無理しないでボチボチ

ジョークとニュース間違え無いように  

全てNETのコピペで出来ています。不都合なものは連絡ください。

酒場にて

2014年08月13日 | 面白画像

酒場にて
男A「しかしあれだな。君は見れば見るほど俺の女房に顔が似てるな」
男B「そうかい?」
男A「ああ、ヒゲ以外は何から何までそっくりだ」
男B「何言ってるんだ、俺はヒゲなんて生やしてないぜ」
男A「いや、うちの女房が生やしてるんだ」


男A「しかしあれだな。君は見れば見るほど俺の女房に顔が似てるな」
男B「そうかい?」
男A「ああ、ヒゲ以外は何から何までそっくりだ」
男B「何言ってるんだ、俺はヒゲなんて生やしてないぜ」
男A「いや、うちの女房が生やしてるんだ」


  

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息子がいるんですがね。こいつがゲイだってことがわかったんです

2014年08月13日 | 面白画像

下町の酒場で、たまたま隣り合った二人の男。
「聞いてくださいよ…今日はもう最悪の日でね」
「最悪の日? いったい何があったんですか」
「息子がいるんですがね。こいつがゲイだってことがわかったんです」
「ほう・・・。ま、人それぞれですからねえ…でも息子さんとなるとやっぱり心配ですね」
「それだけじゃないんですよ。他にも息子がいるんですが、こいつもゲイだとわかったんです」
「おや…二人となるとこれは大変ですね。お子さんはお二人ですか」
「息子ばかり五人います。うちの家族、ちょっと変かもしれませんね」
「でも、女性の方が好きだという方も、一人ぐらいはいらっしゃるんでしょう?」
「まあね。女房が」

 


  

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眼が弱くなってきた男が、愛する妻のためにセクシーなシースルー下着を買ってきた

2014年08月13日 | 面白画像

 眼が弱くなってきた男が、愛する妻のためにセクシーなシースルー下着を買ってきた。妻はさっそく寝室で下着を
身につけようとしたが、サイズが小さすぎて、まったく入らなかった。妻は困ったが、どうせ夫は眼が余り見えないのだし、
シースルー下着なのだから、何も着ずに夫の前へと出ることにした。
 ようやく寝室から出てきた妻の身体をしげしげと見た夫は、忌々しげに言った。
「あの店員、500ドルも取ったんだから、アイロンの一つも掛けて寄こせばいいものを」

 


  

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おかんがお好み焼きを焼いてくれた

2014年08月13日 | 面白画像

太郎と次郎は兄弟だ。
ある日おかんがお好み焼きを焼いてくれた。
二人はお好み焼きをめぐって喧嘩を始めた。
おかんは言った。
「お釈迦様だったら兄弟に先にやってくれって言うわよ」
太郎は言った。
「次郎、オマエお釈迦様やれ」

 


  

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墓参りでもいくか

2014年08月13日 | 面白画像

◆電話くん
公衆くん『リストラだよ』
据置きくん『オレも最近肩身せまいよ』
携帯くん『オレだって使い捨てたぜ』

◆電話くん2

公衆くん・据置きくん・携帯くん
『ポケベルくんの墓参りでもいくか』

PHSくん「なんだよ、みんな僕には声一つかけないよ」

 


  

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腕利きの殺し屋は、ある男の殺しを依頼された。

2014年08月13日 | 面白画像

腕利きの殺し屋は、ある男の殺しを依頼された。
まずその男の生活パターンを調べたところ、朝はきっかり7時起床、
7時半ジョギング、8時出社、夜7時帰宅というように、
時計のように規則正しい生活ぶりだった。
「これならやりやすい。1人になるジョギングのときを狙おう」
そして決行の日。殺し屋は銃を用意してスタンバイしていた。
が、7時半を過ぎたというのに男はいっこうに現れない。5分過ぎ、10分過ぎ…。
8時を過ぎても現れない。殺し屋はつぶやいた。
「ヤツの身に何もなければいいが…」

 


  

