地図を見ていて、以前から気になっていた道があったんだ。埼玉県東松山市にある岩殿観音へ続く巡礼街道という道だ。
いつものように小川町駅を出たのは9時過ぎ、雲のかけらもない青空が広がっているよ。これこそが秋晴れというんだ。
熊谷小川秩父線・飯能寄居線という県道の槻川に架かる橋からの眺めだよ。空も水も青い。空気がとても澄んでいる。寒くもなく暑くもなくちょうどいい陽気だ。
大きな交差点を越えて裏道を行く。
いい雰囲気の塀だね。今日はたっぷり時間がある。のんびり走ろう。
西光寺という大きな屋根のお寺があったよ。室町時代の後期に開創されたといわれる曹洞宗の寺院だ。山門の上は鐘楼になっている。
山門の右手の境内に立派なしだれ桜があった。花の季節にはさぞ見事なことだろう。
山門の中には小ぶりな仁王像が安置されている。
槻川の水面がきらきら光っているよ。気持ちのいい朝だ。
旧下里分校だ。ここの分校カフェでは地元の食材を使用した軽い食事が楽しめるそうだが、まだ開いている時間ではなかったんだ。
青空が素晴らしいね。
下里からは槻川に沿った静かな道を行く。この道は去年の4月、桂木観音や弓立山を訪ね、武蔵嵐山へ向かうときに通ったことがあるが、その時とはまた違う景色だ。
雨のあとで、路面に水たまりのできているところがあるけれど、とてもしっとりした空気に包まれているよ。人の姿もほとんど見当たらない。
こんなところも通った記憶があるような気がする。
車も通らない静かな道だ。そこここに秋を感じるね。
嵐山渓谷だ。
しばらくはのどかな山村を行く。
都幾川に架かる和田橋を渡りさらに進む。
この先から巡礼街道が始まるんだろう。巡礼街道は道がかなり荒れているらしい。ワクワクもするが不安でもある。
舗装道路が行きどまったところから、いよいよ巡礼街道に入ったよ。
この巡礼街道は、その昔、慈光寺と岩殿観音・正法寺を結んでいた旧道だそうだ。慈光寺までのルートはよくわからないが、正法寺まではここから何とか辿れそうだよ。
砂利と草の細い道を300メートルほど進むと、あっけなく舗装道路に出た。赤貫通りというらしい。
この赤貫通りを右の方へ少し行くと、「サバゲーの森・鳩山」の看板があった。ここを入って行くのだろう。
サバゲーとはサバイバルゲームのことだね。ものものしい服装の大人たちが、ジャングルのような密林の中で敵と味方に分かれ、エアー銃を撃ち合い、戦争のまねごとのようなことをする。みみ爺には空恐ろしいゲームだ。
ふたたび荒れた山道になるよ。
たぶんサバゲー施設へ行く車が通るのだろう、石ころだらけの上に轍が刻まれていて走りにくい。木々に覆われ、まるでトンネルの中を行くようだよ。
「サバゲーの森」入り口を過ぎると、走りにくい轍はなくなったが、道はさらに細く、欝蒼とした森の中を進むようになる。二、三日前に降った雨のせいで滑るうえにでこぼこしている。
広い道に出た。笛吹峠とある。この道は旧鎌倉街道ということだよ。
トイレと、東屋風の休憩所がある。はじめての道で緊張もしていたし、走りにくい道を頑張ったので何となく疲れた。
休憩所で一休み。
「今日は風が強いですね」
と、一人で休んでいたロードバイクの中年男性が言う。
「そうですか、今日は風が強いですか。私は山の中を走っていたのでわかりませんでした」
少し休んですぐにし出発した。
「気を付けてください」
「ありがとうございます」
ふたたび巡礼街道へ。
巡礼街道はロードではちょっときつい道だね。
この辺はまだいい雰囲気だ。
右手の金網の向こうに倉庫のような建物が見えた。良品計画とは無印良品のことだね。
林の中をさらに進む。ぬかるみもある。
ようやくガタガタ道を抜けた。県道41号だね。
ほっとしたのも束の間、廃棄物処理施設のゲートを入っていくような感じで、さらに荒れた道へ進むよ。
栗がやたら落ちている。栗のイガでパンクすることがあるので、踏まないように必死でよける。
細い道だけれどようやく舗装路に出る。
地球観測センター通りというらしい。力が抜ける感じでほっとしたよ。
パラボラアンテナだ。ここがJAXAの宇宙航空研究開発機構・地球観測センターだね。
ここからはもう荒れた道ではない。岩殿観音はもうすぐだね。
ようやく巡礼街道を出たところは県道343号岩殿岩井線だ。
