さてこの長田にケミカルシューズなる産業が根付いたか。
戦後の神戸で職の無かった在日がゴム靴の製造に従事したのがはじまりで、当時は過酷な仕事であり、職を選べない在日コリアンはゴム屋かくずやか土方になるか、あとは、同胞相手のどぶろくを密造してのホルモン焼の商売。
これが長田の在日の暮らしのはじまりである。しかしその後革靴にとって変わる代用としてのケミカルいわばビニール靴の製造が始まるのがこの業界の出発ともなり今にいたる。
司馬遼太郎氏の著「街道をゆく」の中で神戸長田のこの在日コリアンの業界が紹介され在日一世の苦労、歴史が紹介されている。
また南北分け隔てなく、互いにひとつの旗をかかげなど紹介されてはいるが、実際の長田のこの業界への同胞間の競争は棲さましく、生き馬の目を抜くような競争と葛藤の中でサバイバルが日夜くりひろげられている。
写真 震災後出来たケミカルシューズ会館 あまり利用されていないのが現状
次回またその実態を紹介する。
戦後の神戸で職の無かった在日がゴム靴の製造に従事したのがはじまりで、当時は過酷な仕事であり、職を選べない在日コリアンはゴム屋かくずやか土方になるか、あとは、同胞相手のどぶろくを密造してのホルモン焼の商売。
これが長田の在日の暮らしのはじまりである。しかしその後革靴にとって変わる代用としてのケミカルいわばビニール靴の製造が始まるのがこの業界の出発ともなり今にいたる。
司馬遼太郎氏の著「街道をゆく」の中で神戸長田のこの在日コリアンの業界が紹介され在日一世の苦労、歴史が紹介されている。
また南北分け隔てなく、互いにひとつの旗をかかげなど紹介されてはいるが、実際の長田のこの業界への同胞間の競争は棲さましく、生き馬の目を抜くような競争と葛藤の中でサバイバルが日夜くりひろげられている。
写真 震災後出来たケミカルシューズ会館 あまり利用されていないのが現状
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