60代 スッキリ行こう🐦

還暦過ぎた!
これからも、心の向くままケセラセラ。

生死を分けたもの

2011-03-31 08:14:35 | 震災後の日々
今朝は雨が降っている。
地震後、初めての本格的な雨。。

午後には晴れるらしいけど、
少しでも被災地の泥を洗い流してくれるといいのになあ。


被害がひどかった石巻が実家で、
これまた被害がひどかった山元町に住んでいる友達と、やっと昨日電話で話した。

幸運なことに、家も実家も、家族、親せき全部無事とのこと。。。
家が山側で水につからず、まわりみんな農家で食べるものもあって、
井戸水でくらし、一日おきに温泉に通ってるって。。
日本昔話みたいな生活だって。。。

・・笑いながら、ほっとした。。

宮城のどこかの島に一人でいた、お祖母さんさえも、ちゃんと逃げて無事だったとのこと。
被災者からのメッセージで、テレビに登場してたよお。。。って笑ってた。

津波から逃げれた人は、皆、ちゃんと生き残っていた。



そして、思うのは娘の旦那の実家のこと。。

岩手沿岸のその地域は、何度もテレビに出ていたけど、地震数日前の避難訓練で指定されていた
防災センターでさえも二階の天井まで水が来たという。
地域の小、中学生は、いったんそこに逃げたけど、とっさの判断でもっと高いところに逃げて
全員助かっていた。

娘旦那の実家は門だけを残し、跡形もなく流され、家に一人でいた義弟さんは今も見つからない。
防災センターにもいなくて、
そこにさえも、逃げられなかったのかもしれない。

その地域での旧家だった娘旦那の実家では、お祖母さんが厳しくて、
お嫁さんであるお義母さんは働き、仕えぬいて、
娘旦那が高校の頃、亡くなっていた。
実家は古いアパートをいくつも持っていて、そこに結婚当初は娘夫婦も住んでいた。(前に娘夫婦がテレビ出演もしたアパート)
そこも、みんな流された。

結婚当初、実家に通っては、実家の家事をさせられている娘達に、
「自分達の暮らしをまず、確立させなさい」と私は厳しく言った。
娘達は、実家から離れ、その後娘旦那は転職して、
今は娘一家は盛岡に住んでいた。。。
そして、地震の被害からは免れたのだ。。

娘達は親不孝をして、命を助かったようなものだ。


厳しかったお祖母さんは、地震よりずいぶん前に老健施設に入っていて助かった。
結婚当初、子供たちに厳しかったお義父さんは、娘達が実家の近くを離れてからは
何かと娘達の生活を支えてくれていた。
そして、お義父さんは、地震当日は仕事場にいて助かった。

今も見つからない息子さんに似た遺体があると聞いては、仕事場から安置所へ行く日々だと聞く。
見つからない息子さんは、仕事をやめて家にいる日々だったと聞く。

亡きお義母さんが心配して、つれていったのだと・・・みんな言っているらしい。。

重く厳しかったものは全部流され、
お墓だけが、残ったと聞く。。



全員無事だったお義母さん方の親戚たちに、今は支えられているお義父さん。。


娘達の今は、亡きお義母さんに導かれていたんだろうか。。。
元気にしている孫たちの様子を聞いて
いつも、そのことを考えてしまう。。








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