goo blog サービス終了のお知らせ 

ままちゃんのアメリカ

結婚42年目のAZ生まれと東京生まれの空の巣夫婦の思い出/アメリカ事情と家族や社会について。

この一年

2021-03-21 | アメリカ事情

Credit: npr.com

 

 

怒涛の如く世界中を襲ったパンデミックがそれまでごく普通だった日常生活を一変させ、自宅退避・隔離に始まり、多くの人々の自由、命さえも損わせ、憤懣が人々を狂気に走らせ、人種差別問題が噴出し、そんな惨憺たる一年が過ぎた。今年になって、ワクチンが出来、接種者も増え、暗いトンネルの向こうに微かな明かりが見え始めた。惨憺たる一年とは言え、人間の尊厳、希望への渇望、そして他者を思いやる心は、決して失われてはいなかった。今日はそうしたこの一年の一コマのいくつかを紹介したい。

 

COURTESY: TOM MURRAY

Covid-19による肺炎がパンデミックと認められた途端に、マーラーキィ蒸留酒会社の共同経営者の一人であるトム・マレイは、手指消毒剤を探している人々からの電話で殺到した。需要が高い故、在庫がすぐなくなる状態にあったアイテムは、当時クラフト蒸留所の製品在庫の一部ではなかった。ますます問い合わせ電話がかかってくると、マレイと彼のチームは手指消毒剤製造へ方向転換する判断をした。最初の消毒剤製品は、地域や家族などに配布され、次に同社はヴァジニア州北部の緊急医療従事者、救急医療隊員、医療機関、病院、および必要不可欠な企業向けへの製造を開始した。

新たに大量注文が行われるたびに、蒸留所は自費で追加の手指消毒剤を製造し、2週間で500本の個別サイズのボトルを地域コミュニティに無料で配布した。マレイ氏によると、ドライブ・スルーを通じて、さらに300〜400本の4オンスのボトルを無料でコミュニティに配布する予定をたてた。 「正しいことをするまでです」と彼は説明し、「一般大衆はまだ手指消毒剤を店で見つけることができません。」と当時マレイ氏は語った。(2020年春時点)

 

COURTESY:STACEY HATTON

ああ、布マスク!世界中で針仕事のできる、あるいはミシンを持っている人々は、何百枚ものマスクを縫った。家族に、友人に、同僚に、そして医療関係者や老人介護施設へと製作・配布範囲を段々に拡げていった。去年初めてマスクを製作した人々は多い。中に不織布を入れたり、プリーツ型にしようか、それとも二枚を合わせる嘴型にしようかと工夫し、いっぺんに世界中が製作を開始したために、不織布や白糸や細いゴムが品薄になり、靴紐をなんとか代用したり、HEPAという種類の家庭用掃除機のフィルターを用いたり、家庭で個人で製作する人々は様々な工夫を重ねて製作した。マスク以外にも介護施設のために、防護ガウンをシーツから作り、何十着、何百着も作ることに私も些少ながら参加した。

 

COURTESY: KELSEY BROWN

マスクを長時間着用して片頭痛と耳の痛みに悩まされていた医療従事者の友人に触発されて、ケルシー・ブラウンはペンシルベニア州の自宅から、プラスチック製のマスクのゴムを直接耳の後ろにかけないためのフォルダーを製作し始めた。彼女はスクラップ・ブック制作に使用する型を切り抜くクリケット社の機械を使用して、マスクのゴムが着用者の耳の後ろに食い込むのを防ぐアダプターを作成した。いくつかのアダプターには医療従事者応援のための感動的な言葉を加えてある。「患者が看護師の頭の後ろを見るとき、そこに看護師が「戦い続ける」ことがわかるように」と。その言葉は、「英雄が働いています」や「戦い続けましょう」などであった。

当時、ブラウンは200個のイヤーガードを無料で配布しており、その後も無料で作成および配布していった。それらを作る方法を学びたがっている全国のスクラップ・ブック作りを趣味とするクリケット裁断機を持つ人々からの70以上のEメイルがあり、彼女はその制作方法を送り、又インスタグラムでもその情報を発した。趣味のスクラップブック作りに使う道具が、こんなところで思わぬ助けとなるとは、誰が想像しただろうか。

パンデミック最前線で献身的に身を粉にして働く医療従事者への救済を提供したい気持ちは様々な形で実現されていった。

 

