今朝は霧が深い。9時近くまで霧は晴れなかったよ。
ペダルをこいでいるので体は暖かいが、手がとても冷たい。
白鳥の飛来する田んぼへの入り口にあるビニールハウスの中で、キムチやキムチ味の漬物類を売っている韓国人のおばさんがいる。みみ爺はここへ来るたびに、何種類かの漬物を買う。饅頭や団子を買うこともある。
買ったものは白鳥を見た後に受け取って帰るんだが、すっかり顔なじみになって、必ずコーヒーを入れて待っていてくれる。
白鳥はだいぶ数が減ったようだよ。もう北帰行が始まったのだろうか。
白鳥は、普段は時速60キロほどのスピードで飛ぶが、シベリアや北海道よりの行き帰りはジェット気流に乗って、時速240キロ以上で飛ぶそうだよ。新幹線なみのスピードだね。
オオハクチョウは3000キロ、コハクチョウはからだが軽いので4000キロの距離を飛ぶそうだ。もちろんノンストップではなく何度も中継地で休みながら2週間でシベリアまで飛んでいくという。
のまず食わずで3000キロ、4000キロを飛んでいくわけだが、渡りきれる鳥は80%ほどだそうだよ。あとの20%は力尽きて海に落ちるか、渡りの経験のない幼鳥は群れからはぐれて迷子の鳥になるという。
飛行コースは、北海道から千島列島を経てシベリアへ渡るコースと、北海道からサハリンを経て渡るコースとがあるらしい。いずれにしろ大変な旅だよ。
今、ここにいる白鳥たちも、じき飛び立っていく。
白鳥たちにとってはまさに命がけの旅だ。そんな旅を控えていながら、この白鳥たちの顔はなんと穏やかなことだろう。緊張はしていないのだろうか。不安ではないのだろうか。なぜ命がけの旅を繰り返さなければならないのか。
そんなことを考えながら見ていると、その生き様がとてもいじらしく物悲しく、また儚く美しく思われて、胸にこみ上げてくるものがある。
今はもう餌は食べなくなっているそうだ。体を軽くして、飛び立つ準備をしているのだという。どうか無事にシベリアまで飛んでいってほしい。
体が冷えてきたのでみみ爺は帰ることにする。もっと白鳥たちを見ていたい。後ろ髪を惹かれる思いで歩き出した。
前方のビニールハウスの中のおばさんがこちらを見ている。と、紙コップにポットから湯を注ぎスプーンでかき回している。もどっていくみみ爺の姿を見てコーヒーを用意してくれているのだ。
「飲んでいきな」
「いつもありがとう」
「そこに座ってのみな」
おばさんは日本語があまり上手ではない。意味がわからないことが幾度もある。でも心は伝わってくる。
みみ爺は商品台の片隅に腰を下ろして、コーヒーの入った熱い紙コップを、両手を温めるように持って飲んだよ。
「冷えた体には本当においしいです」
「わたしはコーヒーが好きなんだ。これは韓国のコーヒーだよ。ミルクも韓国のだよ」
「とてもおいしいですね」
もちろんインスタントコーヒーだが、国産のインスタントのものよりおいしく感じられる。
「ここは、白鳥たちがいなくなったらおしまい。片付けちゃう」
「どこかにお店はあるんですか」
「ないよ、白鳥がいなくなったらおしまい」
「おいしい漬物なのに残念ですね」
「ありがとう」
「もうすぐ白鳥たちはいなくなってしまいますね。ずいぶん数が減ってしまいましたね」
「半分くらいはもう飛んで行ったよ」
「その辺の田んぼにではなく、シベリアへ?」
「そう、シベリアへ」
「淋しくなりますね」
「また11月まで」
「夕方から夜に飛んでいく。満月の夜に飛んでいく」
と、おばさんは言う。
「夜に飛んでいくんですか」
「うん、夜飛んでいく」
月明かりの中を白鳥たちの飛び立っていく幻想的な光景が美しく想い浮かぶ。
今日はいつもより人が少ない。このビニールハウスへ立ち寄る人もほとんどいない。
温かいコーヒーで体が温まってきたのでみみ爺は帰ることにした。
「ご馳走さまでした。とてもおいしかったです。またきます」
「気をつけてね」
優しい笑顔で見送ってくれる。
白鳥のとても穏やかな顔を見、おばさんの気持ちのこもった熱いコーヒーをいただき、今日もまた心が温かいものでいっぱいになって帰路についた。
