ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

911の記憶

2021-09-15 | アメリカ事情 人間性

FamilySearch.org

 

 

現在夫の仕事で深く関わりのあるS弁護士は良き友人であるだけでなく、同じ教会に所属し、その子供たちと私たちの子供たちも親交があり、特に末娘はS弁護士の長男と仲がよく、中学・高校を通してランチ仲間でもあった。そのS弁護士は、温厚で親しみやすく、信頼に値する良い人物である。彼のそうした性格や人格はそっくりそのまま口腔・顔面外科医の父親譲りで、今でも父親は現役で私たちの住む街で開業している。ここで書く911の記憶は、このS氏の父親にまつわるものである。

このS氏の父親は、名をノエルと言い、ここでは、便宜上NS氏と呼ぶことにする。そのNS氏は、20年前キリスト教会のニューヨーク市北伝道部を三年間伝道部長として宣教師を管理監督及び指導をしていた。

ニューヨーク市には北と南に分かれて二つの伝道部があり、南ではカナダ人の伝道部長であった。TransCanada Energyトランス・カナダ・エナジー(カナダ横断エネルギー社)の社長としての任務でその彼は数年間、毎年世界貿易センターのツインタワーに何度も足を運んでいた。その彼は、1機どころか2機のフルタンクで燃料を積んだ旅客機がツインタワーに飛び込むのを目撃し、最悪の事態に怖れ慄いた。

NS氏は、その専門職上、トラウマの経験が豊富である。そのため、彼が管理していたニューヨーク市北伝道本部を911のアタックが展開されてすぐに通信の司令部として設置し、南伝道部長と共に働いたのだった。

二人の伝道部長や400名はいた宣教師たちは攻撃現場あるいはその周辺での緊急活動を支援するためにそこへ派遣されることを切望していた。 「あの時は、助けに駆けつけたいと誰もが思い、私もそのように思っていました。ところが、祈っても祈っても、いくら懇願しても、主は一人の宣教師も、グラウンドゼロに送ることを許されなかったのです。」

何故祈っても助けを送り込むことに対して思うような答えがなかったのかは、後に判明した。ツインタワーが崩壊した現場で働く多くの第一対応者たち(警察、消防、緊急医療班)やその他の支援者が、汚染された灰塵を大量に吸い込んだために、肺疾患などの長期的で致命的でさえある影響を受けるのを見て、医師のNS氏は何故だったのかを理解したのだった。ふたつのタワーが崩壊して亡くなった方々よりも、もっと多くの第一対応者やボランティアが肺疾患や呼吸器系の病に倒れ、亡くなったのである。

またNS氏は、たまたま18人の任務終了の宣教師を、彼らの大学の新学期に間に合うように、任務終了を一週間早めてその前の週に、帰還させたばかりだった。

そしてちょうど9月11日は通常ならば伝道部地域内での任地を替えるために宣教師を移動(転勤)させる日だった。だが、あの朝は他のどの朝とも同じように、宣教師たちはみな午前10時まではアパートで聖典勉強や準備をして、待機していたのが非常に幸いだった。それ故宣教師一人一人の無事は即座に確認された。

ツインタワーを攻撃した2機のうち最初の旅客機は東部標準時の午前8時46分に発生した。これは、宣教師がその日住居を出て伝道のために出かけるかなり前のことだった。 「私たち(伝道部長とその夫人、そして伝道部に働く人々)は、管轄の全ての宣教師がそれぞれのアパートに待機し、直ちに各々の両親に電話をかけるようにしました」と北伝道部長だったNS氏は言った。

テロリストの攻撃後、FAA(Federal Aviation Administration=アメリカ連邦航空局)はすべてのフライトを接地させた。 21人の新任宣教師は、9月17日に最終的に北伝道部に到着するまで、デンバー伝道部によって一時的にそこにとどまり、伝道することができた。

アメリカ上空を一切の旅客機が飛ばなかった日は、私は生涯忘れない。旅客機のかわりに、州空軍や海軍の偵察機や戦闘機が空から守っていた。そしてアメリカの各空港へやってくる旅客機に近づいて、引き返すよう要請した。あの日からしばらくの間、アメリカのどの空港へも着地できなかった航空機多数を、カナダ政府、カナダ軍、及びカナダ国民の非常なご厚意によって支援くださったことは、決して忘れまい。

アメリカ合衆国が文字通りその門戸を一切閉めた時、立ち往生した旅行者は、ノバスコシア州シアウォーターのグースベイ、ガンダーとスティーブンビル、ニューファンドランドとラブラドール、ハリファックス地域自治体空港、ノバスコシア州アルダーショットなど、いくつかのカナダ軍基地や駐屯地で受け入れられた。 また、大西洋地域のカナダ軍ユニットは、何千ものベッドと配給パックを提供した。 9機のカナダ軍輸送機が、約8,800のベビーベッド、8,300の毛布、55人のサポート要員を商業航空便が迂回した場所に輸送した。 カナダ軍航空機はまた、カナダ関税歳入庁の職員をこれらの場所に輸送し、立ち往生した旅行者が税関を通過してカナダに入国できるようにした。

カナダとカナダ軍は、こうした支援・援助をOperation SUPPORT(支援・援助作戦)と名付けたが、こうした隣国の友情と厚情は、テロリスト攻撃に各所あったばかりで深く傷ついた合衆国にとってどれほどありがたかったことだろう。

常套手段としてここで無神論者や不可知論者は、「何故人を愛する神は、こうした残虐行為をお止めにならなかったのだろうか」と問うものだ。これについては日を改めて記したい。

20年前合衆国は、本当に深く傷つき嘆き悲しんだ。その痛みはいまだあるが、それでも振り返れば、混沌と恐怖と悲しみの中にも、奇跡のようなことがあったことが思い起こされ、また人々の優しささえたくさん見られたことがあった。2019年4月8日に記したブログ”あなたの神はどこに”に書いたようなその時にはわからなかったことは20年後の今はっきりと見えさえする。例え想像もできないほどの悲劇に陥ろうとも、そこにはいつも希望の明かりがあることを覚えていたい。

 

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