ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

百年前のクリスマス

2018-12-11 | アメリカ事情

 

 

 

12月に入り、カリフォルニア州中部の私の街でも、少しずつクリスマスシーズンらしくなりつつある。赤や白のポインセチアの鉢がホームディポや花屋や商店にあふれ、街角や店先に立つ救世軍の赤いケトル、デパートやエレベーターの音楽はクリスマスソング、ちょっとトレンディなモールの一角には、Toys for Tots (こどもたちにおもちゃを!)の凛々しい制服姿の海兵隊員が見かけられる。Toys for Totsとは、 クリスマスに贈り物を買う余裕がない家庭の子供たちに、真新しい包装紙に包まれていないおもちゃを配布する米国海兵隊予備軍が運営するプログラム。 このプログラムは、1947年に予備選挙大尉ビル・ヘンドリックスによってロサンジェルス地区で始まり、当時約五千個のおもちゃを集めた。この活動は全米に広がり、毎年12月初めに各地のデパートやモールの一隅で、大きな箱を用意しておもちゃの寄付を集めている。街の街頭にはクリスマスの飾り、店内も然り。



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アメリカなどを含む欧米のクリスマスは、家族中心であるが、百年前は、離婚も少なく、現在よりももっとその傾向はあったようである。今日は百年ほど前のクリスマスについてである。


今日、ヨガパンツやフランネルパジャマをクリスマス当日終日着用することは、大方の人々の間で受け入れられている。 対照的に、1912年には、 "The Hope of the House"が画家J. M. ボリオル・サーモンによって描かれた画によれば、家族がクリスマスにきちんとした正装をするのが、非常に典型的なことだった。 赤ちゃんもパーティーシューズを付けている!



Historia/Shutterstock



ウィル・ホートンの下のイラストレーションは、1914年の人々がおもちゃ職人をどのように想像していたかを語っている。 最近でも、手作業でおもちゃを製作する人はまだ数人いるかもしれないが、ほとんどのおもちゃは巨大な工場で大量に製造されており、しばしばこの国では生産されていず、大概は、あの東洋の新経済大国が頭に浮かぶ。


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世界大戦(Great War:一次)はすでに1914年7月欧州などで始まっていたが、合衆国が参戦したのは1917年のことである。太古から子供達は疑似戦争をおもちゃの軍隊で、繰り広げたものだったが、1916年のクリスマスでは、下の絵のように、大戦のように見える精巧な遊びをしている。戦争の恐怖が実際にこどもたちに現実味を帯びるほんのすこし前のことである。



 

Historia/Shutterstock




クリスマスのために、手押し車一杯に薪を積み、森から家に持ち帰る2人の子供のこのイラストレーションは、大人の付き添いなしで、子供たちだけで雪の森や野外へ薪を集めに行かせる親の存在が、現代人には信じがたい光景であろうか。けれど、子供たちは天真爛漫にこれを楽しんでいるように見える。古き良き時代、ということだろうか。


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下の写真のクリスマスツリーの周りには、7人の子供、1匹の猫、そして1匹の犬がいる。当時の典型的なアメリカの家族の写真が雑誌のために撮られたのは、1923年である。まだまだ家族は、多くの子供を抱えていて、それは珍しいことではなかった時代。子供たち一人ひとりはきちんと正装している。

 


Universal History Archive\UIG/Shutterstock



下の絵が描かれた1880年代、ちいさな女の子がクリスマスの到着を待ちかねているのは、当時も今もかわらない心情であろう。 確かに今日、子供たちは、「祖父の時計」のアナログフェイスを頼るのではなく、スマートフォンやタブレットやコンピューターを介したNORAD Official Santa ノーラッド・公式サンタ、Trackerhttps://www.noradsanta.org/をチェックしている。



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一日だけ

2018-12-10 | 人間性

TCPalm.com/Gary Varvel

 

 

 

 

 

あなたの一食の代金は、おいくらでしょうか? 五百円?千円?あるいはそれ以上? その一食分のお金で、苦しい生活をする方々の二食分が賄えるかもしれません。毎月一回断食献金として、一食分をそうした方々の食糧に費やすために寄付します。こうしたことは、口外したり、喧伝することでは決してありませんが、分かち合い、助け合うためのひとつの方法として、あえてここに挙げます。

 

インドのハイデラバードにあるダビアプラ橋の下で、そこに居住する体の不自由で、あるいはホームレスの人に、毎日自分のポケットからのお金で食料を買い、分け合っている(2015年当時36歳の)男性がいます。彼の名は、アズハー・マクスジと言う内装壁工事請負店を持つ人で、彼はその橋の上を通る道路で、タイヤがパンクした時、橋下に、大勢の人が居住しているのに気がついたのです。体に障害を持つ人や、貧しくそこに居住するしかない人々、老いも若きも、一般社会からは、見捨てられているかのように暮らし、そのほとんどの日々は一度も食事をすることがありませんでした。アズハーは、ただちに有り金で食料を買い、その人々のために食事を作り、分けたのでした。それは2012年のことです。それから毎日彼はできうる限りのお金を出して、そうしてきました。理由?それはアズハー自身がこう語っています。

