想い事 家族の記録

難病の父と生きる
鬱病
ふたり暮らし

埼玉へ。

2014-02-28 20:00:54 | 日記

最寄り駅まで里の循環タクシーで移動。
上田駅まで電車で出て、
上田より、長野新幹線で大宮へ。

頑なに、大宮の喫茶店で娘とランチしようと考えていて、
食べていたら、
なんでこの店にこだわったのか判らなくなった。

いや、おしゃれで、ランチもスイーツも美味しいお店でしたよ。





私が頼んだのは、蕎麦のガレット。
ローストポークとハーブのサラダもおいしかった。



私は紅茶専門店に行くつもりだったのになあ。
まあ、いい。
大荷物と娘を連れてだと、
神経つかうようで、
頭が回転しなかった。

まあ、美味しかったし、
いいんだけど…



モンブランのタルトも食べたしね。

それから何故か、池袋に向かう。
後に色々間違っていたことに気づくのだが、
この時は判らなかった。
アルコールが入ってたわけではなく、
頭、パニクッてた。

三時過ぎに、おかーさんちに到着。
そのあとすぐに、
1000円カットの店に行き、
荒れまくっていた髪の毛を切ってきた。
ひどい有様だった。

夕方、おかーさんちに帰ると、
広島のおじおばが到着していて、

少し緊張する。
現実に離婚して他人になったひとだし、
元旦那のことでおじはひどく怒っていたと聞くし、
昔のようには、親しくしてもらえないと不安だった。

が…

昔、お世話になっていた時代と同じように、
笑顔で迎えてもらえた。
「元気だった?」と優しい人たちだった。
よかったよ…

娘はその晩、会いたかった従姉の家にお泊りして、
私はおかーさんちで。
夜になってみなさんはパチンコに行ってしまったので、
私は一番風呂をいただき、
テレビを見ながらゆっくり過ごした。

でも、薬を飲んでもよく眠れなかった。




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ケア会議。

2014-02-27 17:17:55 | 日記

〔難病ALSの父〕

退院前のケア会議。

排便がきつくなってきたから、

ケアの日に、浣腸で全部出すって話だった。

それで、いつ排便があってもいいように、

これからはケアパンツではなく、

本格的なオムツになった。

会議の後、少し練習させてもらいました。

まああ、何とかなるよ。

物は慣れあるよ。

今回は疲れたら早目に助けてもらうようにしよう。



〔刺し子修行〕



布の中で糸を渡す箇所が、透けて見えて嫌だなあ…

もっとダークな布に、青や水色の糸で再チャレンジだな。


〔アルコール依存〕スクロールして下さい。








































父の病院に行くのが本当嫌で、

恐くて、

11時半の循環タクシー予約して行ってきました。

バスに乗る前、スーパーで100円の缶チューハイを買って、

半分呑んで、戻しそうになり、

結局捨てるという…愚の骨頂ですよ…

身体が受け付けない時点で、

早めに絶った方がいいと考える。

私は焼酎の匂いがダメで、

それでも呑むんです。

選んだのは糖質0.アルコール6%

アルコール度数で決めました。

3%まで落ちると一気呑みするんで選びません。

無駄にカロリー取るだけ。お金を捨てるだけ。

100円出すならコンビニの美味しいコーヒーで済ませればいいんです。

子供にお菓子のひとつも買えるんです。

考えを改めた方がよろしい。

明日は早起きして新幹線ですが、

娘が一緒なので、

呑まずに済むでしょう。















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春がそろそろ…

2014-02-26 13:31:52 | 日記

春のような陽気でした。

やっと信金の用事を済ませ、法事に行く準備。

辛い。新幹線に乗るのが不安だなあ

遠くに行くんだ…

もう7回忌。

義父が命を絶った山に、いまだ近づけないけど。

義父は、もうずっと家にいるんだと想っている。

家庭を愛する人だった。

孫は3人になったよ。

上の子はもう、中坊だよ。

懸命に、学業に励んでいるよ…


 刺し子修行。





手間がかかったけど、この柄も大好き。

次は暖色系でチャレンジしたい。





アルコール依存の今 読みたい人だけ、スクロールしてください。































血を舐める 柘榴のように 裂く手首 なおも生きろと 命を嗤う




今日は焼酎をすごく薄くして飲んだ。

コップに半分くらい。

呑む前に、ウコンを飲んだ。

そのおかげか、量的に少なかったせいか、

気分は悪くならない。起き上がって銀行に行く気力にはつながった。

今夜はもう呑まないと思う。

でも。

ここから、父の下の世話、食事、体位交換、薬、洗顔…と、

矢継ぎ早に仕事が入ると、

どうなるかわからない。

はっきり自信がもてない。

情けないと思う。

心配する家族、友人に申し訳なく思う。

明日の会議で、木曜日のケアを増やしてもらおうと考えている。

パッド交換も手伝ってもらえたら、

少しは楽になるかな。

大量飲酒につなげないように、

気をつけようと思う。


 
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季節は遷ろう。

2014-02-25 15:56:31 | 日記

残雪の高さが一気に低くなった。

太陽の恩恵を感じる。

こうして、季節は塗り替えられてゆくんだなあ…
(裸の大将っぽく)

