賛美の心

こちらでは賛美、礼拝、心を主の前において静まり、まことの心で神様を賛美することだけです。

神が人類のために造った基本的な生活環境-気流

2020-02-28 22:44:05 | 聖書の奥義を開く

 

   5番目の物事は何であろうか。5番目の物事は、各人に深く関係している物事であり、それ無しでは、この物質世界で人体が生きて行けない物事でもある。それは気流である。「気流」とは、おそらくあらゆる者が理解する言葉であろう。気流とは何であろうか。あなたがた自身の言葉で説明して欲しい。(気流は空気の流れである。)そのようにも説明できるであろう。空気の流れを「気流」と呼ぶ。その他の説明する方法があるだろうか。「気流」という語は、何を意味するであろうか。気流とは、人間の目に見えない風である。またそれは、気体の運動形態のひとつでもある。それも正しい。しかし、ここで話をする気流とは、何であろうか。わたしが述べればすぐに分かるであろう。地球には、山や海などがあり、地球が回ると全てが回転し、回転時の回転速度がある。あなたがたが回転していると全く感じない場合であっても、地球は間違い無く回転している。この回転により、何が発生するであろうか。人間が走ると、何が発生するであろうか。走ると耳に風を受けないだろうか。(受ける。)その通り。人間が走った時に風が発生するのであれば、地球が回転した時に風が発生しないということは、有り得ない。地球が回転する時、万物は運動している。万物は運動し、一定の速度で回転しているが、それと同時に地上の万物は継続的に繁殖し、展開している。したがって、一定速度で移動すると、当然気流が発生する。これが気流である。この気流は人体に何らかの影響を及ぼすだろうか。(及ぼす。)影響を及ぼすであろう。地球全体が平野であったとしたら、地球と万物が一定の速度で回転した場合、人体は極めて小さいので、風力に耐えることが出来ないであろう。台湾と香港は、両者とも台風に見舞われる。台風はそれほど強力では無いが、台風に見舞われると、人間は立っていることが出来ず、風の中を歩くのに困難を感じる。1歩進むのも困難である。これは、気流が人間に影響を与える形態のひとつである。地球全体が平野であったと仮定すると、地球が回転した時に発生する気流は人体が耐えうるものでは無い。その気流に対処するのは、極めて困難である。この場合、気流は人間に危害を及ぼすだけでなく、人間を破壊してしまう。このような環境では、誰も生存出来ないであろう。そうしたわけで、神は様々な地理的環境を用いて、こうした気流を解消し、気流の方向や速度、威力を変え、緩和させる。山、山脈、平野、丘陵、盆地、峡谷、高原、川など、様々な地理的環境が見られるのは、そのためである。神はこうした様々な地理的環境を適用して気流の速度、方向、威力を変化させ、それによって気流を適切な風速、風向、風力へと変化させるので、人間は通常の生活環境を得ることができる。こうしたことを行うのは、人間にとって困難であると思われるが、神にとっては容易である。なぜなら神は万物を監督しているからである。神にとって、人間に適した気流のある環境を造ることは極めて単純かつ容易である。したがって、こうした神が造った環境において、万物のそれぞれが不可欠である。つまり、万物には、すべてその存在に価値と必要性がある。しかし、サタンと腐敗した人間は、こうした思想が無い。サタンと腐敗した人間は破壊と開発を続け、むやみに山々を平野へと換え、峡谷を埋め立て、そこに高層ビルを建て、コンクリートジャングルを造り出そうとする。人類が幸福に生活し、成長し、神が人間のために用意した、人間に最適な環境において人間が幸福な毎日を送ることが、神の願いである。人間の生活環境を扱う時に神が決して不注意でないのは、このためである。人間の生活環境と身体が自然条件に起因する障害の影響を一切受けず、人類が正常に生活し、繁殖し、万物と調和して共に正常に生活できるように、神は気温から空気、音、光にいたるまで、精緻な計画を立て、精緻な采配を行った。こうした事柄は全て神により万物と人間に与えられたものである。

 

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