A市に住んでいる知人から相談がありました。市の公立学校で今度の11月と来年初春に奇妙な給食が実施されるとのこと。知人は言います。「学校からもらったチラシによると、多様な宗教や他文化と食物アレルギー児童への理解を深め、みんなで楽しく給食を食べて欲しいという趣旨なので、志はすばらしいのですが、メニューを見ると変なのです。」
早速チラシのコピーを見せてもらい、メニューにびっくりしました。「食物アレルギーのアレルゲン27品目と動物性食品を含まない食事。ただし、代表的アレルゲンの一つである大豆は味噌・醤油の形で利用する」。
A市の教育局の方々には済みませんが、はっきり申しあげると、このメニューでは、世界の代表的な宗教的食品禁忌についても、食物アレルギーについても、正確な理解が出来ません。子ども達に誤解や混乱を与えてしまうことでしょう。
A市にお住まいの保護者の方々がこのブログを見てくださっている可能性に賭けて、この給食のどこがおかしいのか、以下に解説します。A市の方々が「この給食って、本当に教育上有益なのだろうか。」と勇気を出して声にしていただくことを、心の底から願っています。
1.宗教的禁忌について
(1)イスラム教の場合。
国や宗派によって多少異なりますが、多くの宗派では「食器も厨房も、一度も豚肉に触れたりアルコールを用いたことがない」ことを求めています。また、料理人には一定のイスラム教徒が居なければなりません。A市は学校給食センター方式なのですが、センターで一度でも豚肉を調理したりアルコール消毒を行っていれば、イスラム教徒はこの給食を食べられないのです。
さらに、味噌・醤油は発酵過程で微量のアルコールが生成しますし、そもそも論として、製造工場では醸造用容器をアルコール消毒するのが通常です。だから厳格なイスラム教徒は味噌と醤油を避けています(このことは9月12日放映のテレビ東京「未来世紀ジパング」でも一部紹介されていました。)。
ですからA市のこの食育で「この、動物性食品を完全に廃した菜食味噌汁定食なら、イスラム教徒の方も安心して食べられますよね。」と指導したら嘘になってしまうのです。A市には多数のイスラム教徒が住んでおり、小学校にも大勢のイスラム圏出身の子どもが通っていると伺っています。味噌や醤油を使用する食事を提供して、イスラム教について正しく理解するのは無理です。
(2)キリスト教の場合。
肉食を禁じているのはマイナーな一部の教団のみです。そういう教団でもたいてい牛乳や卵は許されています。
(3)ベジタリアンの場合。
欧米にはベジタリアンという信条を持つ人が居ますが、ラクトベジタリアン(牛乳を飲み乳製品を食べるベジタリアン)やオボベジタリアン(卵を食べるベジタリアン)などがあり、しかもベジタリアンの多数派は、牛乳・乳製品と卵を飲食するラクト・オボベジタリアンです。
ベジタリアンとして有名だったスティーブ・ジョブズ氏はなぜか寿司が大好物だったのですが、実は広義のベジタリアンにおいては、魚も食べてOKだからです。魚を食べるベジタリアンはペスコベジタリアンという名称で呼ばれます。
動物性食品を完全に禁止しているのはビーガンと言うきわめて少数派の人達で、しかも、ビーガンの場合は食だけではなく、毛皮や革靴、皮の鞄、羊毛さえも身につけない厳格な信条を持っています。A市の給食では、ベジタリアン主流派の卵や牛乳を飲食する人達についても正確に理解できないし、厳格に動物愛護を主張するビーガンの人達の切実な気持ちも理解できないことと思います。
(4)仏教の場合。
よく「天武天皇が675年に仏教に基づいて肉食禁止令を出して以来、日本では仏教によって肉食が禁止された。」という俗説が信じられていますが、これは中途半端な誤解です。実際の天武天皇の詔は、4~9月に限り馬、サル、鶏などを食べるのを禁止する内容であり、逆に10~3月は解禁されましたし、この詔で指定されなかった野鳥、ウサギ、イノシシ、鹿、鯨などの肉は一年中食べられて居ました。
お坊さんは一般論としては菜食ですが、在家信者は肉食を許されていました。法然や親鸞は教義でも肉食を容認して、自ら肉を食べています。また、中国仏教においても、精進料理では卵や牛乳を食べます。ですから、A市の給食を食べても、仏教文化や和食の伝統文化について深く理解するのは難しいことでしょう。
(5)神道の場合。
鎌倉時代以降、民間人の肉食を許可しています。
(6)ヒンズー教やジャイナ教の場合。
実は、ヒンズー教徒の多くは鶏肉や魚などを食べています。ヒンズー教の少数派のヴィシュヌ派と、ジャイナ教徒が菜食主義ですが、菜食主義者のインド国内に占める比率は20%ほどです。しかもインドの法律で「乳と乳製品は植物性食品」と定められているので、菜食主義者は牛乳やヨーグルトなども食べるのが通常です(出典:農文協「世界の食文化・インド」p153~159より)。