 

「私の父は私が4歳の時に亡くなり、それからたったひとりで母は私と兄弟を育てるために多くの苦労をしました。 私は空腹を抱えて寝ることがどういうことかを知っています。」

 

 

 

 

 

thenewsminute.com

 

 

当初アズハーは、パケットになった食料を配ったのですが、やがて妻が調理したものを配りました。食事を貰う人々はきちんと列を作って、じっと自分の番が来るまで待っていたのですが、足りなくなることもあり、50人ほどに増えた時に、彼は、料理人を雇い、大量に食事を用意できる者を雇ったのでした。彼は決して裕福な人ではないので、そこには大変な苦労があったと窺われますが、やがて彼のすることに気がついて、寄付をしたり、助ける人もやってきました。

 

時には百人を超える人々が、食事を分け与えられます。費用は、1500から1700ルピー一日にかかりますが、彼は、自分用には1ルピーのお金も受け取りません。「私が受け取るのは、親切だけです。」とアズハーは言います。そして彼は、現金を恵まれない人に直接渡さず、それで食料、さらに衣服や生活に必要な物を買って渡すことが大切だと言います。何故なら、ある人は、そのお金をアルコール飲料に使い、酔っぱらって厄介を起こすからです。そして彼は皆が食事を終えた時に、初めて健全な話題をもって話をし、諦めないこと、彼らがひとりではないことを話すのです。アズハーは、今後この活動を辞める気持ちはひとつもありません。フェイスブックなどのSNSを駆使して、こうした人々を思いやることを掲揚しています。

 

アズハーのように、私財を投げうって、とは申しませんが、ひと月に一日でも自分の昼食を抜いてその分の費用を寄付するとしたら、一体どれほどの人の空腹を満たせることでしょうか?

 


地域に光を

2018-12-09 | 人間性

behindthescenesblog.com

 あなたがたは、世の光である・・・

また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。

むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである・・・

あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、

天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。

ーマタイ伝5章14-16節





今日12月9日から15日までの一週間の、クリスマスの奉仕の対象は、 地域に光を、です。どのようなことをしたらよいのでしょうか? 次のような提案があります。


  • 近所に住むお年寄りの家の玄関前のお掃除を手伝う
  • 学校や勤務先に新しく転校、転入してきた人を昼食に誘う
  • 年配の人に人生で経験してきたことについて話してもらう
  • 伴侶を亡くされて独身になった人を夕食に招く
  • 組織だった奉仕活動に参加する(下記)

合衆国では:
  • 在米: JustServe.orgをクリックし、あなたのZip codeを入れると、お住まいの地域でどうのような助けが必要か、どのように支援できるかをリストが出てくる。ちなみに私の住む地域には、病院・ホスピスでの奉仕活動、Linus Project (ライナス・プロジェクト)[ピーナッツのライナス、ルーシー・ヴァンペルトの弟、は、いつも青いブランケットを心の拠り所にしているが、文字通りこれは温かい毛布を必要とする人々へ寄付するという活動]、Habitat For Humanity (ハビタット・フォー・ヒューマニティ:日本では、http://habitatjp.org/why-homeをクリック)これは特に災害の多かった今年の日本には、必要なプロジェクトではないだろうか。Boys and Girls Club(少年少女クラブ)も見逃せない。父母が子供の下校時に在宅しない児童生徒のための施設で、放課後の子供達の拠り所として、宿題をしたり、スポーツやアートなどをできる場所である。アメリカでは各都市に大抵ひとつの組織がある。これは日本に同じクラブがあるか否かわからないが、もしないのであれば、あなたが始めては?

 

          

 

 

日本では:

  • ttps://www.zcwvc.net にて詳しく奉仕活動について説明がある。
  • 高齢者・障害書を対象にした活動
  • 子供や青少年対象にした活動
  • 災害被災地を対象とする活動
  • 自然環境保護を対象とする活動
  • 芸術・文化を対象とする活動
  • 防災・防犯を対象とする活動
  • 各イベントでの運営支援を対象とする活動
  • 開発途上国支援・援助
  • 募金活動
  • コンピューターの設定・操作指導支援
  • 路上生活者(ホームレス)を対象とする活動
 