COURTESY: MARY ANNE BABINEAU

マサチューセッツ州ソーガスにあるチョコレートショップは、イースターの1週間前に、医療従事者と救急隊員にとって普段のイースターよりも少し甘いものとなった。 ラッソ高級チョコレート社は、ウサギの形のチョコレート、クリーム入りの卵、さらに多くのその他のチョコレートを詰めたイースター・バスケットを3台のバンに積み込み、Covid-19発生に伴い、日夜必死で患者を看護する隣接する病院と地元の消防署に配布した。。 店のオーナーであるヴィンセント・ヴァナ氏はそれまでにも定期的にフードバンクに貢献してきている。

 

COURTESY: THERESA SULLIVAN

医療従事者・緊急医療隊員への支援は、レストラン所有者たちにとっても奉仕する機会となり、多くのレストランは写真のように美味しい食事を用意し、無料配布してきている。レストラン自身も、店舗閉鎖で経済的に困窮しながらも、こうした奉仕を続けている。

 

COURTESY: DANI ANDUJO/LOVE BEYOND WALLS

コロナウイルスの蔓延と戦うために、手を洗うように常に注意を促す中、定期的に清潔な水を利用できないホームレスにとっては難しいことである。 テレンス・レスターと彼のボランティアチームは、非営利団体である「壁を超えて愛」を通じて、ジョージア州アトランタ全体に移動水道とシンクを各所に提供・設置している。 また、それらすべてのユニットを掃除し、毎日水と石鹸を補充する。 彼らが最初に始めたとき、反応は即座にあった。 「人々は手を洗い始め、与えられたこの機会に感謝の意を表した」とレスターはブログに書いている。 「手洗いが必要なので、これはホームレスを経験している人々を保護するための私たちの小さな努力です。」 このグループは、このキャンペーンを通じて、30の移動手洗い設備の資金を調達し、市内に100設備を設置することを望んでいる。

 

COURTESY :JOYCE SINGLETON

3月中旬、アリゾナ州メサで幼稚園とアフターケアの教師としての仕事から帰る途中、ジョイス・シングルトンは不安なニュースを含む一連の電話とテキストメッセージを受け取った。彼女の職場は無期限に閉鎖されてしまった。 1時間後、降りしきる雨と稲妻の中を運転していると、ついていないことにパンクした。彼女が駐車場にやっとそこのディスカウント・タイヤショップは閉店していた。彼女を見たショップのメカニックは彼女を助けることにした。パンクしたタイヤが修理されている間、彼女はこの予想外の出費をどのように支払うかを家族に電話で話していると、そこにたまたまいた客の見知らぬアダム・ルリーは彼女の会話を聞き、その修理費用をカバーすることを思い立ち、彼女に申し出た。そしてタイヤの一部料金を支払いながら、彼はジョイス・シングルトンに彼女の電話番号を彼の携帯電話に入力するように頼んだ。

2日後、ルリー氏は、彼と彼の友人が彼女を助けるために設定したGo FundMeアカウントについて彼女に電話した。その後、彼は店に戻り、残りのタイヤを完済した。彼の行動はシングルトンだけでなく他の人々にも役立った。翌日、シングルトンはパンデミックを乗り越えて他の人々を助けるために今度は彼女がその役割を果たし、家を出ることができなかったさまざまな年配の友人たちに物資や食料箱を届けた。

ルリーの行いは、彼女にとって非常に多くのレベルで大変意味があった。 「それは本当に人間へのあなたの信頼を回復します」とシングルトンは言う。 「本当にあなたのことを気にかけてくれる良い人たちがいます。それは私とみんなにとってとても意味がありました!」

 

COURTESY: NICK MUNRO

皆さんのご無事を思っています、という愛を広めたくて、ある人は付箋でハートの形を窓に貼った。

 

COURTESY: CANDI RAMBO

あるいは医療関係者の目につくように病院近くの歩道に感謝と励ましの言葉をチョークで書いたりした。「私たちは皆一緒にこの渦中にいます。先導してくださってありがとう。」

 

LISEGAGNE/GETTY IMAGES

お互いに励まし合い、労わり合い、明日への希望をしっかり持って。突如として来た大きな試練にも惑わされない人々がいて、人に奉仕したいと願い、行動に移す人々の持つ人間性が垣間見れたそんな一年だった。何があっても、いつの時代にも、希望を持っていきたい。

そうすれば、大丈夫!

