ハラボジの履歴書

祖父が日本に渡って来なければならなかった物語を記憶に基づき
在日100年が過ぎようとしているいま書き留めておく。

瀬戸内に浮かぶ苦悶の島

2007年05月10日 | Weblog
 岡山県虫明町に浮かぶ島、長島。ここはハンセン氏病患者の隔離病棟のある長島愛生園があるところ。詳しい歴史は知らないが、今から18年前に在日同胞がここで暮らすことを知り、当時民族機関紙の記者と訪問したことがあった。
今ではこの病気は感染する病ではないことが証明されたが、長い間、間違った認識で多くの差別と偏見で患者は苦しんだ。
我々が当時慰問に行ったときも、施設の代表が出迎えしてくれ、握手を求められ、間違ったこの病の認識などいいながら、一瞬たじろいだ私の姿を施設の代表の金さんは見逃さなかった。チョさんこの病気は感染はしませんから心配しなくてもと言われ、申しわけないことをしたと、今もって思いだす。
しばらくの滞在であったが、在日有志の慰問の品を届け、その語手紙での交流を尾kなったが、その後の消息はわからず、今年の4月の連休に施設を訪ねたが、この島に入る唯一の橋の入り口には管理所が置かれ、一般の方は入れませんとのことで
むしろ、当時より厳重な管理をしていたのが、むしろ逆行している印象を持った。
本音と建前の違うところであろうか。当時在日同胞がこの施設に60名暮らしており、ほとんどが高齢で若いときに発症しこの島に名前、戸籍をも変えて暮らしていると聞いた。
結果、発症の原因はと聞くと、やはり貧困からの生活ではないかと金さんは言った。結果遺伝性のものでもなければ、不治の病でもなく、今では治療も格段にすすんでいるが、変形した指などがやはりこの病の偏見を取ることが出来ない。
ともあれ、瀬戸内に浮かんだ長島を訪ねた。


長島愛生園の入り口  帰らざる橋といわれている。

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