ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

信じるということ

2022-03-14 | 人間性

millstonenews.com

 

 

 

「私の父は行商セールスマンでした。ある時は家具を、別の時はハードウェアを、時には革製品を販売しました。彼は毎年行商順路を変えていました。私は父が母に、それが文房具やベッドランプ、あるいはその時売ろうとしていたものがなんであれ、今回の旅で行商は最後になる、と言うのをよく耳にしたものでした。そして来年はすべてが変わり、売り付けようとしなくとも、ひとりでに売れる製品を自分は売るだろうから、生活はもっと楽になるはずだ、と言うのでした。

それを父はいつも繰り返し言っていました。父は『暗闇の中で口笛を吹くような人』(どんな恐ろしい状況でも勇気を呼び起こし、それを維持し、示す、と言う意味)でした。気の毒なことに、父は売れ筋の商品を扱ってはいませんでした。むしろ無能故にやらかす間違いに満ちていた、それでも愛すべき人だったのです。

そんなある日、仲間のセールスマンが父に三行の祈りの写しをくれました。彼は顧客を尋ねる直前にこの祈りを繰り返すといい、と言われました。主を信じていた父がそれを試してみたところ、素晴らしい結果が得られました。

これが祈りというものです。私は常に神聖なお方に導かれていると信じています。いつも正しい道を行くように導かれていると信じています。神は常に道なきところに道を開いてくださると信じています。」

—ノーマン ヴィンセント ピール

 

openlibrary.org

ノーマン・ヴィンセント・ピール博士

(1898年5月31日-1993年12月24日)

ノーマン・ヴィンセント・ピールは作家兼宗教家(特に前向きな思考家の先駆者として知られたが、メンタル・ヘルスの専門家には受け入れられなかった)であった。 彼のその考え方はメンタル・ヘルスの専門家には受け入れられなかったが。メソジスト教徒として育ち、1922年にメソジスト牧師として叙階されたピールは、1932年にアメリカの改革派教会に宗教を変更し、マンハッタンのマーブル協同教会の牧師として52年間の任期を果たした。その間、教会の会員数は600人から5,000人を超え、ニューヨーク市で最も有名な説教者の1人になった。

ピール博士と精神分析医のスマイリー・ブラントンは、教会の隣に宗教精神科外来クリニックを設立した。二人は一緒に共著した本をいくつか出版した。 やがてこの心理療法と宗教のクリニックは、アメリカ宗教精神医学財団に成長した。ブラントンは困難な精神医学的症例を扱い、メンタル・ヘルスの資格を持たないピールは宗教的問題を扱った。

ピールは1935年にラジオ番組を開始し、それは54年間続き、さらにテレビ番組も始め、雑誌「ガイディングポスト』を発行した。

ビリー・グラハム氏同様、ピール博士はケネディ以降の各合衆国大統領と交流があった。

 


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2 コメント

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Unknown (まろ)
2022-03-16 09:03:30
おらのとーちゃんは、暗闇で口笛吹くと化け物が集まる!と、禁止行為でした。
文化によってそれぞれですね。
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コメントをありがとうございました。 (ままちゃん)
2022-03-22 02:04:10
「鬼哭啾啾」(きこくしゅうしゅう)と言うことで、夜徘徊し、亡霊の恨めしげな鳴き声が響く、そうですから、魑魅魍魎を口笛を吹いて呼んではいけない、ということですね。ところが、そういう日本でも、もともとは「うそぶき」と言って、うそは、神や精霊を呼ぶ神聖なことだったと聞きました。神聖なことだからこそ無闇やたらにするものではなく、慎むための禁忌となったそうです。すると、それは西洋のいわれと似ていますね。興味深いことです。
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