小学生ほどの年齢の時、テレビの名画劇場で、「青い山脈」を観たことがあり、主演は原節子さんではなく、吉永小百合だった。映画の出来はともかくとして、ラブレターの段では、大笑いをしたのを覚えている。例の「恋しい、恋しい私の恋人」を誤字で、「変しい、変しい私の変人」というところである。原作者の石坂洋次郎は、夫人のうらさんが亡くなってから、創作意欲を失ったそうだが、お二人の間には、静かな温かい愛情があったのがうかがい知れる。
そのラブレター。日本でもいにしえから恋文として書かれたし、平安時代の源氏物語や和泉式部日記にも記されている。そんな歴史に残るラブレター。積み重ねの歴史の浅いアメリカ合衆国にも、勿論先人の残したラブレターが存在する。最初に思い浮かぶのはジョージ・ワシントンだが、彼が愛妻マーサに出したラブレターはたった三通を残して全て、1799年ジョージ・ワシントン逝去後に、マーサ自身によって焼却されてしまった。二人の間の愛情は二人のものである、というマーサの考えが主な理由だった。ワシントンは非常に人気があったので、鵜の目鷹の目のミデイアを避けたようである。
そして先週のある日、私はウッドロウ・ウィルソン大統領が妻となるエレン・アクソンと交際中にしたためたラブレターについて、A distinguished anthology of thought, poetry and proseというアルマ・マター(出身校)の大学がはるか昔1976年に発行した本で読んだ。
1883年10月16日メリーランド州ボルチモア
...今夜、手紙に書きたいと思うことを私はどうやって書けるでしょうか。 ともあれ、あなたへの私の愛は文字通り言葉では言い表せません...あなたへの想いが私の人生を満たします。あなたは私が読むすべての書物の中に現れ、私がするすべてのことの中にも現れているかのようです。あなたがその楽しみを私と分かち合うことを願わずして私は何も楽しめはしません。あなたと共有することを望まなくして、為になる物を読めません。自分が幸せ者だから、幸せそうな人に、心を寄せて、思わず微笑んでしまいます。意気消沈した人々を目にすると、彼らが愛する人に愛されていないのだろうと想像し、同情しています。
ー中略ー
私はまるでいつも詩を繰り返し吟じていたいような愚かしささえ持っています。私を虜にしたこの愛とともに逃げる見込みがあります。あなたが私を愛し続け、私にそのような感動的な手紙をお書きになるなら、この私はこの先どうなってしまうのやらわかりません!
この程度のラブレターに、19世紀の婦人は、素直に感じ入ったと思える証拠に、二人はのちに結婚する。もし私が、エレン・アクソンならば、洒落た装丁で小本のウイリアム・シェイクスピアのソネットでも送ってくれた方がずっとロマンチックだったかもしれないと、不遜に思う。
あなたはかつてのラブレターを保存なさっていらっしゃるだろうか。本当のところ、夫と私は、はるか昔の紙の手紙類をまだお互いに保存している。ウィルソン夫人のように、保存し続けるか、はたまたワシントン夫人のように焼却してしまおうか。 大した人物ではない故、どちらでも構わないが、将来子孫がふと手にとって読み、「え!私の祖先は、結婚前に恋愛していたのか!」と驚くかもしれない。そして祖先に若い時があったとは、思いもしないだろう。そう驚かすのも面白い。
アメリカ第28代大統領ウッドロウ・ウィルソン
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