
東西•••
東京都大会や•••
他の地方大会で•••
強豪と位置付け•••
られているシード校が•••
相次いで敗退をしていますが•••
1978年のこと•••
シード校で出場をした•••
夏の•••
西東京都大会での•••
日大三高もそうでした•••
この年の日大三高は•••
優勝候補にもあがっており•••
5回勝てば•••
甲子園出場という•••
西東京都大会の組み合わせ•••
チーム力は•••
3枚の投手陣が万全で•••
打線もそこそこの•••
破壊力を備えていました•••
しかし•••
失策が絡んで2-1で敗退•••
写真は1978年の日大三高(上段右端が自分)
当時の日大三高は•••
夏の西東京都大会前の6月に•••
最後の“のし”と呼ばれる•••
個人ノックが行われており•••
身体の疲労が回復しないまま•••
予選を迎える状況だったのです•••
長い三高野球部の•••
歴史をみてみてもこと•••
夏の甲子園出場はわずか•••
過去5回しかなかったのです•••
また•••
練習試合を組む際•••
相手の高校を日大三高の•••
グランドに招くことが大半•••
遠征に行ったのは•••
3回程度しかありません•••
これは•••
練習試合終了後に•••
即練習を可能にする為です•••
内弁慶で場慣れがしていない•••
そして軟投派や•••
技巧派が不得意だった•••
大概にして相手投手に•••
ハマってしまうのはこの•••
手のたぐいがほとんどでしょう•••
•••疲労回復
•••大会の初戦
•••身体の動きも鈍い
•••シード校の重圧もある
•••軟投派技巧派への対応
•••相手高校の位置付け等
必ずしも•••
前評判が高いチームが•••
勝てるとは限りませんね•••
波乱とか•••
番狂せとかではなく•••
勝ったチームが強くて•••
負けたチームが弱いのです•••