物見山駐車場入り口の反対側に、石ころだらけの急勾配の山道がある。100メートルほど頑張って上ると物見山の山頂に出た。山頂からは東松山の街が遠く眺められる。
ここで、空いているベンチを見つけたので、おにぎりとインスタント味噌汁でお昼にしたよ。
食後にはコーヒーを入れた。このコーヒーミルは数日前に買ったもので、豆を挽くのは、じつは今回が二度目だ。
挽きたてのコーヒーの味はやっぱり違う。天気もよく眺めもいい山の上でいただく本格コーヒーは最高だね。
正法寺・岩殿観音に着いたよ。
こちらは真言宗の寺院で、坂東三十三ヶ所の十番札所ということだよ。
観音堂は古刹の雰囲気がすごい。
みみ爺はこの観音堂を見て、なぜが海辺に佇むひどく年老いた漁師の姿を想ったんだ。擦り切れた洗いざらしの麻のシャツを着て、すっかり膝の出たつぎはぎだらけの古い綿のズボンをはき、裸足で砂の上に立っている。来し方行く末をじっと見つめるような眼差しで遠くを見ているのだ。
その老いた漁師は、顔も手足も本来の色は消え失せて浅黒く日に焼けし、しかもその皮膚はたくさんの皺としみに覆われている。印象的なのはその眼だけがきらきら光っていることだ。…これがこの古い観音堂の印象だ。
千手観音を安置するこの観音堂は、創建以来三度の火災に見舞われ、現在のお堂は1872年に飯能市から移築されたという。ちなみに、安置されている千手観音は室町時代のものだそうだ。
観音堂の前の大イチョウは推定700年の樹齢ということだよ。みごとだね。
薬師堂だ。その後ろに見えるのは百体地蔵堂というんだね。
かやぶき屋根の鐘楼だ。1702年に再建され、東松山市で最古の建物といわれているそうだよ。ちなみに、銅鐘は1322年に鋳造されたものらしい。
鐘楼の先には、まっすぐに伸びる参道と、その両側に並ぶ門前町の家並みが見られる。
そのほかの境内の様子だ。
これは絵馬堂というんだね。
絵馬堂の背後の崖下に並んでいる石仏群は四国八十八ヶ所仏だ。
参道へ下りる道が分からなかったので、仕方なく自転車を担いでこの石段を下りたんだ。荷物の詰まったかなり重いフロントバックを付けていたので、この長い石段はきつかったよ。
どうにか仁王門(山門)まで下りて来たよ。
仁王門の正面だ。
仁王門の中には、真っ赤な仁王像が収められている。
ここは正法寺の本堂だね。ひっそりと秋の日差しを浴びている。
まっすぐに伸びている石畳の参道を行く。
参道の先には、赤い橋と弁天島の弁天堂のある小さな池があったよ。
弁天沼とある。別名「鳴かずの池」ということだ。
弁天沼のそばに大きな榎が立っている。東松山市の名木とあるよ。
六地蔵の並ぶ背後は墓地になっている。
斜面に広がる墓地の中ほどに、阿弥陀堂の板石塔婆というのが立っていた。この大きな板碑から当時の岩殿山の繁栄と信仰の高まりが分かるというのだが…。
阿弥陀堂は今はなく、岩殿会館となっている。
時間がまだ早い。そこで東松山にある岩室観音堂とその近くにある吉見百穴まで行ってみることにしたんだ。
途中の、県道41号唐子橋からの都幾川だ。空と水の色がきれいだね。
岩室観音堂だ。一見山門のように見えるがこれ自体がお堂なのだ。懸造りという様式で造られている。
この観音堂は810~824年ころに建立されたと言われているけれど、確かな記録は残っていないそうだ。当時のお堂はその後焼失して、現在のお堂は江戸時代1661~1673に再建されたという。江戸時代のものとしては、懸造り様式はたいへんめずらしいものだそうだ。
お堂の左右の洞窟内にはたくさんの石仏が安置されている。その数は88体。四国八十八ヶ所の霊地に祀られた本尊を模したものといわれているよ。
お堂から眺める街の様子だ。
鎖を頼りに急な岩場を上ると、
これが胎内くぐりだ。
岩室観音の胎内くぐりはハート型になっている。胎内くぐりをすると、子宝、安産、子育ての願いに通じるといわれている。みみ爺も行きがかり上胎内くぐりをさせていただいたけれど、さてどんなご利益があるのかね、みみ爺には。
吉見百穴は岩室観音の少し先にあった。すっかり観光地化されてにぎわっている。
現在219基の穴が確認されているそうだ。およそ1400年前の古墳時代後期の横穴墓群だ。穴内の台座に棺桶を安置したとされている。
太平洋戦争中、この岩山には軍需工場が造られた。
この穴にはヒカリゴケが自生しているというが…。緑色に見えるのがヒカリゴケなのかなあ?