 

 

参考:Reader's Digest05/2020

 

 


たった20セント

2021-03-19 | アメリカ事情 人間性

 

 

 

 

サニースカイズと言うウエッブサイトは、つまり良いニュースの宝庫で、たびたび私は利用する。毎日毎日ネットワークのニュースキャスターたちは吠えるように、残酷で、悲劇的で、センセーショナルな事件を、我先に報道するから、ほとんどの場合ミュートのボタンを押すのが私の癖になったくらいだ。良いニュースだって実はたくさんあるのに、それを報道に取り上げたら、視聴者を失うかのような暗示にかかっているミディアだが、ごく最近は最後にほんの少しだけ明るい話題を付け足す。グリコのおまけ的効果を狙ってのことだろうが、それでもないよりは良い。3月15日付けのサニースカイズの短い記事は、絶対ネットワークのニュース人にはピックアップされないだろう記事だった。それでも私は最近一番気に入った記事である。「ある友人」が投稿したのが、下記である。

 

妻と私、そして4歳以下の2人の子供たちは、数週間前に郵便局にいた。明らかに重大な健康問題を抱えている80歳以上の男性が、私の隣で電気代を支払おうとしていた。老人は杖をつきながらも歩くのに苦労し、両足に非常にひどい深部静脈血栓症があり、手と腕が震えていた。窓口で彼は電気代合計$ 118.70を払おうとしていたが、20セント足りないと言われた。 20セント!

窓口の係の女性は、見るだけでわかるn明らかな狼狽と震えている状態の老人が、さらに20セントを探すのを待っていた。老人をたった20セントだからと解放する代わりに、窓口の女性は、電気代の請求書が全額支払われなければ、電力会社はおそらく延滞料金のために彼の次の請求書にペナルティを課すだろうと固執して言った。

これを聞いて私は本当に動揺した。それで私は窓口の女性に老人のお金のすべてを彼に返すように頼み、彼女に私自身のデビットカードを手渡して彼の代金を支払った。

老紳士は「何故あなたは私のためにこうなさるのですか?」と尋ね、泣き始めた。私は彼にそれが正しいことだったからですと答えた。彼は何度も私に感謝し、郵便局を出る途中で、私の2人の子供に微笑んだ。

この日最も良かったことは、老人が郵便局を出て、まっすぐにウーリーズ食品店へ行き、バスケット一杯の食料品を買ったことである。

 

 

 

 

 


イースター

2021-03-17 | 信ずること

 

 

 

 

ジェレミーは、身体と知的障害を持ち、又慢性の不治の病を持って生まれてきた。それでも、彼の両親は彼に可能な限り普通生活を送らせたいと、息子をカトリック系私立小学校に入れた。

ジェレミーは12歳でも、2年生で、それは学ぶことができなかったからだった。そのクラスの担任教師のドリス・ミラーはしばしば彼に憤慨した。彼は自分の席にじっと座っていられず、よだれを垂らし、又うなり声を上げた。そしてある時は、まるで光のスポットが彼の脳の暗闇を貫通したかのようはっきりと明瞭に話した。けれども、ほとんどの場合、ジェレミーは先生を苛立たせることが多かったので、ある日、担任教師は両親に電話をして、学校で懇談したい旨を伝えた。

空室の教室で両親が静かに待っていると、教師のドリスは口を開いて言った。「ジェレミーは本当に特殊学校に所属すべきです。学習の問題がない年少の子供たちと一緒にいるのは彼にとって公平ではありません。他の生徒たちより5歳も年上です。」

父親が話している間、母親はティッシュの陰でそっと泣いていた。 「ミラー先生」と父親は言った。「近くにそのような学校はありません。ジェレミーをこの学校から連れ出さなければならないのなら、それはひどいショックを彼に与えるでしょう。彼がここを本当に気に入っているのを私たちは知っています。」

ドリスは両親が去った後、窓の外の雪を見つめながら長い間座っていた。その冷たさは彼女の魂に浸透しているようだった。彼女はジェレミーの両親に同情したかった。結局のところ、彼らの一人息子は不治の病の末期にいた。しかし、彼を彼女のクラスに留めておくことは公平ではなかった。彼女には他に18人の生徒がいて、実際ジェレミーはこの生徒たちが学習する時はいつも皆の気を散らしていたのだった。さらに、彼は読み書きを学ぶことは決してあり得なかった。なぜこれ以上時間を無駄にしなければならないのだろうか?
彼女が状況を熟考したとき、罪悪感が彼女に押し寄せた。 「ああ、神様」と彼女は声を出して言った、「私の問題がその可哀想な家族と比べて何もないのに、ここで私は不平を言っています!ジェレミーに私がもっと忍耐強くなるのをお助けください。」

