今回は、2月13日に掲載したブログ「変な食育・『5つのこしょく』『6つのこしょく』」と、前回のブログ(欧米化によってちゃぶ台を囲む家族団らんが広まったこと。)を重ね併せて、ある新聞記事も引用しつつ再考します。
まず、2月13日の記事に書いた通り、「5つ(6つ)のこしょく批判」は科学的にも歴史的にも奇妙です。歴史面から言えば、「孤食(家族で別々に食べること)」と「個食(家族によって異なるメニュー)」は日本の伝統的食事スタイルなのです。
と強調したくなったのも、たまたま新聞記事をサーチしていたら、日経の2015年9月27日記事「文学食べ物図鑑17 堺利彦『新家庭論』-テーブル」に気がついたのがきっかけです。記事の筆者は特別編集員の野瀬泰申先生です。一読して「ああ!なんでこの記事を見落としてしまったんだろう!」と反省するほど、私がこのブログで連載していた内容と響き合う記事でした。野瀬先生も石毛直道先生の「食卓文明論」をお読みになって、家族が食卓を囲んで団らんする歴史は非常に浅いと指摘しているのです。しかも明治時代に堺利彦先生が著書『新家庭論』において、従来のお膳を廃止してテーブルまたはシッポク台(注:ちゃぶ台の古い呼び名。)にすべきだと主張した、とも記事は指摘しているのです。
古い時代の日本の食卓はどうだったのか。野瀬先生はこう指摘しています。「銘々膳の場合、イエ制度を反映して夫が上座、妻は下座、使用人は板張りの間やかまど近くなどといった区別があった。夫だけが別間で晩酌という家庭も少なくなかったという。膳の大きさ、皿の数にも差があり(後略)」。
つまり、少なくない家庭において、お父さんは家族と離れて孤食・個食をしていたという訳です。しかも、明治~昭和初期はうどんや団子汁(九州地方の郷土食)などの地方色豊かな粉食文化が残っていましたから、「粉食」も更に加わった「こしょく」を日常的にしていた家庭も多かったことでしょう。また、少し議論がそれますが「和食の基本が一汁三菜」という近年の俗説が間違いであることも、この記事はさりげなく伝えています。お父さんはお皿が沢山ある一方、妻や使用人は数が少ないというようなパターンが多く存在し、身分などによってお菜の数が違っていたのです。
野瀬先生は、向田邦子先生の「昔カレー」というエッセイも紹介しています。戦前昭和の中流家庭の食事を描いたエッセイですが、向田先生のお父様も家族より質の高い食事をとり、家族と一緒に食べるのをいやがっていたということです。
堺先生が提唱したような食卓を囲んで皆で同じ物を食べる食事スタイルが一般化したのは第二次世界大戦後のこと、と野瀬先生は指摘しています。この指摘は(このブログで前回紹介した)表教授の主張とも完全に一致します。また、野瀬先生は、ダイニングテーブルが広まったのは公団住宅が出来た昭和30年代以降のことと指摘しています。
誤解しないで欲しいのですが、私は家族団らんが好きですし、夫ばかり美味しい物を沢山食べるというのはどうかと思います(子どもにも美味しいものを食べさせてあげたいと思うのです)。しかし、「食卓を囲んだ家族団らんこそ日本の麗しい伝統だ」という俗説は耳には優しいものの歴史的には欧米化によって生じた新しいライフスタイルです。粉食も日本の伝統文化であることなどを考えると、「5つ(6つ)のこしょく批判」は、科学的にも民俗学的にも疑問点が多いため賛同できません。どうしてもこしょく批判をしたいのであれば、「日本はもともと孤食・個食傾向の強い文化であったが、「欧米化」によってより「理想的な」食事スタイルになったのだ。」と事実関係を説明したい物です。食育指導に携わる方々にとって、このブログが少しでも御参考になればと願っています。
まず、2月13日の記事に書いた通り、「5つ(6つ)のこしょく批判」は科学的にも歴史的にも奇妙です。歴史面から言えば、「孤食(家族で別々に食べること)」と「個食(家族によって異なるメニュー)」は日本の伝統的食事スタイルなのです。
と強調したくなったのも、たまたま新聞記事をサーチしていたら、日経の2015年9月27日記事「文学食べ物図鑑17 堺利彦『新家庭論』-テーブル」に気がついたのがきっかけです。記事の筆者は特別編集員の野瀬泰申先生です。一読して「ああ!なんでこの記事を見落としてしまったんだろう!」と反省するほど、私がこのブログで連載していた内容と響き合う記事でした。野瀬先生も石毛直道先生の「食卓文明論」をお読みになって、家族が食卓を囲んで団らんする歴史は非常に浅いと指摘しているのです。しかも明治時代に堺利彦先生が著書『新家庭論』において、従来のお膳を廃止してテーブルまたはシッポク台(注:ちゃぶ台の古い呼び名。)にすべきだと主張した、とも記事は指摘しているのです。
古い時代の日本の食卓はどうだったのか。野瀬先生はこう指摘しています。「銘々膳の場合、イエ制度を反映して夫が上座、妻は下座、使用人は板張りの間やかまど近くなどといった区別があった。夫だけが別間で晩酌という家庭も少なくなかったという。膳の大きさ、皿の数にも差があり(後略)」。
つまり、少なくない家庭において、お父さんは家族と離れて孤食・個食をしていたという訳です。しかも、明治~昭和初期はうどんや団子汁(九州地方の郷土食)などの地方色豊かな粉食文化が残っていましたから、「粉食」も更に加わった「こしょく」を日常的にしていた家庭も多かったことでしょう。また、少し議論がそれますが「和食の基本が一汁三菜」という近年の俗説が間違いであることも、この記事はさりげなく伝えています。お父さんはお皿が沢山ある一方、妻や使用人は数が少ないというようなパターンが多く存在し、身分などによってお菜の数が違っていたのです。
野瀬先生は、向田邦子先生の「昔カレー」というエッセイも紹介しています。戦前昭和の中流家庭の食事を描いたエッセイですが、向田先生のお父様も家族より質の高い食事をとり、家族と一緒に食べるのをいやがっていたということです。
堺先生が提唱したような食卓を囲んで皆で同じ物を食べる食事スタイルが一般化したのは第二次世界大戦後のこと、と野瀬先生は指摘しています。この指摘は(このブログで前回紹介した)表教授の主張とも完全に一致します。また、野瀬先生は、ダイニングテーブルが広まったのは公団住宅が出来た昭和30年代以降のことと指摘しています。
誤解しないで欲しいのですが、私は家族団らんが好きですし、夫ばかり美味しい物を沢山食べるというのはどうかと思います(子どもにも美味しいものを食べさせてあげたいと思うのです)。しかし、「食卓を囲んだ家族団らんこそ日本の麗しい伝統だ」という俗説は耳には優しいものの歴史的には欧米化によって生じた新しいライフスタイルです。粉食も日本の伝統文化であることなどを考えると、「5つ(6つ)のこしょく批判」は、科学的にも民俗学的にも疑問点が多いため賛同できません。どうしてもこしょく批判をしたいのであれば、「日本はもともと孤食・個食傾向の強い文化であったが、「欧米化」によってより「理想的な」食事スタイルになったのだ。」と事実関係を説明したい物です。食育指導に携わる方々にとって、このブログが少しでも御参考になればと願っています。