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ーこれは2018年4月23日のフェイス・ブックから。
先日のある晩、娘が指についたスライムをどろりと床に落とした後を私は、ごしごしときれいにしようとしていた。我が家ではスライムが大人気で、粘着性のあるねばねばした混乱の後が床によく残っている。娘はその大方を取り除き掃除したが、私はスライムが浸みたタイルのグラウトをこすりつつ、少しイライラし始めていた。スライムが見渡す限りどこにでも落ちているように感じたのだった!けれどもその時私は突然かつての記憶がよみがえってきた。 。 。
14年前。 。 。
それはほとんど寝る時間だった。もうこれで眠れる、という時だった。この夜の暑気もあり、私は疲れ果てていた。2歳になる三つ子と4歳の長男の一日はまだ終わりそうになかった。私には自分のための時間など、全くと言っていいほどなく、最後にシャワーを浴びたのは四日前だったろうか。まるで1秒ごとに子供たちの必要に私は応じていたので、疲労困憊していたのだった。私が子供たちの世話をする以外の方法はなかった。私の手はふさがり、私の心もいっぱいだった。
毎晩恒例の習わしは、夕食と入浴を終えてから、男の子たちをプレイルームに集めて、就寝前の数分間そこのかたづけをすることだった。ラジオからはいくつか歌が流れ、それに合わせて皆歌い、踊りながら、おもちゃを拾っていた。
私はすぐにおもちゃを片付け、シャワーを浴びるのに数分かかるかもしれないので、子供たちをさっさとベッドに入れたいと思っていた。突然、男の子の一人が「あーあ」と言うのを聞いた。
私がふりむくと、ちょうど三つ子のひとりの手の中でペンが壊れ、カーペットのそこら中に青いインクが飛び散るのを見た。青インクが手から滴り落ち、その子の着ていた清潔なパジャマにも降りかかっていた。
私は床のあちらこちらに青いインクが、まき散らされて新しいカーペットにみるみる染み込まれていくのを見て、息を呑んだ。すぐに、台所で皿洗いをしていた夫に、来て助けて、と叫んだ。私はすぐに動揺しつつ、息子をつかんでトイレに連れて行って手を洗ってやり、夫はカーペットの明るい青色の汚れをごしごしととろうとしていた。
欲求不満の涙が私の目に溢れた。とても疲れていた。そして怒っていた。本当に、本当に怒っていた。私はインクでスマーフのように青くなった息子に対して怒っていたのではなく、幼児が手の届くところにそのペンを置いていたことに腹を立てたのだった。私たちはこの家にまだ6ヶ月しか住んでいなかったのに、カーペットは完全に台無しになってしまった。
その夜、そのシミを1時間こすり取ろうとしたが、それはまだ残っていた。
翌日、カーペットクリーナーに来てもらった。 。 。彼らはそれを数回洗浄処理したが、そのシミは消えなかった。 。 。そのシミはただ私を明るい青さで睨み返していた。
私はそのシミを見てはがっかりした。それはとても醜く、薄い褐色のカーペットの上で際立っていた。何をしたとしても、その頑固な汚れは残った。その汚れは私を当惑させ、失望させた。腹立てさせ、幼い息子がそれを容易に手にすることができるところにペンを置いた私の愚かさを、いつも思い起させた。その青いシミは、私の人生でただひとつの大きな否定的なものだった。どれほど嫌いだったことか。
翌月、私の可愛い息子、カーペット全体に青インクを散らした子は、癌と診断された。 2年後、彼は亡くなってしまった。
私の息子はいなくなってしまったが、あの青いインクのシミは? まだそこにあった。 。 。それは私の息子を常に思い出させてくれた。それはなんと些細なことに、生涯においてちっとも重要でない何かに対して、私があれほどの不満をもったのかを常に思い出させた。 。 。。
その青いシミは、人生が乱雑であることを常に思い出させ、そこに実は生きる価値があるのだとわからせる。
小さなことにくよくよすることはないのを常に思い出させる。
「物」は重要ではないが、人は重要であることを常に思い出させてくれる。
事故は発生することを常に思い出させる。
ささいなことを手放し、重要なことに固執するよう、常に思い出させてくれる。
長年にわたって、そのシミは消えることはなかった。薄い褐色のカーペットの上は明るい青のままだった。私たちは家具の下にそれをうまく隠すことを学んだが、徹底的に掃除をして家具を移動するたびに、その汚れがそこにあり、私を見つめていた。それを見るたびに私は息が止まり、喪失の痛みを思い出すのだ。
そして、かつて目障りで、私を泣かせていたシミは、今、私が(亡くなった息子の)思い出を神に感謝させるのだ。
人生はきれいごとじゃないということを思い出させてくれる。キッチンの床に何かこぼれたり。金魚が車の中に落ちてしまう。野球のボールで窓は壊れる。洗濯物であふれたバスケットや、洗う皿があふれているシンク。指紋だらけのドアのガラスやクレヨンの散らばっているテーブル。そして、新品のカーペットに青いインクの汚れ。
けれどもそれらの混乱は、私たちが生きて、愛し、成長し、学ぶことからくるのだ。そうしたことは私に感謝を感じさせる。そして、それは変装した祝福でもある。
そして、あなたはご存知だろうか?
カーペットの上に100万個の青いインクのシミができても私は構わない、もう一日息子と一緒に過ごせるならば。
私は床全体にそのスライムが混沌としてあるのを見て、あの青い汚れを思い出した。病院で病気の子供に寄り添っている母親がどこかにいることに気づく時、とても謙虚になれる。 。 。その母親が家にいて、自分の子供がいろいろな汚れを作るほどに十分な健康状態であり、病気とは縁がなく、ああ、早くその汚れを片付けたい、と願っているようにと願うのだ。。。ちょうど私が数年前にそうであったように。
そのスライムの汚れを新しい観点できれいにしていると、私の頬を新鮮な涙が流れ落ちた。この混乱の中で祝福を見つけ、神に感謝し続け、人生で本当に重要なことに集中するようにと、ささやいてくださる神に感謝している。
コロサイ人への手紙第3章第2節 あなたがたは上にあるものを思うべきであって、地上のものに心を引かれてはならない
XO XO(キスとハグと共に)
ヘザー・ダックワース
絨毯の青いシミよりもこの息子の笑顔は、ずっとずっと重要だった。。。
おはようございます
こちら3/11 AM9:07です
今日の投稿は、ママちゃんの実話ですか?
あなた自身のことなら尚更ですが、読んでいて私の眼のあたりが急に温かくなりました。
命に勝るものはありませんよね。
小さな点々はやがて、思い出になりますが、
母親として、その瞬間・その光景・子供の「やってしまった」というバツの悪い顔さえ思いさされてくる。
やってしまったことも、子供の顔も
いとおしい。いじらしい
すごく伝わってきました。
ありがとう♡