盛岡からの帰り、宮澤賢治ゆかりの花巻を訪ねてみることにした。
一度も行ったことがなく、何かのついでに行ってみたいと
前から思ってことを思い出したのだ。
東北道を南下し、花巻インターチェンジを降りる。
何もないところから突然飛行機が飛び立ち、空港があることがわかる。
花巻空港とのこと。
少し行ったところに宮澤賢治記念館、童話村などの施設がある。
宮澤賢治の雨にも負けずの詩を
小学生の時、暗記する宿題があり、一人一人発表させられたことがある。
その時も、その後も、
なんでこの人は、献身的なことしても、皆に「でくのぼう」と呼ばれたいんだろう・・
わからん・と思いながらも、その清らかさが聖者のようで印象的だった。
それから、この人のことを思い出すこともなく生きてきた。
仙台に来て、もう何年も経つんだけど、花巻や遠野に自分から行こうと思ったことはなかったなあ。
娘が岩手の人と結婚して、縁が出来て改めて触れてみる世界。。
子育てが一段落しそうになった最近になって、
そう言えば・・と、気になって来てみたかったのだ。
記念館からの風景
不思議な人だなあ。科学者でもあり、教師でもあり、詩人でもあり、画家でもあり、もちろん童話作家でもある。
総合芸術家なんだ。
宮澤賢治の童話・・読み切ったこと・・実はありません。
難解だった気がして、どうも取っ付きにくかった気が。。
雨にも負けずの詩だって、なんでそんな・・自己犠牲なん??と
凡人の私には、どこかしっくりこなかった。
記念館の資料を見て、
ものすごい人だなあ。天才というか、ものすごく頭がよく、純粋な心で物事を見ていた人とわかった。
恵まれた環境に生まれながら、農民になりたい・・と
農業や、植物、鉱物、園芸・・と科学者のように学び、その真理を見つめた人。
う~ん。。深そう・・。
注文の多い料理店・・という土産物屋もありました。
記念館の近くにある童話村の中に
賢治の学校がある。
星座をかたどっている。
ファンタジックホール
ディズーランドのプーサンの部屋を思い出した。。
水の部屋
大地の部屋
賢治の学校に続いて、賢治の教室
植物、鳥、星、動物の展示棟
みんなが鳴らす鐘の音がやさしく辺りに響いている。
相変わらず、まったり、何もないと言えば何もなく、
全てあると言えば、すべてある。
そんな感じ、イーハトーブの賢治の童話村だ。
昨日行った美容室で担当の女性が岩手の人で、
賢治記念館に行ったこと話すと、
その方の知り合いのお祖母さんが昔、宮澤賢治に畑の納屋を貸してほしいと言われたそう。
貸した納屋に賢治は住んでいたというのだから、
夢物語ではなく、ぐんと身近な実在の人と再確認。
こういう人の常は、
生きている時には、評価されないっていうこと。
ただの変わり者と思われていたというのだから。
ゴッホや、レオナルド・ダ・ヴィンチにも重なってくる。
悲劇の天才。
生涯独身だったことも共通している。
ともあれ、一度宮澤賢治を読み直してみなければ・・と
帰ってきてから、アマゾンで宮澤賢治の童話集を注文してみました。
人生、ここまで生きてきて改めて
理解できる作品なのか。。
所詮、異郷人の私には、理解できないのか。。。
さて、どうでしょう。
アニミズムの宝庫、東北が生んだ天才・・
明治の大きな津波の翌年に生まれ、亡くなった年にも大きな津波があったという
宮澤賢治の生涯。
・・何か象徴的なものを感じるなあ。。
そんなこんなで、秋の日帰り
イーハトーブの旅でした。
※
雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシズカニワラッテイル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萱ブキノ小屋ニイテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ束ヲ負イ
南ニ死ニソウナ人アレバ
行ッテコワガラナクテモイイトイイ
北ニケンカヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイイ
ヒデリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
ソウイウモノニ
ワタシハナリタイ