ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

人と鳥

2018-12-21 | アメリカ事情

 kck.kckglobal.com

 

 

 

 


12月23日から29日までの一週間は、「あなたに光を」というテーマでの提案です。まずは、ポール・ハーヴィの「人と鳥」というお話を。

 

 

ポール・ハーヴィ、ABCラジオ、2004年12月24日午前1時57分放送されたクリスマスの話



 人と鳥

ポール・ハーヴィ



出所が辿れないので、私はこの話を「人と鳥のクリスマス物語」と題することにしました。神(の御子)が、お生まれになり、飼い葉桶に入れられたというクリスマス物語は皆さんがご存知かと思います。けれど、見かけるところ、多くの人々はそれを素通りするかのようにしていて、それは現代人が、質問に対してのもっと複雑な答えを求めているので、この話はひどく単純なことなのではないかと私は思います。だから、冷笑して皮肉る者や懐疑的な人に、私は現代の寓話を捧げようと思います。

 

さて、私が紹介しようとしているこの人は、あの(クリスマスキャロルに出てくる)スクルージのようなケチではありませんでした。彼は親切で、まともな、ほぼ善人でした。家族には寛容で、他人とのやりとりでは正しくありました。しかし、クリスマスの時期に教会で語られる、つまり神が人となった、というような話を信じることができなかったのです。道理にかなわないと思っていたし、信じているふりをするには、彼は、正直過ぎました。ただ彼は人間として地球にやってきたとする神の話、イエスの物語をそのまま受け取ることができませんでした。 「がっかりさせてすまないが、」と彼は妻に言いました。「しかし、このクリスマスイブに教会に礼拝しに行くつもりはないよ」もし彼が教会へ行けば、自分を偽善者のように感じるからだと言いました。それならむしろ自宅にいて、家族の帰りを待つほうがよいと思ったのでした。それで彼は家にとどまり、家族は真夜中の礼拝に行きました。


家族が車で去ってしばらくして、雪が降り始めました。彼は窓辺に行き、激しく降り始めた雪をつかの間眺め、それから暖炉の傍にある椅子にもどり、新聞を読み始めました。数分後、彼はバタンというような音に驚かされました。それから又同じ音がし、また繰り返されました。なにかぶつかるような、そんな音でした。最初は誰かがリビングルームの窓に雪の玉を投げつけているのかと思いました。しかし、玄関に行ってドアを調べてみると、雪の中で惨めに寄り集まっている鳥の一群を発見しました。この吹雪に巻き込まれ、避難所を必死に捜索して、ここの大きな一面ガラスの窓へ飛び込もうとしていたのでした。


このみじめな生き物をそこにおいたまま凍らせることはできないと、彼は子供たちがポニーを飼っていた納屋を思いつきました。もしそこに鳥をいれるようにすれば、暖かい避難所を提供できると思いました。すばやく彼はコートを着て、防寒用オーバーシューズを履き、次第に深くなる雪の中を納屋に向かいました。納屋の戸を大きく開けて、灯りをつけましたが、鳥は、いっこうに入ってきませんでした。彼は食べ物で誘ってみようかと考えました。急いで家に戻り、パン粉を取り出し、雪の上にまき、黄色のライトがつき、戸もあけられている方へおびき寄せられると思いました。ところが、驚いたことに、鳥たちはパン粉を無視し、ただただ雪の中で無力に羽ばたいていました。彼はそうしている鳥を捕獲しようとしました。両腕を振って鳥の周りを歩き回って、納屋の中に入れようとしました。かえって鳥は、温かく明るい納屋以外のあらゆる方向へ飛び散ってしまいました。


