森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

今の一会・・・水雲問答---今回で最終回です

2024-11-29 09:49:49 | 森の施設

 

      今の一会㊴・・・水雲問答---最終回

 

雲      人は現在の出会いを空しく、うかうかと過ごしてはなりません。人生にはいろ

      いろな出会いがあるものです。まず人と人との出合い、人と仕事の出合いなど、

      数えてみれば驚くほど多いものであのます。だからうっかりとこの出合いを過ご

      してしまいますと、生涯二度とめぐってこない。ちょうど旅の美しい山水の景色

      と同様でありましよう。だからつとめて今の苦労を忘れ、努力を重ねて、名を後

      世に残したいものであります。そうでないと、旅で見た景勝の地を再び尋ねよう

      とするうちに、目的を達しないで死んでしまうような結果になりかねません。

 

水      貴殿は今の苦を忘れて功を立て名を残すとおっしゃるが、これは功利的で、本

      当の道理ではありません。故人の名君でもあり経世家は「夫れ仁人は其の義を正

      して其の利を貪らず、其の道を明らかにしてその功を計らず」という有名な言葉

      がありますが、これをよくよくお考えになるとよろしい。これはよく間違い易い

      のでありますが、人間が全然利を貪らないでは生活できないではないか、という

      意見があります。もっともなようで、実はそうではありません。理を貪るとか、

      功を計るとすいうことは極く普通ことであって、それを否定しておるのではあり

      ません。重点をあげておるのです。どうすることが道であるかということを明ら

      かにすることが大切だというのであります。人間としての道、あるいは法則にか

      なうということを故人の聖賢は申しておるのです。やりっ放しにすることなく、

      一つの問題を完成しなければなりません。その機会を失って後の機を待つという

      のは、昔も今も人の犯し易い誤りでありまして、時期を失してはならないという

      のであります。      

 

 

 

 

 

 

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自 得㊳・・・水雲問答

2024-11-23 14:13:30 | 森の施設

 

        自 得㊳・・・水雲問答

 

雲    「中庸」に君子自得、すなわち「その位に素して行い、その外を願はず、富貴に

    素しては富貴に行い、貧賤に素しては貧賤に行い、夷荻に素しては夷荻に行い。艱

    難に素しては艱難に行ふ。君子入るとして自得せざるなし」とありますが、自得と

    は文字通り自ら得ることであって、人は案外自分で自分をつかんでいないものであ

    ります。

     富貴につけ、貧賤につけ、夷荻につけ、艱難につけ、自分を喪ってしまいがちで

    す。あらゆる境遇に即して自分を立ててゆくことは君子でなければできないことで

    あります。場その場によって、こうと考えを決めるのがよろしい。これが易の変易

    であります。元来易というものはきまりきったことを言っておるのではなく、人間

    及び時世の千変万化を説いております。俊傑はその時あるいはその時代のいかにな

    すべきかということをよく知り、進むべき時は進んで時世の救世主となり、また退

    くべき時は退いて自他の安全をはかるものです。死を恐れるのは武士として恥ずべ

    きことでありますが、ただ死ぬばかりが能ではありません。ともんく進退というも

    のは潔くしたいものです。

     「天下のことに死ぬのは容易であるけれども、天下のことを行うのは大変困難で

    ある。」と申しておりますが、これはもっともな言葉であります。

 

水    自得ということはまことにむつかしいことであります。事業も自然に手に入れば

    やるがよろしい。無理に求めてはなりません。努力を重ねても成功せず、あるいは

    名もあらわれないこともありますが、これは運命であります。だからそういう境遇

    にいると、君子は学問して後世のために善い書物を残します。孔子や朱子がそうで

    あります。本当に進むべきときに進み、退くべき時に退くということはむつかしい

    ことであります。まして悔いのない死に方をするということは、容易なことではあ

    りません。 

 

 

 

     

