仕事を退いてから、皮のハンドバッグやショルダーバッグは、あまり使用しなくなった。教会やあらたまった会食などには、それなりの小さめの皮のバッグを用いるが、普段の買い物や図書館あるいは本屋でのひやかし、孫たちのスカウト関係の集まり、スポーツ観戦、学校での表彰会、そして自身の検診などに、バックパックを利用することがはるかに増えた。これにはラップトップ(ノートブック型パソコンやマック)を入れるパッド付きポケットが背中側にあり、普段使いに、ちょっとした旅行に便利だ。
このバッグはかなり容量があり、私が化学療法をしていた時は、膝掛けや肩掛け(療法は8月1日からの酷暑下でも常に私には寒気があった)、64オンスのキャンティーン(療法中は特に、頻繁な水分補給が必要)、軽いスナック、本、アイパッド、エアポッズ、騒音を消し、音楽やポッドキャストやオーディオブックスに使うエアポッドマックスさえ入れていた。もちろんアイフォンやお財布、クリネックス、ハンドローション、リップクリーム、そして今は多くの人がその名前さえ忘れている白い木綿のハンカチも。メリーポピンズのカーペットバッグのようにコート掛けさえ入れられたかもしれない(まさか)。
普通化学療法には伴侶や成人した子供なり家族や友人が付き添うが、夫を埋葬したばかりの私は、療法中はひとり。子供がまだ幼い娘たちには4時間も付き添わせたくはなく、送迎だけを依頼していた。
特に帰りは大量の化学薬品を投入後だから、めまいや立ちくらみ、時には気絶までする患者があると聞き、自分では大丈夫と思っていても、人様に迷惑をおかけするのは忍びないために、患者自身の運転は禁物だ。幸い私は悪寒があった以外、概して具合が悪くはならず、化学療法、キモセラピーという名に慄きもせず、淡々と受けられた。ただし帰宅時は疲労と眠気があった。
治療中このバックパックは良き「付き添い」「相棒」であった。本も読まず、音楽も聴いていないと、どうしても思いは卒業した夫がいないことばかりに集中し、切なくなるので、しっかりしなきゃとひっそり自分を叱咤激励しながら、バッグからあれこれ取り出して気を紛らわせていた。
Fjällräven Kanken
それがこのバックパック。スェーデン製品で素朴かつ自然にやさしい丈夫さがある。特にG-1000という素材を使用したものには、石鹸のような固形のグリーンランド・ワックスを必要に応じて自分で塗布することができる。ウォータープルーフではなく、軽い雨などの水滴を弾くためである。
この製品を最初に使い出したのは、ハワイで大学生活を送っていた次男がキャンパスで出会い、妻となったスェーデン人に教えて貰って以来。その半年後、夏休みに帰国していた彼女と彼女の両親に挨拶と結婚の申し込みを決意した。長男は、付き添い・サポートとして次男に付随し、弟と共にこの製品を購入した。やがて娘たちにも広がり、ついに私もひとつ持つことになった。孫たちも子供用のバックパックを持っている。
私のバックパックは、「キモセラピーバッグ」と呼びもして、通常ならば感じないであろう特別の愛着を感じている。物質的なわけではなく、こんなバッグにも頼りたかった私だったのを覚えておくために。点滴の名のごとく点々と用薬をゆっくりと血流に流していくキモセラピー中、時折読書に飽いて窓外を眺めながら、涙を流したのを知っているのもこのバッグだった。そして心を落ち着けて、自己憐憫に陥らないように、このバッグに夫の霊が入っているかもしれない、と他愛もなくそう思った。
なんでも入れられるドラえもんのポケットのように、あるいは本当に夫の霊もバッグに入って私の心の声を聞いていたかもしれない。何故ならば、セラピーを終えて娘の運転で帰宅する時、明日から頑張れるという明るい気持ちになっていたから。生前、夫はいつでもなんでも私の話に耳を貸し、気持ちを鎮めてくれたり、別の考え方を教えてくれたものだった。そして話した後はいつもどんな雲にも銀色の裏がある、と思い起せたのだから。
このようなガミー(グミ)もバッグには入れていた。
今は愛用のデスクトップ・マックの傍に常在でブログのお供。
Skalle(頭蓋骨)という名前のガミー(グミ)。なんて名前で形だろう!
それは家族の折々を思い出せます。
品質の良いものを持つことが大切なこと、良く理解できました。
道具も出会いですから・・。
何時までも健やかに守られますように。主にお祈りしています。
おっしゃる通り、物質的になるわけではないのですが、一種の「相棒」感覚ですね。やがてくる時がくれば、これともお別れですが、それまでせいぜい大切にしましょう。