それから、彼は鳥が自分を恐れていることに気づきました。彼らにとっては、自分が奇妙で恐ろしい生き物であるのだろうと結論に達しました。彼らに自分が唯一信頼できるものであることを鳥に知らせる何らかの方法を考えつけば。は鳥を傷つけるつもりではなく、助けることを願っていました。しかしどうしたらいいのでしょう?ちょっとした動きも彼らを怖がらせ、混乱させるばかりでした。導くことも、追いたててそちらに向かわせることもできないのでした。「ああ、私が鳥でさえいたらなあ。そしたら安全で暖かい場所へ導けるのに。そして鳥たちにわからせることができたのに。



その瞬間、教会の鐘が鳴り響き始めました。その音は風に混じって彼の耳に届きました。彼はそこに立ち停まって鐘を聞いていました - Adeste Fidelis(讃美歌「神の御子は今宵しも」) を、 鐘がクリスマスの「良き報せ」を、奏でているのを。そして、彼は雪の中で膝まづきました。


 *YouTubeでポール・ハーヴィのクリスマス物語をポール・ハーヴィ自身が読んでいる。

  

 

 

 

 

 

The Man and the Birds 
by Paul Harvey

The man to whom I’m going to introduce you was not a scrooge, he was a kind decent, mostly good man. Generous to his family, upright in his dealings with other men. But he just didn’t believe all that incarnation stuff which the churches proclaim at Christmas Time. It just didn’t make sense and he was too honest to pretend otherwise. He just couldn’t swallow the Jesus Story, about God coming to Earth as a man.

“I’m truly sorry to distress you,” he told his wife, “but I’m not going with you to church this Christmas Eve.” He said he’d feel like a hypocrite. That he’d much rather just stay at home, but that he would wait up for them. And so he stayed and they went to the midnight service.

Shortly after the family drove away in the car, snow began to fall. He went to the window to watch the flurries getting heavier and heavier and then went back to his fireside chair and began to read his newspaper. Minutes later he was startled by a thudding sound…Then another, and then another. Sort of a thump or a thud…At first he thought someone must be throwing snowballs against his living room window. But when he went to the front door to investigate he found a flock of birds huddled miserably in the snow. They’d been caught in the storm and, in a desperate search for shelter, had tried to fly through his large landscape window.

Well, he couldn’t let the poor creatures lie there and freeze, so he remembered the barn where his children stabled their pony. That would provide a warm shelter, if he could direct the birds to it.

Quickly he put on a coat, galoshes, tramped through the deepening snow to the barn. He opened the doors wide and turned on a light, but the birds did not come in. He figured food would entice them in. So he hurried back to the house, fetched bread crumbs, sprinkled them on the snow, making a trail to the yellow-lighted wide open doorway of the stable. But to his dismay, the birds ignored the bread crumbs, and continued to flap around helplessly in the snow. He tried catching them…He tried shooing them into the barn by walking around them waving his arms…Instead, they scattered in every direction, except into the warm, lighted barn.

And then, he realized that they were afraid of him. To them, he reasoned, I am a strange and terrifying creature. If only I could think of some way to let them know that they can trust me…That I am not trying to hurt them, but to help them. But how? Because any move he made tended to frighten them, confuse them. They just would not follow. They would not be led or shooed because they feared him.

If only I could be a bird,” he thought to himself, “and mingle with them and speak their language. Then I could tell them not to be afraid. Then I could show them the way to safe, warm…to the safe warm barn. But I would have to be one of them so they could see, and hear and understand.”

At that moment the church bells began to ring. The sound reached his ears above the sounds of the wind. And he stood there listening to the bells – Adeste Fidelis – listening to the bells pealing the glad tidings of Christmas.

And he sank to his knees in the snow.