私の住む街には、カトリック教会のかなり古い歴史のある修道院があるが、往々にして修道女の住居まわりは、人手が足りないせいか、雑草が伸び放題で、この地ではそれが枯れれば、火災の原因にもなることから、私の属する教会は中・高校生の奉仕者と清掃をしに行った。キリスト教の宗派は関係ないし、仏教寺院でも、清掃や修理が後回しになっていれば、週末にお手伝いに行く。小児病院が近くにあるが、ここには、入院患者の子供達の家族が安心して宿泊できる施設、ロナルド・マクドナルド・ハウスが併設されていて、新しい清潔な寝具やタオル、玩具、絵本などは歓迎される。見つけようと思うと、かなりな数の団体は、人手を要するのがわかる。
 
 
こうした奉仕活動や支援活動は、宗教や人種や信条に関係なく、行え、義務ではないが、喜んですることによって、あなた自身がその「効用」を必ずお感じになると思う。そして地域への奉仕活動は、その地域のコミュニティを作る上で非常に重要な部分である。 コミュニティは相互扶助精神を持つことにつながる。 無理に、ではなく、真実「自分にできること」から始めるのが最適である。重要なことは、自分自身の好きな分野での奉仕・支援活動を見つけて、いそしむことであろうか。
 
クリスマスでも、クリスマスでなくとも、いつでもこうした活動は必要とされているが、クリスマスシーズンを初めの一歩、とするのもよいのではないだろうか。
 

金色の箱

2018-12-08 | アメリカ事情

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次の短いクリスマススの話が本当であるかどうかに関わらず、あらゆる信仰の、あるいは信仰を持たない人々に小さな感動を与えるかもしれません。この季節に、小さな子供の美しい愛を覚えていてくださいますよう、そしてあなたの御家族が、有意義で愛情のあるクリスマスシーズンと新年を先取りなさいますように。。 皆さまの毎日が愛、喜び、成長、そして感銘で満たされますように。

 

金色の包み紙

 

かつて、家族を養うのに、必死に働いていた男がいました。ある年のクリスマスの数日前、家族の唯一の高価な金の包装紙を使い果たした小さな五歳の娘を叱りました。


潤沢な収入がないため、クリスマスイブにクリスマスツリーの下にその高価な金の包装紙で包まれた靴箱1個を娘が置いたのを見て、彼はさらに怒りを感じました。靴箱に入っているものを買うために、一体どこからそんなお金を得たのかと、心配にもなりました。それにもかかわらず、翌朝、興奮でいっぱいの娘がその贈り物を彼女の父親に持ってきて、「これはパパのよ!」と言いました。


その箱を受け取った父親は、先日この娘が高価な包装紙を使い果たしたことで、叱ったのは、自分の過度な反応だった、と恥ずかしくなり、後悔しました。しかし、靴箱を開けると、それは空であることを発見し、再び彼の怒りは広がったのでした。 「お前は、何も知らないんだね、」と彼は厳しく言いました、「誰かにプレゼントをするときは、パッケージの中に何かがあるはずだよ!」


「お父さん、それは空じゃあないわ。私、箱がいっぱいになるまでキスをたくさん入れたのよ。」と、彼女は悲しい涙をためた目で父親を見つめました。父親は粉々になった気持ちになり、床に膝をつきました。そしてこの大切な尊い小さな娘を抱きしめました。父親は、全く不必要な自分の怒りを、幼い娘に許してくれるように乞うのでした。


ほんのしばらくしてから、この幼い娘は、事故でその短い命を失くしました。父親は、その後何年もの間、この金色の紙で包まれた箱をベッドの上に置いていたと言われています。そして彼が落胆したり、困難な問題に直面するたびに、この箱を開き、想像上の娘からのキスを取り、この箱をくれた幼かった娘の美しい子供らしい愛を思い出しました。

 

私たち一人一人には、子供、家族、友人、神からの無条件の愛とキスで満たされた目に見えない金色の箱が与えられています。誰もが持つことができる貴重な箱を。




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隣人への贈り物

2018-12-07 | アメリカ事情

lds.org

 

 

 

クリスマスはキリストについてです。その日は彼の名が付けられ、人々を彼に近づけるための日です。心の中に感謝と敬意を与えます。キリストの人生は私たちへの贈り物でした。彼はすべての人々のために生き、そして私たちのため、私たちの罪のために死にました。彼の贈り物にならって、人々はクリスマスに贈り物をするのです。


もしあなたが私のようにキリストへの信仰を持つのであれば、あなたのなさるクリスマスの贈り物には意味があります:愛がそこには包まれているからです。私の子供たちは幼かった頃、愛情を込めて作った画や工作や簡単な手芸作品を夫や私に贈ってくれました。それらは親の私達を笑わせ、そして泣かせました。子供達の愛がその贈り物にはっきりと現れていた宝だからです。

 