岩山の上から街を望む。今日の旅の終わりの景色だ。お疲れさん、みみ爺。
巡礼街道地図
いつものように小川町駅を出たのは9時過ぎ、雲のかけらもない青空が広がっているよ。これこそが秋晴れというんだ。
熊谷小川秩父線・飯能寄居線という県道の槻川に架かる橋からの眺めだよ。空も水も青い。空気がとても澄んでいる。寒くもなく暑くもなくちょうどいい陽気だ。
大きな交差点を越えて裏道を行く。
いい雰囲気の塀だね。今日はたっぷり時間がある。のんびり走ろう。
西光寺という大きな屋根のお寺があったよ。室町時代の後期に開創されたといわれる曹洞宗の寺院だ。山門の上は鐘楼になっている。
山門の右手の境内に立派なしだれ桜があった。花の季節にはさぞ見事なことだろう。
山門の中には小ぶりな仁王像が安置されている。
槻川の水面がきらきら光っているよ。気持ちのいい朝だ。
旧下里分校だ。ここの分校カフェでは地元の食材を使用した軽い食事が楽しめるそうだが、まだ開いている時間ではなかったんだ。
青空が素晴らしいね。
下里からは槻川に沿った静かな道を行く。この道は去年の4月、桂木観音や弓立山を訪ね、武蔵嵐山へ向かうときに通ったことがあるが、その時とはまた違う景色だ。
雨のあとで、路面に水たまりのできているところがあるけれど、とてもしっとりした空気に包まれているよ。人の姿もほとんど見当たらない。
こんなところも通った記憶があるような気がする。
車も通らない静かな道だ。そこここに秋を感じるね。
嵐山渓谷だ。
しばらくはのどかな山村を行く。
都幾川に架かる和田橋を渡りさらに進む。
この先から巡礼街道が始まるんだろう。巡礼街道は道がかなり荒れているらしい。ワクワクもするが不安でもある。
舗装道路が行きどまったところから、いよいよ巡礼街道に入ったよ。
この巡礼街道は、その昔、慈光寺と岩殿観音・正法寺を結んでいた旧道だそうだ。慈光寺までのルートはよくわからないが、正法寺まではここから何とか辿れそうだよ。
砂利と草の細い道を300メートルほど進むと、あっけなく舗装道路に出た。赤貫通りというらしい。
この赤貫通りを右の方へ少し行くと、「サバゲーの森・鳩山」の看板があった。ここを入って行くのだろう。
サバゲーとはサバイバルゲームのことだね。ものものしい服装の大人たちが、ジャングルのような密林の中で敵と味方に分かれ、エアー銃を撃ち合い、戦争のまねごとのようなことをする。みみ爺には空恐ろしいゲームだ。
ふたたび荒れた山道になるよ。
たぶんサバゲー施設へ行く車が通るのだろう、石ころだらけの上に轍が刻まれていて走りにくい。木々に覆われ、まるでトンネルの中を行くようだよ。
「サバゲーの森」入り口を過ぎると、走りにくい轍はなくなったが、道はさらに細く、欝蒼とした森の中を進むようになる。二、三日前に降った雨のせいで滑るうえにでこぼこしている。
広い道に出た。笛吹峠とある。この道は旧鎌倉街道ということだよ。
トイレと、東屋風の休憩所がある。はじめての道で緊張もしていたし、走りにくい道を頑張ったので何となく疲れた。
休憩所で一休み。
「今日は風が強いですね」
と、一人で休んでいたロードバイクの中年男性が言う。
「そうですか、今日は風が強いですか。私は山の中を走っていたのでわかりませんでした」
少し休んですぐにし出発した。
「気を付けてください」
「ありがとうございます」
ふたたび巡礼街道へ。
巡礼街道はロードではちょっときつい道だね。
この辺はまだいい雰囲気だ。
右手の金網の向こうに倉庫のような建物が見えた。良品計画とは無印良品のことだね。
林の中をさらに進む。ぬかるみもある。
ようやくガタガタ道を抜けた。県道41号だね。
ほっとしたのも束の間、廃棄物処理施設のゲートを入っていくような感じで、さらに荒れた道へ進むよ。
栗がやたら落ちている。栗のイガでパンクすることがあるので、踏まないように必死でよける。
細い道だけれどようやく舗装路に出る。
地球観測センター通りというらしい。力が抜ける感じでほっとしたよ。
パラボラアンテナだ。ここがJAXAの宇宙航空研究開発機構・地球観測センターだね。
ここからはもう荒れた道ではない。岩殿観音はもうすぐだね。
ようやく巡礼街道を出たところは県道343号岩殿岩井線だ。
物見山駐車場入り口の反対側に、石ころだらけの急勾配の山道がある。100メートルほど頑張って上ると物見山の山頂に出た。山頂からは東松山の街が遠く眺められる。