父の退院が近づいて、

なんだかんだと、頼まれる。

今日はメガネすら取りに行けず過ごした。

義父の7回忌も迫っている。

新幹線の時刻を調べて、おかーさんに連絡しないと。

法事を終えて、

父の退院。

仕事も復帰しないとならない。

恐怖に満ち溢れる素晴らしき日々


刺し子、花ふきん。



かわいい、十字つなぎ。



七宝つなぎ。まだ、改善部分が多い。



アルコール依存で検索してきて下さった方のために、

今日は、少し語ろうと想う。

読みたい人だけ、ズズズッとスクロールして下さい。

つまらない話ですから…






























私が依存するきっかけとなったのは、22歳の頃からである。

私は、設備設計事務所で働きながら、家業の理容師の、

二足の草鞋を履く生活を送っていた。

国家試験で理容師免許をとった後、

家業を一本でやらずに外貨を稼ぐなら、

会社の休みの日は家業を手伝うという条件を父に出された。

で、平日は設計士、休日は理容師…という無茶をやっていて、

ある日、どうにも疲れて、会社から家に帰れなくなってしまった。

私は酒屋で缶ビールを買い、飲みながら道を歩き、

酔うと、少し気持ちが持ち直すことを知ってしまったのである。

例えまずくて半分は吐き戻したとしても、

「呑んだこと」に意味があり、あと少しの底力を引き出すことができた。

「呑んだこと」で、気が大きくなり、

「残業だった」と親に嘘をつき、

川原で夜まで飲んでいることもあった。

休日も、朝早くから起き上がり、夜まで立ち仕事をする気力を、

アルコールの力に委ねてしまった。

母が病気になった頃は、

仕事、家業、家事、看護…と休む時間もなく、

母との面会の前に飲み、

面会が終わると、飲みながら家に帰った。

家に帰ると、

洗濯…掃除…。手をつけていない。

父は、仕事を終えると、趣味の尺八を吹いて精神安定を図っていたようだが、

その音色にすら苛立った。

妹は高校生で、彼氏と遊んで午前様…という有様。

私は、呑んでは散らし、家族に対する怒りを抑えた。

怒りを鎮める、気力を引き出す、限界まで動く…

全てを、アルコールの力に委ねてしまった。

これが、依存のはじまり。

何かにつけこのシステムが稼働して、

精神安定を図るのに、アルコールを利用した。


今も、

あの時と同じ。私は、同じ轍を踏む。

下らなすぎて、語るべきことでもないが、

同じようなことで苦しんでいるひとがいたら、

こんな私の話を読んで、笑って欲しい。


この憂いを、どう祓えばいい?

身体に染みついた忌まわしい痣を、どう消したらいい?




私だって、幸せになりたかったよ。

就職を祝ってもらいたかった。

夢を語り合いたかった。

離婚なんかしたくなかったし、

最期まで信じていたかったよ。


今判ることは、

それでも、足を止められないということ。

前に進まねばならないということ。

どんないい訳も、通らぬということ。

どうしたって、時は止まらない。











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消費しないひと。

2014-02-24 15:54:29 | 日記

ALSの父。

現在、レスパイト入院中。

この一か月半で、介護者は救われただろうか。

否。

少なくても私は、立ち直れなかった。

ひたすら眠った気がする。

気持ちを安定させようとした。

だが、またあの口うるさいALSが戻ってくるかと思うと…

正直、恐怖だ。

普段、元気な頃から口うるさい父だったが、

指一本動かせるのがやっとという状況で、

静かになるわけでなく…。

ああ、また私は父の手となり、足となり…

仕事もしなくちゃ生きてゆけない…


…恐怖。


告知の日。癌でなければなんでもいい…と想ってしまった、私。

癌じゃなきゃ、

そうそう苦しい想いはしないという無知。

病気は、何であっても、苦しいものだ…

5年かかって、ここにたどりついた。

病気であること自体、試練であり、

健康はこの上ない贈り物であることを識った。


うつ病患者が、難病ALSを看れるのか?

このブログが、

誰かのお役に立てればいい。


だからあえて、告白しよう。

うつ病患者は、アルコール依存を再発させた。

もう、アルコールの力をなくしては、

起き上がることもできない。



情けない。

愚かしい自分。

でも。起き上がらなくては、何もできない。

介護も。仕事も。家事も。育児も。



…言い訳だったね。

本当に、すまないと想っている。








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