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立川談志の噺、「人情八百屋」

2014年08月13日 | 落語・民話

立川談志の噺、「人情八百屋」(にんじょうやおや)より


 

 日本橋茅場町の八百屋の平助は、10日ほど前、霊岸島の裏長屋で、おかみさんが出てきて茄子を半分の五つだけ分けて欲しいという。渡していたら、子供が出てきてその茄子をムシャムシャかじりだした。聞くと、「亭主が3年越しの患いで、食べる物にも事欠くありさま。お恥ずかしい所をお見せしました」とポロリと涙を流した。売り上げの銭300文と弁当を上げて帰ってきたが、あの一件どうなっただろうと女房に話すと、「直ぐ行ってきな」と背中を押された。

 確かこの家だと思ったが、貸家札が貼ってある。近所の者に聞くと「源兵衛さん夫婦二人とも死んで、子供達は奥の鳶の鉄五郎の家に居る」という。訪ねると、奥さんが居てその時の八百屋だと分かると、会いたかったから上がれと勧められた。経緯を聞くと「その晩は久しぶりのお金で夕飯を食べようと喜んでいたが、そこに表通りで質屋をしている因業大家が現れ半分にしてくれと懇願したが、300文全部ひったくるようにして家賃だと持って行った。子供二人を表に遊びに出して、奥さんは梁に首を吊り、亭主は舌をかみ切って死んでしまった。
 長屋は大騒ぎ。そこに亭主の鉄五郎が帰ってきて、その話を聞くと鳶口持って大家の家をメチャメチャに壊した。長屋の連中も一緒になって暴れ、役人が飛んできたが、遠くで「ひかえろ、止めろ」と言うだけで手出しはしなかった。その後、大家が20両の金で詫びを入れたので、立派な葬儀が出せた。今も鉄五郎は子供二人を連れて墓参りに行っている。亭主も会いたがっていたから上がれ」という。「私の一寸した親切が二人を殺し・・・、奥さん、出刃包丁はありませんか。そんな血も涙も無い奴は生かしちゃおけねぇ」、「いやよ。出刃包丁なんか無い。そんな物、見たことも無い。そんな事したらアンタが駄目になってしまうから、お線香の1本でも上げて、念仏を唱えてあげてぇ~」、「そうですね、分かりました。私があんな事しなかったら、こんな形で仏壇には居なかったのに、子供二人を残して浮かばれないだろな。浮かばれね~、浮かばれね~」。

 「おっかぁ、今帰ったよ。子供は汁粉を食べてぇからというので、食べさせたが・・・。仏壇の前で『浮かばれねぇ』と言っている奴を上げるんじゃねぇ。それで無くても浮かばれない仏様なんだから」、「あんたが会いたがっていた八百屋さんだよ」、「そうか。こっちへ来てくれ。あんたが悪いんじゃねぇ。それで、話は聞いた?」、「全て聞きました」、「話すことは無いんだが、大家の家に飛んで行って、形のあるものは全て長屋の連中と壊して、壊し得くの壊され損になり、役人も事情を聞くと座り直して聞いてくれた。
 八百屋さん、気っ風が良いので、兄弟分になってくれないか」、「とんでもない。勇みの親分に、八百屋風情が」、「そんな事では無い。『ちょっと寄ったがご機嫌は』位の付き合いだ」、「それではお願いします。私を弟分として」、「平助さんは幾つ?五十二才、俺は二十七だよ。止めてくれよ年上の弟なんて」、「それでは、その様に」。
 「うれしいね。固めの盃だ。で、頼みがあるんだ兄貴。・・・源ちゃんにお多美ちゃん、ここに座(す)わんな。俺は貧乏で二人を食わしていくことが出来ないんだ。子供だって遠慮して不味い物、食わしても『姉ちゃん、旨いね』と言うんだ。俺は火事場で火に巻かれて死ぬかも知れない、一人なら何とかなるんだが・・・、一人、何とか面倒見てくれないか」、「そうさせていただきます」、「良かった。どちらを連れて行ってくれる」、「いえ、二人とも面倒見させて下い。兄弟は二人でいれば、嬉しいこと悲しいこと何でも話せて支え合って生きていけます。帰って婆さんに話して、改めて迎えに来ます」、「分かった。有り難うよ。仕立て下ろしの着物を着せて渡す」。
 「今聞いたとおりだ。分かったな。生みの親より育ての親という。これからのお父つぁんだ。可愛がってもらえよ」、親に早く別れる子はしっかりした利口者なのか「うん、お父つぁん」。言われた平助はたまらなくなった。