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子供が定義する神

2018-12-20 | アメリカ事情

cutesycrafts.com




カリフォルニア州チュラビスタのダニー・ダットン(Danny Dutton)8歳、が3年生で出された宿題の作文から。



「神の主な仕事の1つは人を作ることです。彼は死んだ者を取り替えるようにして、地球上で物事を世話するのに十分な人がいるようにしました。その方法では、神は、大人を作らず、赤ちゃんだけ作ります。そうすれば、赤ちゃんは、ちいさいので作りやすいと、僕は考えます。そうすれば、神の貴重な時間を大人に話すことや歩くことを教えるために使うことがありません。


神の最も重要な二つ目の仕事は、祈りを聞くことです。説教者などのように、(人々は)寝る前に、度々祈っているので、とてもたくさんのこれ(祈り)はあります。神はこのためにラジオやテレビを聞く時間がありません。神は祈りだけでなく、すべてを聞いているので、それをオフにする方法を考えていない限り、彼の耳には、ひどい騒音があることでしょう。


神はすべてをご覧になり、すべてをお聞きになり、どこにもいらして、かなりお忙しいのです。だからあなたは、何か欲しい物があるからと言って、両親の頭を超えて(神に頼むということ)彼の時間を無駄にしてはいけません。


無神論者は、神を信じない人です。僕はチュラビスタには(無神論者は)一人もいないと思います。少なくとも僕たちの教会に来る人の中にはいません。


イエスは神の子です。彼は水上を歩いたりして難しいことをしたり、奇跡を繰り広げ、神について学びたくない人たちに教えようとするなど、大変な仕事をしていました。彼らは自分たちに彼が説教することが嫌になり、とうとう彼を十字架にはりつけました。しかし、彼は彼の父のように善良で親切であり、(自分を十字架にはりつけた)彼らは自分たちが何をしているのか分からないので、彼らを許してください、と父に頼んだのでした。そして神は、OKとおっしゃったのです。


彼の父(神)は、(息子の)彼がなしたすべての事や、地上で行ったすべてのことを感謝して、彼がもう道中を行かなくてもいいとしました。彼が天国に留まれるようにでき、彼はそうしたのです。そして今、彼(イエス)はすべての祈りに耳を傾け、神が世話をしなければならない重要なことを見やり、神を悩ますことなく自分自身で世話することで、彼の父(神)を助けます。秘書のように、でも(彼の)することはもっと重要なことです。あなたはいつでも祈りをすることができます。何故ならば、(神かイエスかの)どちらかが、必ず聞く任務についているからです。


あなたはいつも日曜日に教会へ行くべきです。というのは、それは神を幸せにするからで、そしてもしあなたに幸せにしたい人があれば、それは神様です。ビーチに行くのがもっと楽しいと思い、教会へ行くのをスキップしようとはしてはいけません。それは間違っています!それに、太陽は、正午までビーチには出てこないのですから。


無神論者であること以外に、神を信じないならば、あなたはとても寂しい思いをします。親はキャンプなどにあなたと一緒に行けないことがあっても、神は、あなたと一緒にいます。どこにでも行くことができないので、あなたは非常に孤独になります。あなたが暗闇の中で怖がっているとき、またはあなたがあまり上手に泳げないのに、深い水中に投げ込まれるとき、彼(神)があなたの傍にいるのを知ることは良いことです。でも、神があなたのために何ができるかをいつもいつも考えてはなりません。僕は思うのですが、神が私をここに置かれていても、彼は意のままにいつでも僕を連れて行くことができます。それが僕が神を信じる理由です」




ldsartco.com/Del Person











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嵐の夜に

2018-12-19 | アメリカ事情

 lionsroar.com

 




ある夜の午後11時30分に、初老のアフリカ系アメリカ人女性がアラバマ州のハイウェイ車道の際に立って暴風雨に耐えようとしていました。彼女の車は故障してしまい、それでもある所へ行かねばならず、必死にどなたかが停車してライドをくれるのを必要としていたのでした。ぐっしょりと雨に濡れて、彼女は次の車には、停まってもらうように合図していました。