ペダルをこいでいるので体は暖かいが、手がとても冷たい。
白鳥の飛来する田んぼへの入り口にあるビニールハウスの中で、キムチやキムチ味の漬物類を売っている韓国人のおばさんがいる。みみ爺はここへ来るたびに、何種類かの漬物を買う。饅頭や団子を買うこともある。
買ったものは白鳥を見た後に受け取って帰るんだが、すっかり顔なじみになって、必ずコーヒーを入れて待っていてくれる。
白鳥はだいぶ数が減ったようだよ。もう北帰行が始まったのだろうか。
白鳥は、普段は時速60キロほどのスピードで飛ぶが、シベリアや北海道よりの行き帰りはジェット気流に乗って、時速240キロ以上で飛ぶそうだよ。新幹線なみのスピードだね。
オオハクチョウは3000キロ、コハクチョウはからだが軽いので4000キロの距離を飛ぶそうだ。もちろんノンストップではなく何度も中継地で休みながら2週間でシベリアまで飛んでいくという。
のまず食わずで3000キロ、4000キロを飛んでいくわけだが、渡りきれる鳥は80%ほどだそうだよ。あとの20%は力尽きて海に落ちるか、渡りの経験のない幼鳥は群れからはぐれて迷子の鳥になるという。
飛行コースは、北海道から千島列島を経てシベリアへ渡るコースと、北海道からサハリンを経て渡るコースとがあるらしい。いずれにしろ大変な旅だよ。
今、ここにいる白鳥たちも、じき飛び立っていく。
白鳥たちにとってはまさに命がけの旅だ。そんな旅を控えていながら、この白鳥たちの顔はなんと穏やかなことだろう。緊張はしていないのだろうか。不安ではないのだろうか。なぜ命がけの旅を繰り返さなければならないのか。
そんなことを考えながら見ていると、その生き様がとてもいじらしく物悲しく、また儚く美しく思われて、胸にこみ上げてくるものがある。
今はもう餌は食べなくなっているそうだ。体を軽くして、飛び立つ準備をしているのだという。どうか無事にシベリアまで飛んでいってほしい。
体が冷えてきたのでみみ爺は帰ることにする。もっと白鳥たちを見ていたい。後ろ髪を惹かれる思いで歩き出した。
前方のビニールハウスの中のおばさんがこちらを見ている。と、紙コップにポットから湯を注ぎスプーンでかき回している。もどっていくみみ爺の姿を見てコーヒーを用意してくれているのだ。
「飲んでいきな」
「いつもありがとう」
「そこに座ってのみな」
おばさんは日本語があまり上手ではない。意味がわからないことが幾度もある。でも心は伝わってくる。
みみ爺は商品台の片隅に腰を下ろして、コーヒーの入った熱い紙コップを、両手を温めるように持って飲んだよ。
「冷えた体には本当においしいです」
「わたしはコーヒーが好きなんだ。これは韓国のコーヒーだよ。ミルクも韓国のだよ」
「とてもおいしいですね」
もちろんインスタントコーヒーだが、国産のインスタントのものよりおいしく感じられる。
「ここは、白鳥たちがいなくなったらおしまい。片付けちゃう」
「どこかにお店はあるんですか」
「ないよ、白鳥がいなくなったらおしまい」
「おいしい漬物なのに残念ですね」
「ありがとう」
「もうすぐ白鳥たちはいなくなってしまいますね。ずいぶん数が減ってしまいましたね」
「半分くらいはもう飛んで行ったよ」
「その辺の田んぼにではなく、シベリアへ?」
「そう、シベリアへ」
「淋しくなりますね」
「また11月まで」
「夕方から夜に飛んでいく。満月の夜に飛んでいく」
と、おばさんは言う。
「夜に飛んでいくんですか」
「うん、夜飛んでいく」
月明かりの中を白鳥たちの飛び立っていく幻想的な光景が美しく想い浮かぶ。
今日はいつもより人が少ない。このビニールハウスへ立ち寄る人もほとんどいない。
温かいコーヒーで体が温まってきたのでみみ爺は帰ることにした。
「ご馳走さまでした。とてもおいしかったです。またきます」
「気をつけてね」
優しい笑顔で見送ってくれる。
白鳥のとても穏やかな顔を見、おばさんの気持ちのこもった熱いコーヒーをいただき、今日もまた心が温かいものでいっぱいになって帰路についた。