ここで、空いているベンチを見つけたので、おにぎりとインスタント味噌汁でお昼にしたよ。
食後にはコーヒーを入れた。このコーヒーミルは数日前に買ったもので、豆を挽くのは、じつは今回が二度目だ。
挽きたてのコーヒーの味はやっぱり違う。天気もよく眺めもいい山の上でいただく本格コーヒーは最高だね。
正法寺・岩殿観音に着いたよ。
こちらは真言宗の寺院で、坂東三十三ヶ所の十番札所ということだよ。
観音堂は古刹の雰囲気がすごい。
みみ爺はこの観音堂を見て、なぜが海辺に佇むひどく年老いた漁師の姿を想ったんだ。擦り切れた洗いざらしの麻のシャツを着て、すっかり膝の出たつぎはぎだらけの古い綿のズボンをはき、裸足で砂の上に立っている。来し方行く末をじっと見つめるような眼差しで遠くを見ているのだ。
その老いた漁師は、顔も手足も本来の色は消え失せて浅黒く日に焼けし、しかもその皮膚はたくさんの皺としみに覆われている。印象的なのはその眼だけがきらきら光っていることだ。…これがこの古い観音堂の印象だ。
千手観音を安置するこの観音堂は、創建以来三度の火災に見舞われ、現在のお堂は1872年に飯能市から移築されたという。ちなみに、安置されている千手観音は室町時代のものだそうだ。
観音堂の前の大イチョウは推定700年の樹齢ということだよ。みごとだね。
薬師堂だ。その後ろに見えるのは百体地蔵堂というんだね。
かやぶき屋根の鐘楼だ。1702年に再建され、東松山市で最古の建物といわれているそうだよ。ちなみに、銅鐘は1322年に鋳造されたものらしい。
鐘楼の先には、まっすぐに伸びる参道と、その両側に並ぶ門前町の家並みが見られる。
そのほかの境内の様子だ。
これは絵馬堂というんだね。
絵馬堂の背後の崖下に並んでいる石仏群は四国八十八ヶ所仏だ。
参道へ下りる道が分からなかったので、仕方なく自転車を担いでこの石段を下りたんだ。荷物の詰まったかなり重いフロントバックを付けていたので、この長い石段はきつかったよ。
どうにか仁王門(山門)まで下りて来たよ。
仁王門の正面だ。
仁王門の中には、真っ赤な仁王像が収められている。
ここは正法寺の本堂だね。ひっそりと秋の日差しを浴びている。
まっすぐに伸びている石畳の参道を行く。
参道の先には、赤い橋と弁天島の弁天堂のある小さな池があったよ。
弁天沼とある。別名「鳴かずの池」ということだ。
弁天沼のそばに大きな榎が立っている。東松山市の名木とあるよ。
六地蔵の並ぶ背後は墓地になっている。
斜面に広がる墓地の中ほどに、阿弥陀堂の板石塔婆というのが立っていた。この大きな板碑から当時の岩殿山の繁栄と信仰の高まりが分かるというのだが…。
阿弥陀堂は今はなく、岩殿会館となっている。
時間がまだ早い。そこで東松山にある岩室観音堂とその近くにある吉見百穴まで行ってみることにしたんだ。
途中の、県道41号唐子橋からの都幾川だ。空と水の色がきれいだね。
岩室観音堂だ。一見山門のように見えるがこれ自体がお堂なのだ。懸造りという様式で造られている。
この観音堂は810~824年ころに建立されたと言われているけれど、確かな記録は残っていないそうだ。当時のお堂はその後焼失して、現在のお堂は江戸時代1661~1673に再建されたという。江戸時代のものとしては、懸造り様式はたいへんめずらしいものだそうだ。
お堂の左右の洞窟内にはたくさんの石仏が安置されている。その数は88体。四国八十八ヶ所の霊地に祀られた本尊を模したものといわれているよ。
お堂から眺める街の様子だ。
鎖を頼りに急な岩場を上ると、
これが胎内くぐりだ。
岩室観音の胎内くぐりはハート型になっている。胎内くぐりをすると、子宝、安産、子育ての願いに通じるといわれている。みみ爺も行きがかり上胎内くぐりをさせていただいたけれど、さてどんなご利益があるのかね、みみ爺には。
吉見百穴は岩室観音の少し先にあった。すっかり観光地化されてにぎわっている。
現在219基の穴が確認されているそうだ。およそ1400年前の古墳時代後期の横穴墓群だ。穴内の台座に棺桶を安置したとされている。
太平洋戦争中、この岩山には軍需工場が造られた。
この穴にはヒカリゴケが自生しているというが…。緑色に見えるのがヒカリゴケなのかなあ?
岩山の上から街を望む。今日の旅の終わりの景色だ。お疲れさん、みみ爺。
巡礼街道地図