夫の姓名は、ビル・ゲイツでも、ウォーレン・バフェットでもありません。夫も私も、ごく普通の市井の者です。どなたとも同じように、人生の荒波も身を持って知っています。クリスマスシーズンに、お金に余裕がなかったり、あるいは例年よりも1%ほど予算に無理を言える年もあります。けれども、お金があるなしに関わらず、私達家族は、本当に楽しいクリスマスを過ごしてきました。クリスマスにお金を使えないのならば、私達の創意工夫という内に秘めているだろう才能を使えばいいのです。「サンタクロースがその年急逝してしまったので」と言い訳をしたくなるようなクリスマスでも、真のクリスマスの意味を知っていれば、慎ましいギフトを通してお互いの愛を広められるのです。


私の家庭では、お金の欠如によってクリスマスギフトが止まったことはありません。これは何も私の家族に限ってではなく、ある方のアイデアは、住む町にあるThriftショップ(救世軍や在郷軍人会や教会、福祉団体が経営する中古品屋さん)クリスマスと称して、ギフトを用意することでした。中古品店には、思わぬ掘り出し物があるものです。ゴルフをしたくてゴルフバッグに道具を新品を揃えても、結局すぐに才能がない、と諦めた方が寄付なさったと思えるものも、驚く値段($5)で売られていることがあります。 要は、クリスマスに破産しそうなほどの高価な買い物を贈る必要は一つもなく、出来る限り、真のクリスマス精神を広めることが大切です。

 

隣人には、私はクリスマスクッキーを各種焼き、きれいなプラスチックのプレイトに盛り、セロファンで包み、一件づつに配ります。クッキーは子供達と一緒に焼き、飾り付けたものでした。この家庭の伝統は、今ではそれぞれ結婚をした五人の子供達が受け継いでいます。さて、大分前ですが、二コリーン・ペックさんと言う方は、次のような記事をそのブログに書いていらっしゃり、感慨深いものですので、下に記します。

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今年は、隣人すべてのご家庭に、釘を贈ります。(どなたも今この記事をお読みでなければいいのですが)。

およそ12年前、一人の友人がこの変わった贈り物をクリスマスにくれました。赤いリボンが結んである一本の釘です。それは実際には、クリスマスツリーに飾るものでした。この徹底的に簡素で地味な飾りは、今まで私は見たことがありませんでした。当初少し困惑したのですが、それをくれた時、その友人がその飾りについている紙切れを指さして言いました:「これを読んでちょうだい。」


そこには次の詩が書かれていました。

 

 

It’s Christmas time at our house and we’re

putting up the tree.

I wished I could find one simple way to

remember Christ’s gift to me.

Some little sign or symbol, to show friends

stopping by, the little babe was born one day but

He really came to die.

Some symbol of his nail-pierced hands, the blood

He shed for you and me…

What if I hung a simple nail on my shining

Christmas tree?

A Christmas bow tied ’round the nail-symbol of

His blood that flowed so free to save each person

from their sin and redeem us for all eternity.

I know it was love for us that held him to that

“tree” but when I see this simple nail, I know

He died for me!


クリスマスには、わたしたちの家では、クリスマスツリーを飾ります。

私(達)へのキリストからの贈り物をひとつの簡単な方法で思い出せたらと願っていました。

小さな記号やシンボルのようなもので、立ち寄る友人たちに、

ひとりの赤子はある日誕生し、

でも彼は実に死ぬためにやってきたのだ、と

お見せできるものが見つけられたら、と願っていました。

彼の両手に打たれた釘のシンボル、そしてあなたやわたしのために流された血…

きれいなクリスマスツリーに簡単な釘を掛けたらどうでしょう?

私達を救い、永遠に贖うために流された主の血を象徴する(赤い)クリスマスのリボンをその釘に結んで。

あの”木”を包んでいるのが私達ひとりひとりへの主の愛であることをわかっています。

けれど、この簡単な釘を見る時、私は主が私の(罪)ために死んだのだとわかるのです。


 

それからの12年間毎クリスマスには、必ずクリスマス飾りの箱からその飾りを取り出してツリーの高い位置に掛けます。この飾りは私達家族の持てる飾りの中で一番貴重な物です。いいえ、これは素敵な旅のお土産ではありません。これは主のクリスマスの飾りで、私達の最も愛している飾りなのです。


今年、私の隣人たちは、一本の釘と一篇の詩を貰うでしょう。これを作るのは大したコストではないのですが、多大な価値があるのです、何故ならば、クリスマスツリーとその根元にある物すべてはこのお方、イエスキリストの誕生を祝うためだからです。

 

イエスは私たち全ての者の救い主です。 彼は毎日慈愛に満ちたメッセージをひとりひとりに向けて、奇跡、祝福、生きるに必要なこと、を通じて発信していらっしゃるのです。このクリスマスシーズンに毎日主に思いを寄せれば、私達は、毎日の生活の中に主の愛を感じられ、他の方々とその愛を分かち合うことができることを証します。 そして、私たちの住む世界はもっと愛を必要としています。 メリークリスマス!


 

Meridian Magazine/ldsmag.co