その日から、彼女はジェレミーのたてる雑音と空白の凝視を無視しようと懸命に努力した。ある日、ジェレミーは彼女の机に彼の悪い方の足を引きずりながらやってきた。

「僕は先生を愛しています、ミラー先生」と彼は叫び、それはクラス全員が聞くのに十分な大きさだった。他の生徒たちはニヤリと笑い、ドリスの顔は赤くなった。彼女はどもりながら言った。「ま、まあ、それはとてもいいですね、ジェレミー。それじゃ、あなたの席にお戻りなさいな。」

春が来て、子供たちはイースターの到来について興奮して話していた。ドリスは彼らにイエスの話をして、復活ー新しい生命が湧き出るという考えを強調するために、彼女は子供たちのそれぞれに大きなプラスチックの卵を与えた。 「さあ、これを家に持ち帰って、新しい生命を示す何かを中に入れて明日持ってきてください。分かりますか?」と彼女は彼らに言った。

「はい、ミラー先生!」ジェレミーを除いて、子供たちは熱心に反応した。ジェレミーは、ただ熱心に耳を傾け、その目は決して教師の顔を離れなかった。彼はいつもの雑音を立てさえしなかった。

ジェレミーは彼女がイエスの死と復活について言ったことを理解したのだろうか? さっき出した宿題を理解したのだろうか?おそらく彼の両親に電話してその宿題について説明しなければとドリスは思った。

その夜、ドリスの台所の流しが詰まった。彼女は家主に電話し、家主がやって来て詰まりを取り除くのを1時間待った。その後、彼女は食料品の買い物をし、ブラウスにアイロンをかけ、翌日の語彙テストを準備しなければならなかった。彼女はジェレミーの両親に電話することを完全に忘れていた。

翌朝、19人の子供たちが学校にやって来て、ミラー先生の机の大きな籐のかごに持ってきたプラスチックの卵を入れながら笑ったり話したりした。算数の授業を終えた後、卵を開ける時が来た。
最初の卵で、ドリスは中に花を見つけた。 「そうそう、花は確かに新しい生命の印ですね」と彼女は言った。 「植物が地面から顔を出すとき、私たちは春が来たことを知りますね。」

最初の列の小さな女の子が腕を振って 「それが私の卵です、ミラー先生!」と叫んだ。

次の卵にはプラスチックの蝶が入っていて、とてもリアルに見えた。ドリスはそれを持った手を掲げて見せた。 「毛虫が変化して美しい蝶に成長することは誰もが知っています。そうです、それも新しい生命です。」

小さなジュディは誇らしげに微笑んで、「ミラー先生、それは私のものです!」と言った。

次に、ドリスは苔のついた小さな岩をプラスティックの卵の中にみつけた。苔も生き生きと命を表現している、と彼女は説明した。ビリーは教室の後ろから声を上げた。 「パパが助けてくれたんです!」

それからドリスは4番目の卵を開けた。一瞬彼女は戸惑った。卵は空だった。確かにそれはジェレミーのものであるに違いないと彼女は思った。そしてもちろん、彼は彼女の指示を理解していなくて、それなのに彼女は両親に電話するのを忘れてしまっていた、と思った。

彼女はジェレミーを当惑させたくなかったので、静かに卵を脇に置き、別の卵に手を伸ばした。

突然ジェレミーが声を上げた。 「ミラー先生、僕の卵について話してくれませんか?」

慌てて、ドリスは答えた、「でも、ジェレミー、あなたの卵は空ですよ?」

彼はドリスの目を真っ直ぐに見て、「はい、でもイエスのお墓も空でした!」とそっと言った。

時間が止まったように思えた。彼女が再び話すことができたとき、ドリスは彼に「なぜお墓が空だったのか知っていますか?」と尋ねた。

「はい、勿論!」ジェレミーは叫んだ。 「イエスは殺されてそこに入れられました。すると天父は彼を蘇らせました!」

その時休憩ベルが鳴った。 子供たちは興奮して校庭に駆け出していく間、ドリスは泣いた。 彼女の中の冷たさは完全に溶けてしまった。

3か月後、ジェレミーは亡くなった。 葬儀所で敬意を表した人々は、彼の棺の上に19個の卵があり、それらがすべて空であるのを見て驚いた。それは彼の級友18人と教師からの卵だった。