若い白人男性が、彼女を助けようと、停車しましたー人種間の紛争に絶えない1960年代のことでした。その男性は彼女を安全な所に連れて行き、彼女の助けとなるように手配して、彼女をタクシーに乗せてくれました。彼女はとても至急な事情があるようにみえたのでした! 彼女は若い男性の住所を書留め、感謝の念を伝えてから、タクシーで走り去りました。その晩から7日過ぎ、若い男性の玄関の戸がノックされました。驚くことに、彼の家宛てに、巨大ともいえるカラーテレビとステレオのコンビネーションコンソールが届けられたのです。そこにはメモが付いていて、こうありました:


親愛なるジェイムスさん、

先日はハイウェイで私を助けてくれてありがとうございました。あの晩、服だけでなく、私の魂も雨に濡れていました。するとあなたが現れてくれました。あなたのおかげで、私は瀕死の夫の臨終に間に合えたのです。神様は、あなたが自分を顧みずに他人の私を助けてくれたことを祝福してくださるでしょう。

敬具、ナット・キング・コール夫人より




news.allaboutjazz.com

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子供が定義する愛

2018-12-18 | アメリカ事情

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あるプロフェッショナル・グループは、四歳から八歳の子供たちのグループにこの質問をしました:「愛とはどういう意味ですか?」彼らが得た答えは、誰も想像できなかったほど広範で深いものでした。あなたはどうお考えになるでしょうか。


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私のおばあちゃんが関節炎になったとき、彼女は倒れずに足の爪をネイルカラーで塗ることができなくなりました。おじいちゃんは自分の手に関節炎があっても、おばあちゃんのためにそうします。それは愛です。」レベッカ - 8歳


愛は、女の子が香水をつけ、男の子はシェービングコロンをつけて、二人はデートして、お互いの香りを嗅ぐのです。ーカール - 5歳


愛は、あなたが食事デートに出かけ、自分に相手からもらうのではなく、自分のフレンチフライのほとんどを相手に上げることが愛です。ークリシー、6歳


愛は、疲れているときに笑顔にさせてくれるものです。ーテリヤス4歳


愛はクリスマスに、プレゼントを開けるのをやめて、耳をすませば、あなたと一緒にその同じ部屋にいます。―ボビー 、 7歳(うわー!深い!)


あなたがもっと愛することを学びたいなら、あなたが嫌う友達から始めるべきです。―ニッカ、6歳


あなたが彼の着ているシャツが好きだと言うと、彼は毎日それを身に着けます。それは愛です。―ノエル、 7歳


愛はお互いをとてもよく知った後でさえ、まだ仲良くしている小さな老人と小さな老婦人のようなものです。―トミー 、6歳


私のピアノ・リサイタルで、ステージ上にいたのが、怖かったんです。私は、私を見ているすべての人々を見回した時、パパが私に笑顔で手を振っていたのを見ました。パパはただ一人、そうしていたんです。そうしたら、もう怖くなくなりました。―シンディ、 8歳


愛は、ママがパパに鶏の一番良い肉をあげる時です。ーイレイン、5歳


ママがパパが汗をかいて臭い時でも、パパはロバート・レッドフォードよりもハンサムだと言います。―クリス、7歳


あなたの子犬を一日中放ったらかしておいても、あなたの顔を舐める時、愛があります。―メリーアン、 4歳


お姉ちゃんが、私を愛していることは分かっています。何故ならお姉ちゃんは、自分のお古を私にくれて、そのせいで、新しい服を買いにいかなければならないからです。―ローレン、4歳


誰かを愛していると、その人のまつ毛は上下に動いて、目から、小さな星が出てきます。―カレン、7歳


人は本当にそれを意味していない限り、「私はあなたを愛している」と言ってはいけません。でももし本気ならば、たくさんそう言うべきです。人は忘れっぽいから。―ジェシカ、8歳

 

