森にようこそ・・・シャングリラの森

森に入って、森林浴間をしながら、下草刈りをしていると、自然と一体感が沸いてきます。うぐいすなど小鳥たちと会話が楽しいです

だまされて、だまされぬ所㉙・・・水運問答

2024-09-12 15:50:25 | 森の施設

 

      だまされて、だまされぬ所㉙・・・水運問答

 

 雲    天下国家のことは言うまでもなく、一家のことまでも、誠の一字がなくてはなり

     ません。昔カモメと遊んだ少年の話があります。この少年が海辺に行くとカモメが

     たくさん集まってくる。それを聞いた父親が、「お前一つカモメをとってこい」と

     言いました。ので翌日海辺に行くと、カモメは一羽もやってこなかったという話で

     あります。これは捕らえてやろうという気があるから、カモメはちゃんとそれを知

     っていてやってこない。誠でないからすぐわかるのです。しかし馬鹿正直に過ぎる

     と、まただまされるという譬えもあります。そこでどうしても大きな仕事をしよう

     とすれば、誠があるとかないとかということを気にしておってはいけません。人に

     だまされもしなければなりません。しかしだまされるにも方法があります。今の人

     はだまされまいと考えてだまされたり、かと思うとだまされてはいなかったりする

     のは、面白いものであります。

 

水     一身のことから国家のことにいたるまで、誠の一字を書いてはなりません。「孟

     子」の言葉に、子産が役人に命じて、魚を池に放してやった面白い話があります。

     この役人は悪い奴で、その魚を煮て食ってしまって、子産には、「魚を池に放して

     やりましたところ、初めはのびのびと泳いでおりましたが、やがてゆったりと水の

     中へかくれてしまいました。すると役人は、「子産は賢人だと聞いていたが、どう

     してどうして、私はすでに魚を喰ってしまったのに」と言って笑ったという話であ

     ります。

      元来君子は誠でありますから、だまされますけれども、道にはずれたことをもっ

     て人をあざむこうとするのはよくありません。子産のようなだまされ方は罪がない

     ばかりでなく、人柄がわかってよろしい。しかし人の上に立つ者が人にだまされま

     いとしますと、何事もできません。お説のだまされてだまされぬ所の味、というこ

     とは大変面白いことでありますけれども、やはりだまされまいという考えがのこり

     ましよう。だからそういうことを超越して子産のように徹するもよろしいと思いま

     す。 

 

 

 

 

        

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共に斃るる心得㉘・・・水運問答

2024-09-09 09:03:39 | 森の施設

 

     共に斃(たお)るる心得㉘・・・水運問答

 

雲    革命動乱に際会した君子はとかく自分の部下を賢明な人物だと思い込みがちなもの

    ですが、実はこれほどおそろしいことはありません。君子が立派な臣だと考えている

    者が、実は欲深い悪でくわせ者であったり、逆によく言われていない者が賢明な人物

    であることもある。ことに邪悪な人間は才気に長けておりますから、それが乱に乗じ

    て狡猾に振舞うので、いかにも偉い人のように見えるものであります。これを見分け

    るにはどうしたら宜しいでしようか。

     人間は、君子は善い事わし、小人は悪いことをするのだと一律に定め付ける先入観

    に陥りがちで、君子・小人というものの本当のことはわかりません。しかし、いずれ

    にしても政治ということが起るものです。ところが、部下に任すのは危ないからとい

    って任用しない時は、甚だしい弊害を生ずる。そういうふうに心配をし始めたら何も

    できないものです。思い切って任用する。そして一度任せた以上は、不慮のこと、思

    いがけないことが起きたら一緒に斃れる、心中するほかありません。それから先は考

    えたって、わかるものではありません。

 

水    賢明な君主は賢臣を用い、暗君ははつまらない臣下を賢臣として用います。本当の

    賢臣を用いますと、政治の成績はあがり、もしつまらぬ者を用いますと、国は亡びま

    す。危険この上もありません。よくよく気をつけるべきことであります。

 

 

 

     

 

 

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時の罪か事故の罪か㉗・・・水雲問答

2024-08-30 15:15:01 | 森の施設

 

           時の罪か自己の罪か㉗

 

雲      君子が世間のことに処して、自分の思うようにいかないとき、ためいきを

      ついて、時代が悪いと言いますが、実におかしいことであります。何故意の

      ようにいかないかと申しますと、自分にやましいところがないから、ついう

      かうかいたします。行動に原則というものがあって、その原則からはずれる

      と意の如く行われません。そして立派なことほど行われないのが普通であり

      ます。行われないということを知りつつ行うのは真剣味が欠けておりますの

      で、いずれ自分の罪であります。

 