あなたの御友人や御家族全員のイースターエッグも空になりますように。

 

 

 

 


幸せな夫婦は

2021-03-15 | アメリカ事情

 

 

 

 

2つの家族が隣り合って住んでいた。一方の家族の夫婦は絶え間なく喧嘩をし、もう一方の家族は静かで仲良く暮らしていた。

ある日、喧嘩の多い夫婦が隣宅の夫婦が醸し出す素敵な雰囲気が羨ましいと、夫に言った。

「隣家のそばへ行き、幸福そうであるために彼らが何をしているのか見てみようじゃないか。」と夫は言った。

まず夫が隣家の植木の後ろに隠れて、窓から様子を覗った。そこには部屋の床をモップで拭いている隣の主婦がいた。すると突然何かが彼女の気をそらし、彼女は一目散に台所に駆け入った。その時、彼女の夫は部屋に駆け込んできた。彼は水の入ったバケツに気づかず、それを蹴ってしまい、水が床に溢れた。

彼の妻が急いで台所から戻ってきて彼に言った:

「ごめんなさい、あなた、人の通るところにバケツをそのままにしてしまって、それは私のせいだわ。」

「とんでもない、これは君のせいではないよ。ごめんなさい、気づかなかった僕のせいだよ。」

物陰から見ていた隣の男は家に帰ると、妻は早速尋ねた。

「あなたはお隣さんの幸福の秘訣がわかったの?」

「多分ね。ほら、僕たちはいつも自分が正しくありたいとするが、お隣さんは、失敗や粗相があると相手を責めず、自分のせいにしているんだよ。」

 

 


夢で その2

2021-03-13 | 不思議

 

 

 

 

高熱の続く中、私はいくつか明晰夢を見た。それらは昔の映画でいうところの総天然色である。ただ宙を飛ぶのではなく、鳥瞰図のように上空から緑の島を見渡したり、行ったことのない場所へも「飛んで」行ったのである。

その中で今でもはっきりと覚えているのは、豪華絢爛な黄金色のオペラ劇場で、ローヤルボックス内の壁から天井にかけてにある装飾のケラビム(Cherub=まるまると太った愛らしい幼児の姿をした小天使)を蜂のように飛び回り眺めたことである。劇場内の金箔をふんだんに使った装飾は眩く、美しく感嘆したのを覚えている。けれども一体どの劇場なのかは見当もつかず、ただし、行ったこともないのに、何故かそこはイタリアのオペラ劇場の一つであるとは「知っていた」のだ。

去年11月いつもそのお写真と紀行文が楽しいFelice*mamma様のブログで、イタリア・ヴェネツィアにあるフェニーチェ劇場の内装の写真を見た時はとても驚いた。それはローヤルボックス内のケラビムの写真で、見た途端あっと声をあげて、思わず私はノートブックの画面をカウチで隣に座る夫に見せた。「これよ、この劇場の装飾よ、私が猩紅熱にかかった時、夢に見たのは。」

イタリアは一度も足を踏み入れたことがないのに、私はそのローヤルボックスの内装をしっかり覚えているのだ。もう何十年も前から、「知っていた」ケラビムの装飾を目にして、そこがフェニーチェという名の劇場であるのを知り、その名にさもありなんと思った。フェニーチェとはイタリア語で不死鳥(英語ではPhoenixフェニックス)という意味で、死んでも生き返るという鳥である。そして私はあの時、生死の間を彷徨っていたのだ。

フェニーチェ劇場はその名のごとく、1836年と1996年の2度の火災によって全焼したが、最初の再建築は火災の一年後1836年で、2回目は放火火災から5年経って2001年に再建が始まり、2003年にようやく再開場を果たしている。私がここのケラビムを間近で「宙を飛びながら見た」のは、1996年よりずっと以前で私の印象では内装は煌びやかであったが、全体的に少々薄暗く、それが劇場に重厚さを持たせていた。1996年以前の劇場内装をコンピューターで探しても、資料は少なく、2001年の再建事業ではかつての劇場を使ってルキノ・ヴィスコンティが制作した1954年の「夏の嵐」という映画を参考にするほど苦労して復元したと言う。