 家を後に、鉄五郎に「私ふぜいの八百屋に、子供を預かっても良いんでしょうか」、
「当たり前だろう。俺の商売は何だと思っている。火消しだよ。火付け(躾け)と思うだけでも恐ろしい」。

 


  

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墓参り

2014年08月13日 | 面白画像

■家族の写真
私の前の上司(課長)は無口、無表情。雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。
誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、堅過ぎて近寄りにくい雰囲気がありました。
そんな課長の机の上には奥さん、子供四人と写った写真が飾られてて、
「あの朴念仁でも家族は愛してるんだな」と微笑ましく思ったものです。
何年経っても同じ写真が飾ってあったので、理由を聞いてみたら、
「一番かわいかった頃の写真だからね」と照れ笑いを浮かべながら答えてくださいました。
それが私の見た唯一の課長の笑顔でした。
そんな真面目一徹、入社以来無遅刻無欠勤の課長が三日続けて無断欠勤。
家に電話しても誰も出ず、親族の連絡先も分からなかったので、
部長が直接課長のマンションを訪ね、管理人さんにお願いしてドアを開けていただきました。
課長は玄関で倒れていて、既に冷たくなっていました。急性心不全だったそうです。
部長が管理人さんに課長の家族がいつ戻ってくるか聞くと、「○○さんには家族はいないですよ」という返事。
あわてて人事部の資料をほじくり返すと、確かに課長には家族がいません。
課長は10年前に中途入社した人なので、それ以前に家族に逃げられていて、
写真を見て幸せだった時代を懐かしんでいたんだと思い、少し悲しくなりました。
結局、課長の葬儀にも家族も親族も顔を出さず、血縁の人たちの冷たさにもっと悲しくなりました。
後日墓参りに行くと、立派なお墓が立っていました。死んでやっと家族と和解できて、
立派なお墓を立ててもらえたのかと安心して墓石を見てみると、愕然としました。
お墓は古びていて、課長と同じ名字の名前が墓誌にいくつも彫ってありました。
課長以外は全員十数年前の同じ日に亡くなっていました。
家族を一度に亡くしてからの十数年の歳月を、彼はどんな気持ちで過ごしていたんでしょうか?
二度と会えない家族の写真をどんな思いで毎日眺めていたんでしょうか?
人を遠ざけ、自分のことを決して語らなかった課長の姿を思い出し、涙が止まりませんでした。

 


  

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五代目古今亭志ん生の噺、「 怪談・阿三(おさん)の森」

2014年08月13日 | 落語・民話

五代目古今亭志ん生の噺、「 怪談・阿三(おさん)の森」によると。
 

 深川牡丹町の近くにスズメの森が有ったが、誰言うとはなしに”阿三の森”と言われた。江戸時代の実話で、その由来について・・・。

 そのころ、本所に二千石をとる旗本・松岡家が有った。そこに奉公に出ていた、漁師・善兵衛の娘で、十八になる”おかの”と言う美女がいた。殿様のお手がついて妊娠、蛤町の実家に帰された。月満ちて女の子を出産”阿三”と名付けた。実家の裏に離れを建てて、殿様もちょくちょく見えて何不自由ない生活をしていた。
 しかし、間の悪い事に母親が亡くなり、続いて殿様も亡くなって、阿三は祖父に預けられたが、生活に困窮していた。漁師を止めて、亀戸の天神橋のそばで団子屋を始めた。梅見団子を売り出して繁盛し、十七の時には母親の器量を写して団子屋の看板娘となっていた。

