あれは5月ごろでしょうか。。。
突然、父が私の家に来て。。。
(家に)帰る道がわからへんから連れてかえってくれと。。。
見ると、手にはパンツを。。。なんか臭ってくる~ 「う~~なにを持ってるんや」。。。
このころの父は歩いていると突然歩けなくなる(原因はわからないです)ので、よくここまで来れたなあ~と感心したものでした。 私の家から両親が住んでいる家までは200mぐらいでしょうか。 帰るころには腕をつかんで支えながら歩かないと突然足が前にでなくなってひっくり返ってしまうので、けっこう腕に力がいります。
家につくと母は携帯でのんきにお友達と長話の最中でした。 父はパンツを汚したものの母が電話をしていたので、汚れたパンツをどうしていいのかわからず、私んちまで持って来たものの帰る道がわからなくなったようです。
母に長電話をしてるしや。。とゆうと反対に怒って、父になんで娘のとこに行くんやと逆切れです。
こうゆうことが2度ありました。 一度目は布のパンツ。 2回目はリハビリパンツでした。
後日この日のことをゆうと、母は覚えていなくって。。。覚えていないどころか、おじいさんがそんなことするはずがないときっぱりと否定されました。
母は京都の神経内科に通っているときにそこの先生がパーキンソン病の薬もだしていたので、友達にパーキンソン病だとゆうとそれは難病指定の何番目(忘れた)だといわれて。。。難病だと受け入れられるようで。。。あとで認知症だといわれてもそれは受け入れられなかったです。
パンツ事件のあと、しばらくして夜の徘徊が始まりました。
夜中の12時に電話がなって、おじいさんがいいひん。。。と。。。
近所中を探し回って。。。やっと見つけて。。。
「もうこんな夜中になにをしてんねんや!」と私。
「なにって散歩や!」
「散歩って今、夜中やで」
「昼間は車が通ってて危ないやろ」。。。と父。
「そらそうやけど。。。んで、家はどっちや」と聞いてみたら。。。
「こっち」と逆方向を指差して歩き始めました。
「もうちがうやろ。」と向きをかえて歩くとちょっと休憩と。立ち止まって。。。
休み休み家まで帰ってくると母が表で待っていました。
2回目の徘徊のときに
「とうとう徘徊が始まったなあ。」とゆうと母は「徘徊と決め付けるのはどうかとおもう。私への嫌がらせでやっているんやと」。。。
私への嫌がらせで私は夜中の12時や1時に近所中を歩いて探してんのかとゆうと母は黙っていました。
3回目のときは一回目や二回目のときよりも距離が延びていて、帰るのを嫌がるので連れてかえるのに一苦労でした。 このころには私も携帯を持っていたので、娘に電話をして車で迎えに来てもらいました。
上の弟になんかいい方法はないかと、相談したら知り合いのサッシ屋さんが家の戸に第3の鍵をつくってくれました。 引き戸だったのでちょうど真ん中に外からは見えないように、家の中からは鍵ができるようにと。。。
これは効果がありました。が。。。今度は。。。
父はもう自分では鍵を開けることができないので、ガラスをわって外に出ると言い出したので、もし本当に割って大怪我でもしたら大変とサッシ屋さんにガラスにシールを貼ってもらいました。 万が一わっても破片が飛び散らないようにと。。。
これも効果がありました。シールを貼っているのを見ていた父はガラスを割るとはいわなくなりました。
その代わり、毎日鍵穴をガチャガチャしては開かないので、鍵屋を呼んでくれと。。。鍵屋さんってどこにあるのかわからへんとゆうと諦めて。。。でも翌日にはまた同じことを。。。これが毎日続きました。
昼間、鍵を開けることに集中して疲れるのか、しばらく夜中の徘徊がなくなりました。
6月の守山駅前のビオトープ
紫陽花がきれいに咲いていました。
突然、父が私の家に来て。。。
(家に)帰る道がわからへんから連れてかえってくれと。。。
見ると、手にはパンツを。。。なんか臭ってくる~ 「う~~なにを持ってるんや」。。。
このころの父は歩いていると突然歩けなくなる(原因はわからないです)ので、よくここまで来れたなあ~と感心したものでした。 私の家から両親が住んでいる家までは200mぐらいでしょうか。 帰るころには腕をつかんで支えながら歩かないと突然足が前にでなくなってひっくり返ってしまうので、けっこう腕に力がいります。
家につくと母は携帯でのんきにお友達と長話の最中でした。 父はパンツを汚したものの母が電話をしていたので、汚れたパンツをどうしていいのかわからず、私んちまで持って来たものの帰る道がわからなくなったようです。
母に長電話をしてるしや。。とゆうと反対に怒って、父になんで娘のとこに行くんやと逆切れです。
こうゆうことが2度ありました。 一度目は布のパンツ。 2回目はリハビリパンツでした。
後日この日のことをゆうと、母は覚えていなくって。。。覚えていないどころか、おじいさんがそんなことするはずがないときっぱりと否定されました。
母は京都の神経内科に通っているときにそこの先生がパーキンソン病の薬もだしていたので、友達にパーキンソン病だとゆうとそれは難病指定の何番目(忘れた)だといわれて。。。難病だと受け入れられるようで。。。あとで認知症だといわれてもそれは受け入れられなかったです。
パンツ事件のあと、しばらくして夜の徘徊が始まりました。
夜中の12時に電話がなって、おじいさんがいいひん。。。と。。。
近所中を探し回って。。。やっと見つけて。。。
「もうこんな夜中になにをしてんねんや!」と私。
「なにって散歩や!」
「散歩って今、夜中やで」
「昼間は車が通ってて危ないやろ」。。。と父。
「そらそうやけど。。。んで、家はどっちや」と聞いてみたら。。。
「こっち」と逆方向を指差して歩き始めました。
「もうちがうやろ。」と向きをかえて歩くとちょっと休憩と。立ち止まって。。。
休み休み家まで帰ってくると母が表で待っていました。
2回目の徘徊のときに
「とうとう徘徊が始まったなあ。」とゆうと母は「徘徊と決め付けるのはどうかとおもう。私への嫌がらせでやっているんやと」。。。
私への嫌がらせで私は夜中の12時や1時に近所中を歩いて探してんのかとゆうと母は黙っていました。
3回目のときは一回目や二回目のときよりも距離が延びていて、帰るのを嫌がるので連れてかえるのに一苦労でした。 このころには私も携帯を持っていたので、娘に電話をして車で迎えに来てもらいました。
上の弟になんかいい方法はないかと、相談したら知り合いのサッシ屋さんが家の戸に第3の鍵をつくってくれました。 引き戸だったのでちょうど真ん中に外からは見えないように、家の中からは鍵ができるようにと。。。
これは効果がありました。が。。。今度は。。。
父はもう自分では鍵を開けることができないので、ガラスをわって外に出ると言い出したので、もし本当に割って大怪我でもしたら大変とサッシ屋さんにガラスにシールを貼ってもらいました。 万が一わっても破片が飛び散らないようにと。。。
これも効果がありました。シールを貼っているのを見ていた父はガラスを割るとはいわなくなりました。
その代わり、毎日鍵穴をガチャガチャしては開かないので、鍵屋を呼んでくれと。。。鍵屋さんってどこにあるのかわからへんとゆうと諦めて。。。でも翌日にはまた同じことを。。。これが毎日続きました。
昼間、鍵を開けることに集中して疲れるのか、しばらく夜中の徘徊がなくなりました。
6月の守山駅前のビオトープ
紫陽花がきれいに咲いていました。