴァンス地方は
古代ローマ帝国がイタリア半島以外で初めての
植民地ではない「Provincia プロヴィンキア(帝国属州)」
の地位を与えた土地

その言葉が今
フランス語の地方を表す "Province" となったが
プロヴァンス地方だけは固有名詞で
"Provence"
と綴る

カタカナで書くと
どちらもプロヴァンスだが
「アン」の音が違う

具体的には

東端にカンヌ
西端にマルセイユ
その間の地中海岸とその後背地である山岳地を言う

まず
ギリギリにマルセイユから西側を見てみよう




『Nîmes (ニーム)』

マルセイユから西北西に40kmほど

ニームまではプロヴァンス地方にギリギリ含めるが
厳密には
その東の『ラングドック地方』の一部
の行政区に含まれる

ラングドックは『オキシタン』
つまり
南西フランスとスペインのカタルーニアまで
文化圏なのです


ニームは古代ローマが築いた街
将軍カエサルに従った親衛隊が軍務を解かれ
退役軍人として余生を送る為に付与された土地に
築いた街なのだそうです

それで
エジプト遠征から帰還した兵士たちが
ナイルのワニを
首に縄をつけて「戦利品」として連れ帰ったという伝説から
「首に縄を巻いたワニ」が街の紋章になった
とか


旧市街の石畳のブロンズの飾りにも

小さな広場の噴水にも


しっかり
ワニが存在を主張しておりました

リアルですが本物のブロンズの彫刻です


ちなみに
ローマ時代の貨幣にも既に
このデザインが




『アウグストウス帝』と『アグリッパ帝』
御代の金貨



その古代ローマの残した最大の遺産が
闘技場(アリーナ)です



近くの町『アルル』の闘技場と
姉妹
と言われており
紀元1世紀頃という建造の時期も
2万人収容という規模も
ほぼ同じ

外壁三層アーチの
最上層は残っていない



第一層目のアーチの中
この天井の上に
上層階の通路がある

すぐ右に
内側の通路に抜ける入り口



この右側には
内側の通路からこの通路に出てくる
階段通路の入り口が



いわゆる観客席の部分は殆ど残っておらず
そこの通路の上部はない
そのさらに内側の部分の壁を抜けると
一番内側の通路は
一層だけ


その
古代闘技場とともに重要なのが
神殿です


イタリア半島以外で
もっとも完璧な姿で残っているローマの神殿と言われている

ローマが滅びた後
ゲルマン人の破壊を免れ
砦となり
その後厩として使われたり
修道院になったり
浮浪者が住み着いたり
革命政府が競売にかけて瓶詰メーカーが買い取って工場にしたり
紆余曲折の結果
ナポレオンの「文化財指定」で
保存されてきた


街には小高い丘がある

その麓に湧き水があって
ローマ以前に
その水源を中心に『ガリア人』が住み始めて集落ができていた



その水源を
ローマ人が『Nemausus (ネマウスス)』と名付けた
そこから
『Nîmes (ニーム)』
という街の名前が生まれた

水源から湧き出て流れる水の上に
ナポレオン軍の工兵隊の技術者が
プラットフォームのように人工地盤を作って
水上公園を作った
『泉の庭園』







しかし
そんな綺麗な湧き水がふんだんに沸いていたにも
かかわらず
日常の飲料水やテルマエの水として
彼らは
もっと清らかで美味い水を求めた

45kmほど北の山の中の水源から
延々と水道を造って水を引いてきた
起伏はトンネルを掘り
谷間は水道橋を渡して

その水を
町内に配分する
水道施設の分水施設すら残っているのです


美食を追求し
浴場を愛し
『生きる喜び』に徹した古代ローマ人には
脱帽するしかない


そして
その丘のてっぺんに
いつの頃建てられたのか誰も知らない塔が残っている



『マーニュの塔』
と呼ばれて来た

フランスとイタリアとドイツとのご先祖
『フランク王国』のカール大帝をフランス語で
『シャルル・マーニュ』
と言います

多分
カール大帝に起源があると信じられてきたのでしょう
実はもっと古く
ローマ時代初期からあって
カエサル以後のアウグストウスが
改修したらしい
とわかっています

塔の横に古い古いオリーブの木


2千年の齢の塔の前に
1千年の齢の樹木


さらに
この塔の上の登ると
こんな写真が撮れます


ここまでの引きの写真は
相当大きな望遠レンズが必要ですけど

部分的に切り出せばよろしいかと

ちなみに
左が『闘技場』
右が『古代劇場』
です

日本では
闘技場を円形闘技場ということが多いですが
楕円形

古代劇場を「円形劇場」ということもあるが
半円形


再び丘の麓におりると

古代ローマの別の神殿跡が


『ディアーヌの神殿』
と呼び習わされてきました


果たして
本当に『狩りの女神にして月の女神ディアーヌ』の為の神殿であるか
定かではありません


ところで
ここニームには
プロヴァンスの文化史上最大の文学者の一人の
生家があります

その文学者とは
プロヴァンスの強烈な太陽に焼かれた大地を
こよなく愛し
その土地で生まれ育った生活を極めて繊細な筆致で書き残した
『アルフォンス・ドーデ』
その人です



1990年にドーデ生誕150年を記念して嵌められた銘版

しかし
ニームは古代の遺跡だけの町ではありません

高速道路から街に入ってくるあたりは
新建築の施設が続々と作られて
新時代の街の顔を作り上げています

その中で
今や世界の建築界の大御所に上り詰めた
フランス人建築家『ジャン・ヌーヴェル』に街が発注した
集合住宅が
威容を誇っています


『ネマウスス』
と名付けられた集合住宅群

関空の一部も手がけた『ジャン・ヌーヴェル』
アルミニウムとガラスの魔術師

この集合住宅は
1フロアー型から
2フロアー型
3フロアー型
の住居を組み合わせた大型客船の様に

まるで町を建築にしてしまった
みたいな
集合住宅です

では
今回の街のご紹介はこれくらいにしましょう

次回は
ニームの一押しのホテルをお教えしちゃいます
お楽しみに

= = = = = = = = = = = =
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