しかも、インド人はカレー味が非常に好きで、例えば世界中で日本食レストランが人気なのにインドでは出店ペースが遅いと言われるのも、カレー味が好きなあまりに日本食になじみにくい人が多いためだそうです。そういう方々に、牛乳や乳製品抜きの味噌・醤油ベースの味付けの菜食を提供して、喜んでもらえるのでしょうか。A市の提案するメニューでヒンズー教徒の気持ちが理解できるとは思えません。
(7)ユダヤ教について。
豚肉、貝、クラゲ、カニなどを調理した器具は「不浄」なので使用出来ません。つまり、残念ですが、日本の給食センターの食事はほぼ全て、ユダヤ教上「不浄」な食です。A市の提案するメニューをユダヤ教の人に提供するのは、失礼なことに当たります。
以上のように、提案されたメニューは、結局、ほとんどの宗教的食のタブーについて、正確に理解できないものです。
2.アレルギー対応について
味噌と醤油はタンパク質がアミノ酸に分解しているので大豆アレルギーの人でも食べられるケースが多いのですが、重い大豆アレルギーの人はそれでも発症してしまいます。症状が重い場合には入院の可能性さえあります。アレルギーについて正確な理解を促進したいというのが今回の給食の趣旨だとすれば、味噌と醤油もぜひ避けるべきです。
今回の給食の意図は「みんなで食べる学校給食」という体験をさせることが目的だとチラシに書いてありましたが、重い大豆アレルギーの児童は皆と同じ食事を食べられず、ますます孤独感を募らせることになりやしませんでしょうか。
以上をまとめると、「たった一つの食事メニューで世界の多様な宗教を理解しつつアレルギーに対応しよう。」という考え自体が、実は多様性の否定に他ならないということです。
本気で多様性を尊重する食育を展開したいのでしたら、それぞれの文化やアレルギーに沿ったメニューをそれぞれの方に提供すべきと考えます。全員が同じ食事を取るようにすることよりも、他人と同じものを食べられないという人が居る、ということ自体を子ども達に教えることの方が、多様性の理解促進について重要なのではないでしょうか。もしもA市の保護者の方々やA市の教育関係者の方々が、宗教的多様性の理解促進の重要性や、アレルギー問題について真剣に考えているならば、きっとメニューを再検討していただけると信じて、このブログをしたためました。
早速チラシのコピーを見せてもらい、メニューにびっくりしました。「食物アレルギーのアレルゲン27品目と動物性食品を含まない食事。ただし、代表的アレルゲンの一つである大豆は味噌・醤油の形で利用する」。
A市の教育局の方々には済みませんが、はっきり申しあげると、このメニューでは、世界の代表的な宗教的食品禁忌についても、食物アレルギーについても、正確な理解が出来ません。子ども達に誤解や混乱を与えてしまうことでしょう。
A市にお住まいの保護者の方々がこのブログを見てくださっている可能性に賭けて、この給食のどこがおかしいのか、以下に解説します。A市の方々が「この給食って、本当に教育上有益なのだろうか。」と勇気を出して声にしていただくことを、心の底から願っています。
1.宗教的禁忌について
(1)イスラム教の場合。
国や宗派によって多少異なりますが、多くの宗派では「食器も厨房も、一度も豚肉に触れたりアルコールを用いたことがない」ことを求めています。また、料理人には一定のイスラム教徒が居なければなりません。A市は学校給食センター方式なのですが、センターで一度でも豚肉を調理したりアルコール消毒を行っていれば、イスラム教徒はこの給食を食べられないのです。
さらに、味噌・醤油は発酵過程で微量のアルコールが生成しますし、そもそも論として、製造工場では醸造用容器をアルコール消毒するのが通常です。だから厳格なイスラム教徒は味噌と醤油を避けています(このことは9月12日放映のテレビ東京「未来世紀ジパング」でも一部紹介されていました。)。
ですからA市のこの食育で「この、動物性食品を完全に廃した菜食味噌汁定食なら、イスラム教徒の方も安心して食べられますよね。」と指導したら嘘になってしまうのです。A市には多数のイスラム教徒が住んでおり、小学校にも大勢のイスラム圏出身の子どもが通っていると伺っています。味噌や醤油を使用する食事を提供して、イスラム教について正しく理解するのは無理です。
(2)キリスト教の場合。
肉食を禁じているのはマイナーな一部の教団のみです。そういう教団でもたいてい牛乳や卵は許されています。
