Bigthink: ロビン・ウィリアムズ
1978年大学の秋学期が始まってすぐ、わたしはルームメイトの女の子たちと居間のカウチに座って、その晩新しく始まるABC局のコメディ番組を楽しみに待っていた。それは「ハッピー・デイズ」や「ルバーノンとシャーリー」のような1950年代の趣とは異なり、当時人気のあったパム・ドーバーというモデルと聞いたことのないコメディアンのロビン・ウィリアムズが主演すると言う。その題名はMork and Mindy(モークとミンディ)と言い、モークは宇宙人という設定で、この二人が繰り広げる地上での掛け合いをテーマにしたものだった。
案の定、初回からわたしたちは笑いに笑い、楽しく観た。ロビン・ウィリアムズはいままでにない、マシンガンのようにジョークを次から次へと飛ばす、実に面白い人だと思ったが、やはりそれは彼の有り余る才能の一部で、あまり時間を経ずに彼はどんどんメインストリームの舞台へと駆け上がっていった。
Stand-Up(スタンダップ) コメディアン(一人で即興話芸をして観客と対話をするかのように漫談をするが、日本で言う漫談とは多少異なる)としてだけではなく、彼は歌も歌え、演技もうまく、ダンスもするし、さすがにジュリアード出身だと思ったが、その才能以上に彼の瞳には人を思いやる色があり、多くの人はそこに惹かれたと思う。彼はアカデミーもグラミーもエミーも受賞したほど優れた芸人であった。
とにかく人を笑わせることでは超一流のコメディアンで、映画の演技では非常にその才気を感じさせ、感動させてくれた。彼のどの作品も好きだが、「グッドモーニング、ヴィエトナム」がわたしの心には強く残っている。
その彼が、7年前、自宅で自殺したニュースを知り、多くの人はその才能を惜しみ、その人柄をしのび、そして彼が持てるものを全て人に与え尽くしたかのように、逝ってしまったと惜しんだ。その訃報の少し前に、彼がその溢れんばかりの才能と生気を徐々に衰弱させるに違いなかったパーキンソン病やレビー小体型認知症が初期とは言え、始まっていたとニュースでは言われた。病が彼を重度の鬱に陥れてしまったのかもしれないが、わたしは、彼が本当に自分の持てるものを全て人に与えて、自分にはなにもなくなってしまったのではないかと思った。
彼の遺体は荼毘に付され、その遺灰は、サンフランシスコ湾に散布された。彼のあの青い瞳の色のサンフランシスコ湾の水面を見るたびに、「多くの人はいまだにあなたを忘れず、寂しいと思っていますよ」などと呟いてしまうわたしだ。
ジュリアードでウィリアムズとクリストファー・リーヴはルームメイトだったが、その友情は、その後25年に及び、二人はまさに兄弟であった。貧しかった学生時代、リーヴは食糧をウィリアムズに調達したり、リーヴが落馬事故で笑いを失った時、ウィリアムズが初めて彼を笑わせ、リーヴは自分がまだ笑え、そして生きることができるのだと思ったと言う。リーヴが2004年に亡くなり、その妻もしばらくして癌により亡くなり、その二人の間の子供の後見人として、ウィリアムズは関わった。
そんなロビン・ウィリアムズは映画制作会社に、ホームレスの人を雇って、映画のセットで何かしら働けるように依頼してきたことをご存知だろうか?
多くのハリウッドスターは法外で極端な要求をすることで知られているが、ロビン・ウィリアムズは制作会社にとってかなり珍しい仕事を依頼してきていた。
プレミア・スピーカー・ビューロー社の副社長であり、1998年にデポウ大学を卒業したブライアン・ロード氏は、ロビンが亡くなる数年前に、あるイベントのためにロビン・ウィリアムズと契約交渉中だった。
ブライアン・ロード氏は自分のウェブサイトに書き込んだことを思い出す。それはウィリアムズとあるイベントに参加することを交渉した後に、ウィリアムズのオフィスから受け取った付加条項リストについてだった。
「ロビン・ウィリアムズの付加条項リストを見て非常に驚きました。ロビン・ウィリアムズは実際、彼が行なったすべてのイベントや映画制作に関して、彼と契約を交わす会社が一定数のホームレスの人々を雇い、職を与えることという要件だったのです。」と彼は言った。
「その後、ロビン・ウィリアムズの映画をわたしは以前と同じように見たことはありませんでした。彼は自分の時間と自分のお金で、困っている人々と一緒に仕事をしていたのだ、と確信しています。 彼は自分のエンターテイナーとしての影響力を使って、制作会社やイベントプランナーにも、ホームレスとなった人々に一度は踏み外した道へ戻れるように仕事を与える機会の大切さや価値を学ばせたのです。」
sparklyprettybriiiight.com
わたしも含めて多くの人々は、ロビン・ウィリアムズを、いつまでも覚えているだろう。マニアックに笑い、比類のないコミックのエネルギーの果てしない実に面白い人だった。 彼は、セサミストリートがツイッターアカウントを介して公開した写真にさえ描かれている。そこでは彼について簡潔に美しく書いてある:「いつも私たちを笑わせてくれ、笑みをくれた友人のロビン・ウィリアムズの死を悼みます。」
ロビン・ウィリアムズは驚くべき才能と温かな人柄を持った素晴らしい人だった。
ミセス・ダウトファイアは家族で観ても楽しめましたね。あのようなナニーが本当にいたらなあ、とさえ思ってしまいます。ロビン・ウィリアムズの鬱は以前から知られていましたが、いつも人を楽しませ、笑わせ、幸せな気分にさせてくれたのに、ご自分では、晩年二つの不治の病が見つかり、相当絶望的になっていたようで、「自分の頭の中にはテロリストがいる」と言っていたほどでした。多くの人にあますところなく才能をわけ与え続け、ある日、自分にはなにも残っていなかったように思えてしかたがなく、また世界中でその楽しさで知られていたのに、誰も彼を助けることができなかったのが、胸を痛くします。
あれほど、人を笑わせてくれた彼自身が笑えなくなった時、どれほど苦しかったのだろう、と思います
コメディだけでなくグッド ウィル ハンティングでの主人公の青年を温かく見守る繊細な心理学者の姿を思い出します
訃報を聞いた時、どんな闇を彼が包んだのだろう、ずっと考えていました
それぞれの心の中に彼はいつまでも生き生きと命を持っているのだ、と
改めて感じました
ありがとうございます
コメントをありがとうございました。その通りですね。温かな目をした方でした。
ロビンウイリアムズの映画で好きな作品は
ガープの世界
パッチアダムス
レナードの朝
この三つの作品はリピートして観ました
きっとどの作品も彼自身だったのだと思っています
全くその通りですね。彼の演技力は素晴らしかったです。惜しい才能、惜しい人物ですね。