路上の上。

愛車KLE400との旅路をメインに、日々雑多な出来事の独り言。

福岡県宗像市・筑前大島ツーリング4 筑前大島灯台で愛を叫ぶ。

2020-03-31 07:33:28 | ツーリングレポート
2020年3月24日火曜日 快晴。

 津和瀬の海水で身を清めた後、県道541号をそのまま進む。
ほどなく筑前大島灯台へ。


◆筑前大島灯台前にて。


◆コンクリート塀が良い味を出しています。


◆青い海と空と白い灯台の組み合わせはやはり美しいです。


◆ここから沖ノ島見えるかしら?


◆この足跡に足を合わせた先に沖ノ島が見えるのだとか。


◆肉眼だとなんとなく見えるのですが、私のコンデジじゃ写らない!


◆遊歩道案内図。

ここ灯台エリアには三浦洞窟、馬蹄岩がある。

◆神崎鼻。手前に遊歩道が下へ下っているのが見える。


◆馬蹄岩への遊歩道入口。


◆あの先が馬蹄岩。

ここから徒歩で片道20分ほどの場所にあり、
田心姫神が馬に乗って沖ノ島へ飛び渡ったときにできた馬の足跡らしい。
どれだけデカい馬なんだろう、黒王号より遥かに大きそうだ。

◆三浦洞窟入口。

◆この200mほど下の海岸に三浦洞窟がある。
 徒歩で20分と書いてます。

この三浦の洞窟ですが、寛永年間にキリスト教弾圧で逃げてきたポルトガル人ヨハン神父が隠れ住んでいたとされています。
寛永年間でキリシタンが起こした騒動といえば島原の乱でしょうか。
この乱後、鎖国ポルトガルとの国交は断絶します。
鉄砲伝来、カステラや金平糖、キリシタンもポルトガル語由来。
南蛮貿易が盛んだった信長の時代と違ってそれ以降は先細り。
ついにポルトガルを追い出して鎖国完成となりますが、ポルトガルに代わってオランダが出島で商売をします。
大航海時代の雄、スペインとポルトガルは植民地化する手段の一つとしてカトリックの布教活動があったと言います。
まぁ、支配したら自分所の教えに従わせるよねぇ。
オランダは当時プロテスタント優勢でカトリックのような布教はしないよってこともあったらしいが。
その後の世界地図見ると、大航海時代に一番乗りして植民地化を進めたスペイン・ポルトガルだったが、オランダの独立を許して以降立場逆転という図式がそのままって感じです。
出島にあった東インド会社だって植民地政策のためのものだけど、こんな辺境の島国で侵略戦争してもねぇとの余裕があったのかもしれない。
時代が下って、そんなオランダもイギリス・フランスに負けっちゃって衰退し、両国の植民地覇権争いが激化。
さらに、アメリカ合衆国独立で植民地政策の矛先は東アジアへ。
ああ幕末が近し!と繋がると思うと歴史は面白い。
おっと、隠れキリシタンからこんなことに!
こんな長文誰も読まねーっていうの!

◆バイクの向きが悪いけど、春を感じるワンカット!

馬蹄岩と三浦洞窟両方見学すると二時間近く時間が掛かるので割愛することに。
それでも、こんな端っこなので是非とも愛を叫ぶことにした。

◆大事なことだったので三回愛を叫びました。

なんだかスーーーと色んなものが海の彼方へ流れて行った感じです。

つづく。