人の用い方---善悪の分ち具合⑲・・・水雲問答
雲 善悪をあまりはっきり分けると、こういう世紀末的時代には、悪党の怨みをかい、
物事を破壊してしまうことがあります。しかしまた明白に分けないと信賞必罰が行な
われない。一体どの程度に区別したらよいでしようか。
水 善い事は善い、悪い事は悪いと断定すれば、黒白がはっきりする。これは誰もが納
得する正道であります。ところが一面において、黒白をはっきりしたために失敗して
怨みをかうことがあります。一時を糊塗して切り抜けることはできますが、最後には
賞罰がはっきりせず、そのために君子派と小人派にわかれて争うようになるものです。
人と識⑳
雲 人間は才智・学識というようなものがすぐれておっても、正しい価値判断、すなわち
見識がなくては天下のことは片付かないと思います。しからばその見識を進める方法は
一体どうすればよいかと申しますと、学問よりほかに方法はありません。といっても単
なる知識の学問では駄目であって、体験叡智の学問でなければなりません。その場その
場の理解や解釈ではなくて、活きた先をも見通す識がないと大事はできますまい。見識
があって初めて賢哉明断、すなわち裁縫師が布をたつようにあきらかに断定することが
できるものです。
水 見識は才学より上であることはお言葉のとおりです。人間の才というものは機械的な
ものであり、学もまた機械的なものであります。もっとも同じ見識があるといっても、
生まれつき勝れておって、見識のある人もあれば、正しい意味の学問によって見識の出
来た人もあって、決して一様ではありません。ことに生まれつき天分が優れて見識があ
り、その上学問をした人-----これは滅多にありませぬが-----この人には百千年にわたる
大事なことも相談してよろしい。天分が足らずようやく学問によって見識を得たという
人は、どうかすると、判断に偏るところがあるものです。
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