(3)ベジタリアンの場合。
欧米にはベジタリアンという信条を持つ人が居ますが、ラクトベジタリアン(牛乳を飲み乳製品を食べるベジタリアン)やオボベジタリアン(卵を食べるベジタリアン)などがあり、しかもベジタリアンの多数派は、牛乳・乳製品と卵を飲食するラクト・オボベジタリアンです。
ベジタリアンとして有名だったスティーブ・ジョブズ氏はなぜか寿司が大好物だったのですが、実は広義のベジタリアンにおいては、魚も食べてOKだからです。魚を食べるベジタリアンはペスコベジタリアンという名称で呼ばれます。
動物性食品を完全に禁止しているのはビーガンと言うきわめて少数派の人達で、しかも、ビーガンの場合は食だけではなく、毛皮や革靴、皮の鞄、羊毛さえも身につけない厳格な信条を持っています。A市の給食では、ベジタリアン主流派の卵や牛乳を飲食する人達についても正確に理解できないし、厳格に動物愛護を主張するビーガンの人達の切実な気持ちも理解できないことと思います。
(4)仏教の場合。
よく「天武天皇が675年に仏教に基づいて肉食禁止令を出して以来、日本では仏教によって肉食が禁止された。」という俗説が信じられていますが、これは中途半端な誤解です。実際の天武天皇の詔は、4~9月に限り馬、サル、鶏などを食べるのを禁止する内容であり、逆に10~3月は解禁されましたし、この詔で指定されなかった野鳥、ウサギ、イノシシ、鹿、鯨などの肉は一年中食べられて居ました。
お坊さんは一般論としては菜食ですが、在家信者は肉食を許されていました。法然や親鸞は教義でも肉食を容認して、自ら肉を食べています。また、中国仏教においても、精進料理では卵や牛乳を食べます。ですから、A市の給食を食べても、仏教文化や和食の伝統文化について深く理解するのは難しいことでしょう。
(5)神道の場合。
鎌倉時代以降、民間人の肉食を許可しています。
(6)ヒンズー教やジャイナ教の場合。
実は、ヒンズー教徒の多くは鶏肉や魚などを食べています。ヒンズー教の少数派のヴィシュヌ派と、ジャイナ教徒が菜食主義ですが、菜食主義者のインド国内に占める比率は20%ほどです。しかもインドの法律で「乳と乳製品は植物性食品」と定められているので、菜食主義者は牛乳やヨーグルトなども食べるのが通常です(出典:農文協「世界の食文化・インド」p153~159より)。
しかも、インド人はカレー味が非常に好きで、例えば世界中で日本食レストランが人気なのにインドでは出店ペースが遅いと言われるのも、カレー味が好きなあまりに日本食になじみにくい人が多いためだそうです。そういう方々に、牛乳や乳製品抜きの味噌・醤油ベースの味付けの菜食を提供して、喜んでもらえるのでしょうか。A市の提案するメニューでヒンズー教徒の気持ちが理解できるとは思えません。
(7)ユダヤ教について。
豚肉、貝、クラゲ、カニなどを調理した器具は「不浄」なので使用出来ません。つまり、残念ですが、日本の給食センターの食事はほぼ全て、ユダヤ教上「不浄」な食です。A市の提案するメニューをユダヤ教の人に提供するのは、失礼なことに当たります。
以上のように、提案されたメニューは、結局、ほとんどの宗教的食のタブーについて、正確に理解できないものです。
2.アレルギー対応について
味噌と醤油はタンパク質がアミノ酸に分解しているので大豆アレルギーの人でも食べられるケースが多いのですが、重い大豆アレルギーの人はそれでも発症してしまいます。症状が重い場合には入院の可能性さえあります。アレルギーについて正確な理解を促進したいというのが今回の給食の趣旨だとすれば、味噌と醤油もぜひ避けるべきです。
今回の給食の意図は「みんなで食べる学校給食」という体験をさせることが目的だとチラシに書いてありましたが、重い大豆アレルギーの児童は皆と同じ食事を食べられず、ますます孤独感を募らせることになりやしませんでしょうか。
以上をまとめると、「たった一つの食事メニューで世界の多様な宗教を理解しつつアレルギーに対応しよう。」という考え自体が、実は多様性の否定に他ならないということです。
本気で多様性を尊重する食育を展開したいのでしたら、それぞれの文化やアレルギーに沿ったメニューをそれぞれの方に提供すべきと考えます。全員が同じ食事を取るようにすることよりも、他人と同じものを食べられないという人が居る、ということ自体を子ども達に教えることの方が、多様性の理解促進について重要なのではないでしょうか。もしもA市の保護者の方々やA市の教育関係者の方々が、宗教的多様性の理解促進の重要性や、アレルギー問題について真剣に考えているならば、きっとメニューを再検討していただけると信じて、このブログをしたためました。