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仕損じの跡のしまり㊲・・・水雲問答

2024-11-16 09:39:58 | 森の施設

 

     仕損じの跡のしまり㊲・・・水雲問答

 

雲    英雄豪傑が一度は事を成就しても、最後に失敗しますのは何故でしょうか。

 

水    その原因は学問をしないからです。

 

雲    国を治めるということは、道楽ではない、真剣なことであります。

 

水    その言葉には弊害があります。

 

雲    治国というものは政治にたずさわる君子一人の考えによって、多くの人に苦楽を

    与えるものですから、失敗した時はその後始末をどうつけるか、ということをきめ

    ておかねばならないと思います。俗に言う尻が抜けてだらしないのはいけません。

    しめくくりを考えないで大事を計画すると却って弊害がありましよう。

 

水    天下の事は最初はよいが、最後を全うしない者が多い。始めにあたって最後にど   

    う決着をつけるかということを考えて行うことが大切であります。

 

 

 

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柔を以て破る㊱・・・水雲問答

2024-11-11 09:43:58 | 森の施設

 

       柔を以て破る・・・水雲問答

 

雲     君子は陽剛の徳をもって、世の中の是非善悪、さまざまの問題に、自分の信念を

     堂々と抵抗を怖れずに世間につらぬきますが、小人は周囲にあたりさわりのないよ

     うに妥協して世を渡ります。もし小人が陽剛で行うとすると必ず失敗します。

      また君子が小人のように妥協的態度で世を渡りますと、世の中はきわめて抵抗が

     多く、必ず讒言や中傷、陰謀などにつけこまれて陥れられましょう。これは歴史を

     見てもわかります。そこで艱難辛苦にも屈しないで、その所信をつらぬくことが大

     切であります。しかし言葉は慎むべきだと思います。

 

水     剛柔の御意見ご尤もであります。君子が妥協態度では失敗すねる、などというま

     ことに機微にふれた真実の議論は、余り聞いたことがありません。敬服の至りです。

     こういうお互いの手紙のやりとりというものは、その場限りの話となって消え失せ

     てしまいます。そうなりますとまことに残念ですから、かな書きの問答書のように

     一冊の本にまとめておけばどうでしようか。赤札などつけて整理する人を見かけま

     すが、札がちぎれてなくなると、もうわからなくなります。せっかく苦労して何も

     なりませぬから、やはり一冊の本にまとめたいものででいが、いかがでしようか。

 

 

 

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研ぎたてたるた刀㉟・・・水雲問答

2024-11-02 09:01:58 | 森の施設

 

       研ぎたてたる刀㉟・・・水雲問答

 

雲     およそことを処するには、気合をかけてのち実行するのがよいと思います。たとえば

     研ぎたての刀を見るとみな驚くように、大上段から圧倒するようにかかるのがよろしい。

     しかしそうすると、ぼろも出易いものですから、ことをさっさと片付けることが大切で

     あります。何かしてやろうとするときは、破竹の勢いをもって、いかなる難しいことで

     もやっつける、ということが必要でありまして、神武不殺、すなわちすぐれた武道は殺

     さないという言葉に感心いたします。

 

 

水     この御意見も一見識でありますが、ちゃんと実力があって、その実力を含んで表現を

     先にするのであれば宜しい。実力もないのに偉そうなことを言うと、すぐ化けの皮が剥

     げて正体が露見します。ある人が驢馬(ろば)をつれて行ったところ、その辺には驢馬が

     いなかったので、虎も最初は恐れていましたが、ところが驢馬が虎を蹴ったので、その

     非力なことが知れて、ついに喰い殺されてしまった。という話があります。ちょうどこ

     れと同じであります。こういう御意見は大変明快でありますが、これは非凡な人物だけ

     ができることでありまして、元来聖賢の説くところは誰にも理解され、行われるという

     平凡な人物、非凡の表現法でありますから、これをやり得るだけの人物次第であると申

     せましょう。

 

 

 

    

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