リアルタイム・メヒコ その後

2015年7月から。en Mexicoメヒコ。
2017年7月帰国

まったく、それぞれ、だ。

2015-05-31 | 演劇,映画,アート
たまに、驚きの感想を聞くことがある。
自分ごとで一番驚いたのは、

長田弘さん(ご冥福をお祈りします・・)の
「私の好きな孤独」(だったと思う)からいくつか読んだとき

それは多分、ビゼーのたった一曲の交響曲のことで
当時、音楽といえばオペラで、その他は音楽ですらなかったわけで
コテンパン?というか生前一回も演奏されることもなかった、曲の、というか
そういう曲を書いたこと、または書いたことに対するビゼー自身の封印?態度、を
一回も開けられなかった引き出しに眠る楽譜、のイメージから書かれたもの、
だったと思う。
というか、ワタシはそう捉えたのだと思う。

「自分には全然関係のない話ですよね」って。

そうか。
ビゼー、とか交響曲、とか、
とっかかりの固有名詞とかジャンルとかが、多分無縁だったのか・・なあ。

今は世の中で受け入れられていない形式があって
でも、やってみたくて、やってみて、(当然?じゃないかも、わからない)受け入れられなくて
捨てはしないけど仕舞いこんで、今の形式でやっていく、ことにする。

それは、誰にでもあることだ。

ビゼーはたまたま(じゃないか)・・オペラで大成功して後世に名を残し
その引き出しの「楽譜」も白日にさらされた。
ただ忘れられて仕舞いこまれていたのか、たまに思い出したのか、
そんなことは誰にも分からない。

別に「ビゼー」や「交響曲」は、教養主義的に提出されたわけじゃない。
「そんなことも知らないのかよ」って、いう教養主義じゃないのだけれど
たぶん、壁になった。

ジャンルがどんどん細分化されて、ますます壁は増える。
壁の中で現実追認していく蛸壺にはならないよう自戒する、くらいしか、
今できることは、ないの??






コメント
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