 幇間医者の藪井竹庵が、本所割り下水に住む”阿部新重郎”と言う跡取り息子を臥龍梅を見た帰り 、団子屋に連れてきた。歳22で、役者に近い美男であった。離れで、看板娘”阿三”と出会ったときに娘に一目惚れしてしまった。同じように娘もブルブルっと、感じて一目惚れしてしまった。
 その後、何日しても藪井竹庵が訪ねてこなかったが、呼びにやり団子屋に訪ねて行った。それからは毎日のように一人で阿三の元に訪ねて、逢瀬を重ねた。今では将来を約束する仲になっていた。

 新重郎は松岡家から阿部家に養子に入っていた。本家の実母の様態が悪いというので、お見舞いに訪れたが、その席で母親から意外な事実を聞かされた。「父親が奉公人の娘に手を出し子供を作ったが、里に帰し、今では十七になる娘に成長しているはず。聞くところによれば亀戸で団子屋の娘として働く阿三だという。お前の実の妹なので陰ながら面倒を見て欲しい」という。
 心のわだかまりがなくなったと見えて母親は亡くなった。四十九日も過ぎたが、新重郎は実の妹と犬畜生と同じ関係になった事を悩んでいた。
 今後は逢わない事を心に誓って、再出発する事にした。しかし、その事を知らない阿三は彼が来ないのを気にかけて、亡くなってしまった。(前編)

 久しぶりに藪井竹庵が訪ねてきて、阿三が亡くなった事を告げていった。
 新重郎は閑静な向島に住まいを移し気持ちを切り替えていた。お盆の夜、寝られないでいると、深夜庭先を「カラン、コロン」と下駄の音を鳴らしながら女性が通って行った。間もなく戻ってきて、窓下で止まった。「御前様」と声が聞こえたので、覗くと朝顔の花柄の浴衣を着た阿三であった。死んだ事はなく老人がうるさく出られないので、小梅から深夜怖いのも忘れて訪ねて来たという。抱き合って喜び、部屋に通し、お互い生きていた事を幸せにおもい、将来を改めて誓い合った。

 夜ごと女が訪ねてくるので、婆やが不審に思い覗いてみると、煙のようなものと話しているのを目撃し、主人に報告。菩提寺の法恩寺の住職に訳を話し、重三郎に言い聞かせ、窓にはお札を張ってもらった。その夜から阿三は現れる事はなくなり、重三郎も元気を取り戻し、本所割り下水の屋敷に戻った。

 1月を迎えたとき麻布の娘と仲人がたって祝言を上げた。その席、二人の間に蛇が現れ恨めしそうにのぞき込んだ。重三郎はキセルで蛇を殺したが、毎晩現れた。その事を住職に相談すると、阿三が蛇に化身して出てくるので、出てきたら私の衣に包んで、その上から縄で結んでおくように言われ、その様にすると難なく捕まえる事が出来た。住職は東の小高いところ”スズメの森”に埋めて、その上に祠を建てた。その難を仏力で封じ込め”阿三の森”と言う様になった。阿三の森はお産の森と言い換えられて、安産の御利益があるとたいそう繁盛し、稲荷となった。
 1年して、妻が亡くなって、今後は妻をめとらないと、つむりを丸めてこの稲荷の側に庵を建てて菩提を弔らった 。実際にあったと言われている、阿三の森の由来でした。(後編) 

 


  

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夫は蠅叩きを持って忍び足でうろついていた。

2014年08月13日 | 面白画像

ある女性が夫を探してキッチンへ歩いていくと、
夫は蠅叩きを持って忍び足でうろついていた。

「何してるの?あなた。」
「蠅を殺してる。」
「まあ!どのくらい殺したの?」
「オスを三匹、メスを二匹やった。」

好奇心をそそられた彼女は尋ねた。
「どうやったらわかるの?」
彼は答えた。
「オスの三匹は缶ビールの上にいた。
そしてメスの二匹は電話の上にいたのさ。」


  

