想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

被災地から

2011-09-03 15:00:47 | 日記
〔再会〕



仙台の従兄弟と伯父がはるばるやってきました。
正直、「ほんとに生きてた!」って気持ちが一番でしたね。
それと、従兄弟は「トシちゃん」と呼んでも、もう59歳。
伯父は90を超えています。
痴呆症も出始めた、といっても、自分の兄弟姉妹の顔を見ると、
ちゃんと認識していたようです。
父の兄弟衆が、こうして集まったわけですが、
北海道にいるらしい、もうひとりの姉さんとは音信不通。
それだけが、残念でなりません。



〔別れ〕



夕方にみんなが揃ったので、蕎麦を茹でて食べました。
八王子の伯母が、テキパキと指示してくれたので、
私はだいぶ助かっちゃった。
その伯母も、元気だけど80は超えている。
みんなで揃って食事なんて、

本当、これが最後かも知れない。
その後は、仙台の二人は残って、
みんな帰っていった。
「元気でね」
「生きている間にもう一度」
そんな言葉が飛び交った。

この人たち、本当にみなさん揃いも揃って心根が優しい人々で、
慈愛に満ち、尊敬に値します。


〔震災〕


トシちゃんから、震災のはなしを詳しく聞いた。
ニュースで聞く話より、
やはりリアルな、現実があった。

家は、一階が壊滅。
人々が離散した町で、
二階の残った部分で、トシちゃんは暮らしているそう。

その話は、ここではとても公開できないような惨い話なんで割愛する。


でも、日本人の美徳について、
トシちゃんは熱く語っていたわ。


生きていてくれて、嬉しかったよ。
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親族

2011-09-03 09:28:47 | 日記
〔集まる 集まる〕


親族が集まるのって、
冠婚葬祭くらいなものかね。
でも。
30年くらい会っていなかった従姉妹とも、
違和感もなく話せて、

昔の話に花が咲いた。
葬儀は哀しかったけど、

最後には笑顔があった。

奥さんを亡くした伯父も、相変わらず穏やかなひとで、
こんな大人の私にも、
「もっと飲みなさい。もっと食べなさい」と優しい。

お陰で食べ過ぎました。


香典返しに戴いたものを、
妹はいみじくも会食の席で確認。
どんだけいじきたない子なの?

で、黒飯、もち、海苔、お茶、葬式まんじゅうが入っていることに、
感動する。

すげーや。
食べ物でいっぱいだ。
会食終わって、皆さん一度家に戻ったらまた、
オードブルや寿司が出てきて、もうびっくり」



〔移動〕



そして明日は。
父の見舞いに、親戚一同が上田に移動してくる。
私は仕事なんで、
帰ってきたらまた頭グルグルなりそうだけど、

父の一番上の兄さんがもう90越えていて、
病気もあるし、これが最後の訪問になるだろう。
仙台で被災したけど、
おじさんは無事。
会えるなんて夢のようだわ。
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