 

下の動画は8:13あたりからケラビムの映像がある。

 

写真中央と左上にいる白いケラビム:フェニーチェ劇場のローヤルボックス内

 

この他にも様々な場所へ飛んでいく夢はいくつかあった。その一つは、太平洋上にある東京都の新島・式根島で、勿論そこへも私は行ったことはないし、その上空を飛行機で飛んだこともない。それが新島・式根島であるのは、後日新聞の旅行記事で航空写真を見て初めて知ったことだった。かなり頻繁に飛ぶ夢を見た私はその頃寝付く前に、さて今日はどこへ行こうか、などとさえ思ったものだ。夢とは言え、何故あれだけ私は空を飛んでいたのだろう?

夢の中で飛行している時に眼下の鳥瞰図に気がつくのは、飛ぶ夢の共通のテーマであり、これは、困難な状況から逃れるための無意識な計画で、多くの心理分析科学者は、それは自分の本当の運命についての見通しを得ようとしていることを示していると言う。 これは、他人や状況が自分をコントロールするのを許さないことを示していると言う。この夢は、常識で考える知識枠の外で考えられ、まだ現れていない近い将来の機会を利用することだとも言う。

この夢は前向きでことを示し、人が進んで飛ぶことを選択した場合、それは地平線上に多くの目に見えない機会があることを示しているそうである。 この夢が「自由」に関連していることを示すもう1つの兆候は、霊的な幽体離脱の側面である。 これは、魂が人の目覚めている人生と明晰夢の間を超越する能力を持っている時で、言い換えれば、人は社会の中で典型的な夢である精神的な自由を求めようとしていると科学者は説明する。 人が夢の中で演じるキャラクターはまた、人が日常生活でとるべき行動の過程を表してもいる。

 

Facebookで見つけた幽体離脱のわかりやすい写真・勿論このハスキーはたまたまこうした格好で二頭共、寝ようとしているところである。

 

夢で空を飛ぶことは、人が人生に突然何か気づくことを意味することもあると言われる。 精神分析学者たちは、次のように述べている:夢で空を飛ぶことは、彼・彼女の目覚めている生活のいくつかの実際的な困難にも関係しており、それらの困難には、経済的安定の欠如、仕事で自分を表現することの困難、仕事上の満足ではない創造性、上司や同僚からのマイクロマネジメント、または自分の能力に対する自分自身への信念の欠如が含まれる可能性がある。 これらの状況のいずれかがその人の抑圧された感じをもたらす可能性があり、そのためにまずは自分自身をしっかりと信じる必要がある。

当時私は20歩ほど人生を歩み出したばかりで、現実的に言う困難はなく、強いて言えば何週間も高熱でいわば昏睡状態であったことであろうか。それが「幽体離脱」を促したのかもやしれない。夢で飛んで行っても私はいつもちゃんと帰ってきていたし、むしろそのフェニーチェ劇場の名前、不死鳥や、魅惑されたケルビムの像が、私の健康が近い将来元に戻ることを示唆していたのかもしれない。

又同時期にあった幻視は、当時は訳がわからなかったが、その後こう言うことだったのかと気がついた。それは夜中暗闇の中で私の耳許で大勢の人々が小さな声でそれぞれ「お願いします」と言っていることだった。それはまるで本当にその人々、それも聖書でよく使われるmultitude(群衆)と言う言葉が当てはまる程の大勢が私のすぐ耳のそばにいて話しているようだったのだ。

病気になる前、17歳の頃から私は家族の歴史を辿る系図調査を始めていたが、すっかり健康を取り戻した時、少々難航していた戸籍謄本などの入手であったのに、ある日からたくさん届き始めた。その時口々にヒソヒソと私の耳許で懇願していたのは、実は私の祖先が自分の名前を、そして生きて生活していたことを探して欲しいと私に頼んでいたとしか思えない。その時から私の系図探究は趣味以上になった。

私のこのおかしな経験は、今思っても多くのことを教えてくれたように思える。夢は起きてすぐ書き留めなければ朝靄のように消えてしまうが、この経験した夢は今でも鮮明に覚えている。去年の11月のFelice*mamma様のブログでお写真を拝見してやっと少しその夢を理解できたように思える。そしてその不思議さと又指針を得たような気持ちをありがたいと思う。