水      自分の為す所が善いか悪いか、誠に十分であるか、あるいは不十分である

      か、ということを己にかえって求めるということは、これは学問第一の工夫

      で立派なことであります。しかしながら時勢というものがあって、その働き

      方でどうにもならないことがあります。易というものはこの時世の変化を主

      に論じたものですから、他の道徳の書物のように、己にかえって良心に求め

      るというようなことばかりではありません。聖人と言われた孔子・孟子が世

      にあわなかったというのは、たまたま生まれあわせた時世が悪かったという

      理由があるのです。

 

 

 

      

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日本と中国の国体の相違㉖・・・水雲問答

2024-08-21 14:40:06 | 森の施設

 

      日本と中国の国体の相違㉖・・・君子の負け

 

雲    暴政の結果に起きた乱に乗じて帝位を奪った者は、君臣の側からいえば逆取である。

    しかし天下を取ってからは、非常な善政を行なった。これは順をもって守るというこ

    とでありますが、中国の君臣関係は事変(いわゆる革命)による優勝劣敗の結果できたも

    ので、したがって相対関係以上に出ることが少なく、常に易姓革命がつづきました。

    日本は創業垂直万古変わらず、逆取を許さない道義国家として成長しました。これが日

    本と中国の国体の相違であります。

     そういう意味で逆取順守という語は、聖人の制には外れますが、古来とくに中国では

    英雄の心がけであります。従って逆取順守も時によって使うこともあり、聖人の道も時

    によっては役に立たないことがあります。寛雄がうまく仕事をしとげるのもその計画が

    図にあたって、機会をはずさずさないからです。つまり利をもって働き、分合をもって

    変をなす、という具合にやるから成功するのです。ところが君子はたいてい義理にかか

    わり、時機を失いますから、ついに失敗いたします。大体寛雄といわれる輩はみな頭が

    よく、腕がたちますが、君子は正直で、少々血のめぐりが悪く、為すことが下手であり

    ます。どうしてそうなるのかと実はがっかりしております。

 

水    逆取順守は治世に用いてはなりません。治世に用いると大きな害を引き出し、自分の

    身も保つことができません。聖人も実は一種の英雄であります。その昔国に仕えると、

    国君の夫人に挨拶をするのが礼儀であるとされていました。孔子のような聖人も見よう

    によっては一種の英雄でありますから、必ず聖人・君子はみな凡庸、あるいは正直愚鈍

    ではありません。しかし後世の君子というものは大体書生の本読み程度の類が多く、よ

    く物事を知っているというだけで、活きた人間のことがわかりません。だから君子と小

    人、善人と悪人とが争いますと、君子・善人が負けます。これはお説のとおり困ったこ

    とです。

 

 

  

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小人乱に及ばざる法㉔・・・水雲問答

2024-08-13 14:13:37 | 森の施設

 

      小人乱に及ばざる法㉔・・・水雲問答

 

雲    国を治める方法となりますと、どれほど骨を折っても多少の弊害は免れません。

    全く弊害なしに天下の大事を治めることはできないと思います。

 

水    私が昔、天下のこととなると全く弊害がないというわけにはいきませぬから、な

    るべく弊害の少ない人を選んでこれにまかせますと、賢い人を選んでこれにまかせ

    たのと大差がないと言ったことがありますが、このことであります。

 

雲    そこでどうしても多少の弊害をまぬがれないとすれば、その弊害の小さいものは

    残しておいて、つまり重箱の隅をつつくようなことをせず、たいして害の小さいも

    のは残しておいて、大弊の起きないようにすることが大切であります。そうすれば

    つまらぬ人間も身をかくす所があって、どこかで呼吸ができますから乱を起こさな

    いと思います。

 

水    この処きわめて意味慎重であります。

 

雲    特に大弊を出さぬように考えて、この意見を申し上げるのでありますから、とく

    と吟味して下さるように・・・・。

 

水    感服至極であります。

 

 

       商人の術を善用しては㉕

 

雲    悪知恵にたけた者が悪事を働くときに、たとえば五つのことをしようとすると倍

    の十という。善人がこれと争って五に止めても、悪人の目標は元来五つであります

    から彼の作戦に落ちたわけで、しかもその作戦を知ることができません。実に巧妙

    であります。いまそれを善を行う道に転用して、善いことをこのように行いますと

    裨益(ひえき)するところ定めて多いことでありましよう。

 

水    お説はいけません。君子と小人は水は氷と炭、香草と臭草のようなもので、正反

    対でありますから、どうしても会いません。小人が作戦をたてて君子に挑戦する時、

    君子の方でも小人の作戦をつかって彼に勝って善をしようとするのは、君子であり

    ながら、実際は小人の作術を使うわけであります。事の善悪は違いますが、その心

    術、事に処する精神がすでに誤っております。一度こういう方法をとって成功して

    も、いつもこの方法をとるべきではありません。これは臨機応変に行うもので、恒

    久の道ではありませぬから、よほど注意をして善処しなければなりません。つまり

    これを原理・原則としてはいけないという議論であります。したがってこういう詭

    道(きどう)に翻弄されるということは愚であります。

 

  

 

    

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