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六代目三遊亭円生の噺、「鰍沢」

2014年08月13日 | 落語・民話

六代目三遊亭円生の噺、「鰍沢」(かじかざわ)によると。
 

 身延にお詣りする順番は決まっていたもので、青柳の昌福寺(しょうふくじ)へお詣りをして、それから小室山で毒消しの護符を受け、法論石(ほうろんせき)へお詣りをして、いったん鰍沢へ出て、ご本山へお詣りをするという順路です。
 雪のヒドい時分です。雪下ろしの三度笠、回しガッパに道中差し、振り分けの荷物、足腰は厳重なこしらえで旅慣れした形です。法論石を出たのが今の時間で三時を回っていた。鰍沢に向かったが、雪の中、行けども行けども人家はなかった。凍え死にするかと思った時に、遠くに人家の灯りが見えた。草葺き屋根の、軒が傾むいたあばら家からたき火の灯りが漏れているのであろう。

 家の女に鰍沢に出る道を聞いたが、分からないと言う。一晩の宿を頼んだが、食事も出せないし、布団もないが雪をしのぐだけなら良いという。上総戸を開けて入ると広い土間と奥の壁には獣の皮が二枚掛けてあり、そこに鉄砲が掛けてあって猟師の家だと分かった。奥に上がって囲炉裏のたき火にあたれと言う。煙の中から女主を見ると二十六・七、継ぎハギだらけでは有ったが柔らか物で、色白で鼻筋の通った目元に少し剣があるが、口元はしまって輪郭の良い顔立ち。どうして山奥にこんないい女がいるのだろうと思った。だが、アゴの下から喉にかけてヒドい突き傷があった。
 聞くと、江戸は浅草の方にいたと言う。「間違ったらおわびをしますが、吉原の熊蔵丸屋(くまぞうまるや)の月の戸(と)(”月の兎”とも)花魁じゃござんせんか」、「おまはんだれ」、「花魁の座敷に登がったことがある者です。お酉様の晩に登がって世話になったが、改めてうかがうと『心中をした』と聞きましたが・・・」、「心中はしたんですがやりそこなったんです。品川溜めへ下げられて女太夫になるところを危うく男と逃げて、ここに隠れているんです」。連れ合いは本町の生薬屋の息子で膏薬を練る事が出来るので、ここで熊の膏薬をこしらえて、町に売り歩いている。旅人は小銭の用意がなかったので、胴巻きから25両の包みの封を切って、心付けだと半紙に2両包んで差し出した。
 ここらの地酒は匂いがキツいので卵酒にすれば飲みやすいと言って、作ってくれた。身体の外と中から暖ったまり、下戸で疲れが出たので、隣の三畳に移り振り分け荷物と道中差しを枕元において眠りに落ちた。

 旅人に飲ませてしまったので、酒を都合しに、お熊が雪の中に出たところへ、入れ違いに亭主の熊の膏薬売りの伝三郎が帰って来た。外は寒かったので残っていた卵酒を飲むと、にわかに苦しみ出した。帰ってきたお熊は「なんてことを。身延参りのカモを一羽泊めたんだ。胴巻きに100両有りそうだから、だからおまえが帰ってきてひと仕事するまで逃げられないように卵酒にしびれ薬を仕込んだんじゃないか」。
 これを聞いた旅人は驚いた。しびれた体にむち打って抜けた壁から逃げ出し、落ちた紙入れから、小室山で授かった毒消しの護符を雪で飲み込むと、身体が効いてきた。人間欲が出て、戻らなくても良いものを部屋に戻り、道中差しと振り分け荷物を取ると一目散。
 物音に気づいたお熊は、カタキだからと鉄砲を持ってぶち殺すからと追いかけた。

