“小倉全由”
日大三高に・・・
近代野球を施し・・・
甲子園常連校・・・
そして甲子園での優勝、準優勝・・・
見事に・・・
名門復活を成し遂げ・・・
尚且つ前進する小倉監督・・・
でわ・・・
1979年・・・
小倉監督・・・
甲子園初出場時の・・・
お宝画像を・・・
アップしてみたいと思います・・・
当時の・・・
日大三高は・・・
創設期からの・・・
伝統が邪魔をし・・・
近代野球への転換が出来ず・・・
にもがき苦しんでいた時代・・・
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1979年8月・・・
西東京を制し・・・
17年ぶりの甲子園へ出場・・・
前年度の・・・
秋季大会では・・・
国学院久我山にコールド負け・・・
迎えた春季大会でも・・・
栗山(日ハム監督)が居た・・・
創価高校にあわやコールドの大敗・・・
自分たちの代は・・・
日大三高野球部・・・
創設以来最低最弱の・・・
チームと呼ばれていたのでした・・・
まさに・・・
奇跡の甲子園出場でした・・・
‐選手たちに指示を出す小倉コーチ‐
当時の首脳陣は・・・
小枝監督(現拓大紅陵監督)…29歳
小倉コーチ(現日大三高監督)…22歳
川俣コーチ(現志学館高校監督)・・・20歳
‐甲子園球場前の小枝監督と小倉コーチ‐
小枝監督は・・・
コーチ時代に3度甲子園へ出場し・・・
選抜優勝、準優勝、2回戦の経験を持つが・・・
監督としてはこの時が初出場・・・
小倉コーチと川俣コーチは・・・
ご両人とも指導者になって・・・
初めての甲子園出場だった・・・
こと小倉コーチは・・・
最年長のコーチだった為・・・
何かと苦労や重圧が・・・
絶えなかった事を記憶しています・・・
‐現在と変わらぬ体型(背番号1は現警視庁野球部監督の中瀬)‐
指導者として・・・
初めて甲子園の・・・
土を踏まれる小倉コーチ・・・
‐外野の風向き、太陽の位置を確認される小倉コーチ‐
この時・・・
この瞬間に・・・
小倉監督の・・・
甲子園が開幕され・・・
現在にまで・・・
続いておられます・・・
そして・・・
小倉野球は・・・
更なる・・・
未来へと続くのです・・・
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