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著者および講師であるレオ・バスキャグリアは、このコンテストの目的は、思いやりのある子供を見つけることでした。 優勝者は、隣人が最近妻を失った高齢の紳士だという、4歳の子供でした。この隣の老紳士が泣くのを見て、この4歳の少年は、隣の庭に入っていき、彼の膝の上によじ登り、ただただそこに座っていました。 母親は、隣人に何を言っていたのか尋ねたところ、彼女の息子は、言いました;何も。僕はただ彼が泣くのを手伝っただけだよ」




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Christmas のW

2018-12-17 | アメリカ事情

pickpik.com

 

 

 

 

昨年12月、私はクリスマスを静かで平和な体験にすることを誓いました。無限に続く(もてなしのためにクッキーやらブレッドやらケーキやらを焼く)ベイキング、飾り付け、さらには贈り物に無駄遣いすることまで、私は不可欠と思っていた義務を取り除くことにしました。それでもなお、私は自分自身を疲弊させ、貴重な家族との時間を減らし、もちろん、クリスマスの本当の意味を理解さえしていませんでした。


私の息子、ニコラスは、その年、幼稚園にいました。クリスマスは、六歳児にとって魅惑的な季節でした。数週間、彼は彼の学校の 「冬の祭典」に披露する曲を覚えようとしていました。私はその催しのある夜は、働かねばならないことを息子に伝えることができませんでした。息子の輝かしい瞬間を見逃したくない、と私は息子の先生に話しました。彼女は、発表の日の朝、ドレスリハーサルがあるからそれをご覧になったら、と私に言ってくれました。その夜出席できない両親は、その朝来ればよいことを歓迎しました。幸いにも、ニコラスはこの妥協案に満足していたようでした。


ドレスリハーサルの朝、私は10分早く学校へ行き、カフェテリアの床の空いている場所を見つけて座りました。部屋を見渡すと、慌てて席につこうとしている何人かの両親を見ました。そうやって待っている間、生徒たちは部屋に導かれてきました。それぞれの教師を伴った各クラスは、床に足を組んで座りました。それから、各グループは、ひとグループづつ、歌を歌うために立ち上がりました。公立学校のシステムでは、この休暇を「クリスマス」と呼ぶのを長い間辞めていた(他宗教信者を慮る近年はこういう公立学校が多い)ので、おそらくトナカイ、サンタクロース、雪、などをはしゃいで歌う世俗的なこと以外が歌われることは予想外でした。


ですから、私の息子のクラスが「クリスマスの愛」を歌うために立ち上がった時、その大胆な曲名によって思わず、ハッとしました。ニコラスは、クラスメートのすべてがそうであったように、ふかふかとしたミトン、赤いセーター、明るいスノーキャップを頭にかぶっていました。ステージ前列中央では、子供たちは曲のタイトルを綴るために大きな文字を一つづつかかげました。クラスが 「C はクリスマスのC」と歌う時には、子供はCの文字を掲げました。そして、 「HはHappy幸せのHです」、そうやって、各子供がメッセージ 「Christmas Love」と綴ったのでした。


パフォーマンスはスムーズに進みましが、突然、最前列にいる小さなおとなしそうな女の子が、「M」の文字を逆さまにして持っているのに気づきました。「M」は「W」に見えました。この小さな子供の間違いで、第1学年から第6学年を含む聴衆は、くすくす笑い始めました。けれどもこの小さな女の子は、自分を人々は笑っているのだとは知らず、むしろ誇らしげに背を伸ばし、「W」を掲げていました。多くの教師がくすくすと笑う子供を静かにさせようとしましたが、最後の文字が掲げられるまで、笑いは続きました。そして私たちは皆一緒に見たのです。それを見て、聴衆は一瞬のうちに静かになり、皆の目が見開かれました。その瞬間に、私たちがそこにいた理由、何故この休日を祝うのか、この祭典の目的を理解したのでした。最後の文字が高く掲げられた時、そのメッセージは大きく明瞭に読まれました:"C H R I S T  W A S  L O V E"(キリストは愛)


そして、私は彼が未だそうであると信じています。


ー作者不詳

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