 もと来た道を戻ればいいものを、村があるだろうと懸命に雪を蹴立てて逃げる旅人が行き着いたのは、そそり立つ絶壁。眼下には、東海道は岩淵に流す鰍沢(富士川)の流れ、4~5日降り続いた雪で水勢が増したものか、ガラガラと流れる00、切りそいだような崖、ここが名代の釜が淵。前は崖、後ろはお熊、合掌するのみであった。そこに雪崩が起こって、川底に投げ出され、いかだの上に落ちると同時に道中差しが鞘走って、つなぎ止めてあった藤蔓を切った。いかだは流れだし、岩にぶつかった拍子にバラバラになった。一本の材木につかまって「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」。崖の上から、片ひざついたお熊が、流れてくる旅人の胸元に十分狙いを込めている。「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」、お題目を唱えていると、銃声とともに、弾は、旅人のまげをかすめて後ろの岩に「カチィーン」。
 「ああ、この大難を逃れたのも御利益。お材木(お題目)で助かった」。


  

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三遊亭円楽の噺、「赤垣源蔵」

2014年08月13日 | 落語・民話

三遊亭円楽の噺、「赤垣源蔵」(あかがきげんぞう)によると。

 

 芝の汐留に塩山伊左衛門が住んでいたが、この人赤垣源蔵の実の兄であった。

名字が違っていたが養子に出ていて兄弟であった。

 源蔵は雪の降りしきる中、伊左衛門の屋敷に徳利を下げて訪ねた。

伊左衛門は脇坂淡路守様の屋敷に行ってて留守であったが、奥方はまた金の無心かと仮病を使って居留守を決め込んだ。

 それならと、兄の居間に上がって、下がっていた兄の紋付きと酒を酌み交わした。

酒飲みの源蔵が珍しく酒を残し、着物と思い出話をして帰っていった。

 遅くなって伊左衛門が帰ってきた。

弟のことを聞くと奥様の応対の悪さを悲しみ、その夜は好きな酒も飲まずに布団に入ったが、寝酒無しではなかなか寝付かれなかった。

明け方にウトウトしたが眠れずに朝になった。

 その頃、源蔵は本所松坂町で吉良の首を取っていた。

 明けて、元禄15年12月の15日のこと、朝から街中が騒がしかった。

 赤穂の浪士達が吉良邸に討ち入り、仇を討ったと騒いでいた。

隊列は今、仙台様の屋敷前で休んでいると言う。

兄・伊左衛門は引き上げる隊列に源蔵を確認したかったので、下働きの市助を呼び確認に走らせた。

 隊列に追いついた市助は源蔵を見付け労をねぎらった。

その時、吉良を見付けた時にならす呼子を兄への形見だと渡し、大石良雄から、もし討ち入りの時体調が悪ければこの薬を飲めと渡されていた薬を病弱の奥様に、所持金の5両を市助にと渡した。

「お言付けは」と、問えば「無い」と言う。重ねて聞くと「未練なものだなぁ。兄上に逢えなかったのが無念だと伝えてくれ」。

 伊左衛門は、市助の帰りを待っていた。

隊列の中に源蔵がりりしい姿でいたことを報告。

昨夜、最後の別れをしに来たのに、自分も女房も逢ってやらなかったことを深く後悔した。

 源蔵を偲んで、昨日飲み残した酒を飲んでいたら、同輩が噂を聞きつけて、徳利を見せてくれと集まってきた。

あやかりたいと一口ずつ飲んでは帰っていった。

酒も無くなり、水を足して供応した。

その噂を聞きつけた脇坂の殿様が見たいとご所望。

桐の箱に入れられ貧乏徳利も福徳利に出世。


 赤垣の徳利の別れの一席でした。

 


  

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春風亭小朝の噺、「寛政力士伝」  横綱谷風梶之助

2014年08月13日 | 落語・民話

春風亭小朝の噺、「寛政力士伝」(かんせいりきしでん)
 

