ヴァレンタインズ・ディの朝長女が持ってきた薔薇。
「ダディがいたら絶対に忘れないわよね。」と。ありがとう。
末娘の夫は可愛いチューリップの花束をくれて、その心遣いに感謝。
夫がこの世という大役を無事終えて旅立ってすぐ、病院ベッドなどをホスピスに返却後、伽藍とした一階の寝室に、ポツンと置かれたリクライニング・チェアがいかにも寂しげで、ハイダベッドのカウチを新調した。スティーム洗浄でさほど汚れてもいないカーペットを洗浄し、リクライニング・チェアをカウチの横に置き直した。私はその部屋のその椅子に座り、一人見えない夫に話しかけたり、祈ったり、黙考に、祈りに使うことにした。泣く時も、そこで。
ある日、あれは夫の旅立ちからそう日が経っていない朝、いつものようにあの椅子に座ろうとした時、椅子の右前の足元になにかがきらりと光った。腰を屈めて窺うと、なんと20余年前にその椅子に座っていて落としてしまったチャームだった。そのくらい前に一時的に金相場が下がり、それで得た18金のインゴットタイプの物で、私でも入手できたのは、相場が下がっていたことと、大きさがたった15mmx 8mmという極小だったからだった。
注文して届いたその日、封を切った途端にスルリと私の指をすり抜けて、リクライニング・チェアの腕と座席の隙間に落ちてしまった。急いで、素手で、物差しで、隙間を探ってはみたが、まったく見つからず、椅子の底の薄い布を丁寧に剥がして、揺すったが、なにも出てこない。奮闘虚しく、もうどこかへ入りこんで見つからないとため息をついて椅子を元に戻した。夫にそんな顛末を話すと、「椅子に入りこんだのなら、いつか必ず見つかるよ。」と慰めてくれた。時折思い出しては、「あれは一体どこに消えてしまったのかしら」と未練がましい私だったが、夫はいつでも「そのうち出てくるから心配なしよ。」と言うのだった。
だから、それを夫の旅立ち後すぐに見つけて、それも見つけやすいように椅子の真下ではなく、少し離れてカーペットの上に光っていたので、私は思わず「あなたが見つけてくれてそこに置いてくれたの?」と声に出して訊ねた。子供たちに話すと、「それは絶対ダッドだ!偶然なんかじゃないよ。いつもお母さんのことを心配していたもの。」
私は婚約指輪・結婚指輪はあるが、イヤリングはしないし、ひとつも持っていない。あるのは母親からの真珠のネックレスと、家族ひとりひとりへの思いを込めたチャームブレスレットだけである。そのチャームブレスレットの初めのチャームは、まだデイトしていた時代に夫が贈ってくれた私の名前のアルファベットにスズメの涙より極小のダイアモンドが付いているものだ。それが始まりで、今ではそれぞれのチャームには夫や子供たちにちなんだ思い出がたくさん付着されている。教会へ行く時装着し、まだ幼かった子供たちがお行儀よくしている時、私の腕のブレスレットのチャームで静かに遊んでいたのだった。
見つかったインゴット型のチャームは、45年前出張先のサウジアラビアで、長姉の夫が、姉とお揃いで買ってくれたイタリアリリラのインゴットチャームと鎖のセットに付けることにした。思いがけず、そのペンダントは今は亡い二人の身内の再会を表している。非常に物質的なことだが、まつわる家族への思いがあり、それでも旅立ちには何も持っていく必要はないから、二人の娘たちが管理してくれることになっている。その時は、飛び立つ鳥のごとく、自由に行くつもり。
そうして、ご主人と巡り合わせてくださった主のご愛も・・、
お幸せですね。
目の前がぼやけました。