Steinbeck House, Salinas, California
あなたは自分が好きですか? かつて、エドという名前の私の友人が私に言いました、「非常に長い間、私は自分自身が好きではなかったんです」。それは自己憐憫ではなく、単に不幸な事実として言われました。 「その時は、非常に困難な時期でした」と彼は言いました。「そして、心の痛むことでした。私はいくつかの理由で自分自身が好きではありませんでした。ある理由は、根拠が確実にあり、その他は純粋に妄想的です。私はそう言う理由について思い返すのが嫌だったものです。」と語りました。
「すると徐々に」と彼は言いました。「多くの人々が私を好きであることに、わたしは驚きと喜びをもって発見しました。そして、彼らが私を好きになれるのなら、なぜ私は自分を好きになれないのだろうと思いました。その答えがすぐに見つからなかったのですが、そのうちゆっくりと自分を好きになるようになりました。それで大丈夫でした。」これは、自己愛、その悪い意味ではなく、自己認識で語られたことです。エドは文字通り、人々に好まれていたので、「エド」という人をそのまま受け入れ、人々が好きになることを学んだということを意味しました。それは彼に大きな強みを与えました。
ほとんどの人は自分自身をまったく好きではありません。そう言う人々は自分自身を信用せず、偽りの仮面や尊大さを装うのです。彼らは喧嘩し、自慢し、ふりをし、自分が好きではないので嫉妬します。 しかし、ほとんどの場合、彼らは本当の好みを形成するのに十分なほど自分自身をよく知らないのです。そして、私たちは自動的に見知らぬ人を恐れて嫌うことがあるように、見知らぬ自分自身をも恐れて嫌うのです。
エドが自分を好きになることができると、彼は自己軽蔑の秘密の牢屋から解放されました。 私たち全員がそうなることを願っています。 少しでも自分を好きになることができれば、残酷さや怒りが消えてしまうかもしれません。 たぶん、自我という顎を沈ませずに水上に身を保つだけにすれば、お互いを傷つける必要はないでしょう。
—ジョン・スタインベック
Photo by Hulton Archive/Getty Images)
ジョン・スタインベック (1902 – 1968)
おっしゃる通りですね。あまり自分を卑下してもいけないし、かといって思い上がりになってもいけませんね。ただ自分が遜っていなければ、人の痛みや悲しさは到底理解できないし、支えていくのもままなりません。
ただし、釣りに関しては、私は卑下しなくては。とても楽しそうですが、擬似餌でなければ、針に餌をつけることもできず、釣ったとしても、釣果に触れられるわけでもない、という体たらく。そして魚類はなかなか食べられません。ダメですね、こんなことでは。ゆうすけ様は、そうしたことを全部おできになられ、羨ましい限りです。奥様も同じく。それでも、フライフィッシングには興味があります。
自己嫌悪や自己軽蔑というのを、生涯背負う必要はないと思いますし、また、こうした自己嫌悪や自己軽蔑なんかを体感することで、本当の意味での思いやりや真心なんかにも繋がっていくんだろうな…と、そんな風にも思えました。
感謝(^^♪