 江戸の相撲取りで人格、技量ともに優れた力士に横綱谷風梶之助がいた。

温厚でまず怒った事がなかったが、人生でただ一回だけ怒った事があった。

 伊豆の下田に大巌(おおいわ)大五郎という素人だが強い相撲を取る男がいた。

取り口も汚く相手を負かし、人を殺めた事もあったが、バックに地のヤクザが付いていたので手出しが出来なかった。

有頂天になった大巌は「江戸の相撲取りと一番やりたいが、恐くて箱根を越えられないだろう」とうそぶいていた。

この声を谷風が聞いた。

そこで小田原で3日興行を打って対戦する事になった。

 当日の賑やかな事、初日は頭突きの鯱(しゃちほこ)清五郎であった。

頭突きでは敵う者が居なかった。

その二人が対戦し大巌の胸に頭付きを食らわした。

普通の人間だったら血反吐を吐いて倒れる所だが、さすがの大巌受け止めた。

行司に見えないように指で目つぶしを食らわしたが、鯱もう一度頭突きを掛けたが、見透かされ体を変わして投げ飛ばされて、沼津まで飛んでいった。

 これを見ていた谷風、これほど強いとは思わず、宿に帰って思案していると、親子連れが入ってきた。

母親が言うには、亭主は奉納相撲で大巌に汚い相撲で投げ殺された。

その遺恨を晴らして欲しいという嘆願。

年端もいかない息子も家の鶏が産んだ卵50個あるから必ず勝ってよと置いていった。

 それを襖越しに聞いていた雷電が、ものの順番として私が取りましょう。

谷風からOKが出ると、この卵は私のものですよね、といって丼に割り込んで飲み込んでしまった。

 2日目木村庄之助が呼び上げた、大巌、こなた雷電。

雷電は197cm、169kg有ったという、大巌はそれより一回り大きかった。

軍配を上げると、誰しもぶつかると思っていたが、雷電両手を上げてバンザイの形になった。

大巌驚かず二本差してガブッた。

さしもの雷電も土俵際まで追いつめられたが、ここで両の腕を下ろして、カンヌキの形に入った。

大巌の両の腕が内側に曲がり、血の気が失せてブルブルと震え始めた。

その時「ブキッ」と異様な音がした。

続けてもう一度響いた。

雷電両腕を上げると大巌の腕がブラリと垂れ下がっていた。

後々の事があると言うので、雷電張り手で大巌の顔面を張った。

後年雷電の張り手は禁じ手になったほどスゴかった。

それを左右連続で張ったからたまらない、顔が3倍にも膨れあがってしまった。

後は廻しと肩を持って投げ飛ばした。

場内割れんばかりの興奮が収まらなかった。

 谷風、雷電の師弟が親子のあだを討ったという、小田原相撲の一席でした。

 


  

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右手を上着の内側に入れ、異様な目つきをした男が 精神科医の診察室にやってきて、心配そうに告げた。

2014年08月13日 | 面白画像


ナポレオン時代の衣装を着、右手を上着の内側に入れ、異様な目つきをした男が
精神科医の診察室にやってきて、心配そうに告げた。
「先生、 今すぐ助けがほしいんです」

「それは分かりますよ」と、医師。
「そこの長椅子に寝て、問題について話してください」

「わたしには何も問題はありません」
男がきつい声で言った。
「実際、フランス皇帝として、ほしいものはなんだってもっているんです。
 金、女、権力、何でもです!
 しかし、妻のジョゼフィーヌは、どうも精神的な問題を抱えて入るようなのです」

「なるほど」精神科医は、ひどく取り乱している患者に調子を合わせて言った。
「それで、奥さんの問題というのは、どのようなことです?」

不幸な男が答えた。

 


  

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「何かしら妙な理由で、あれは、自分がシュワルツという男の妻だと思っているんです」


日本人、韓国人、中国人が「誰が一番我慢強いか」で議論になり

2014年08月13日 | 面白画像

日本人、韓国人、中国人が「誰が一番我慢強いか」で議論になり、
誰もが自分だと主張して譲らなかった。

そこで、豚小屋に入り、その臭いをどれだけ我慢出来るかを競うことにした。

まず日本人が入ったが、5分で出てきてしまった。
「もうダメだ。」

次に中国人が入った。頑張ったが、10分で出てきてしまった。
「もうダメアル。」

最後に韓国人が入った。

我慢できずに豚が逃げてきた。

 


  

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