昨日電話で虫亀の養鯉業を営む田中重雄さんに山古志の山菜(わらび)を神戸に送ってもらえないかと依頼した。というのも3年前、震災のあと雪が溶け、村に壊れた家屋の片付けやらで一時的に村へ帰るのが許されたときがあった。
そのときに、全壊した重雄さんの家の片付けの手伝いに行ったとき、昼食に山で取ったばかりの山菜をその場でてんぷらにし、みんなで食べた味が忘れないこともあって、お願いした。
当時、永年暮らした家が全壊し、家屋を解体するのは、口には出さなかったが片付けをしながら、ため息を数回聞いた。「命があっただけでも」とただ自分を慰めていたようだ。
あれから2年、今山古志は復興へと向けさまざまな動きがある、震災前の平凡な日常をとり戻すために。
写真仮設住宅で山菜を保存する作業 05年5月写す 陽光台仮設住宅にて
そのときに、全壊した重雄さんの家の片付けの手伝いに行ったとき、昼食に山で取ったばかりの山菜をその場でてんぷらにし、みんなで食べた味が忘れないこともあって、お願いした。
当時、永年暮らした家が全壊し、家屋を解体するのは、口には出さなかったが片付けをしながら、ため息を数回聞いた。「命があっただけでも」とただ自分を慰めていたようだ。
あれから2年、今山古志は復興へと向けさまざまな動きがある、震災前の平凡な日常をとり戻すために。
写真仮設住宅で山菜を保存する作業 05年5月写す 陽光台仮設住宅にて
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