◆ 甲府城の魅力を再発見◆
山梨大学3年の土橋 隆生です。
2月20日に甲府市魅力発見ツアーに参加させて頂き、その中で甲府城の歴史や当時の遺構に触れてきました。
甲府城(舞鶴城)は、武田氏滅亡後に豊臣秀吉の命によって築城され、明治時代以降に大部分が取り壊されたものの、現在は調査や復元が進められています。
今回はそんな甲府城に利用されている様々な「技術」をご紹介したいと思います!
① 石垣を支える松
甲府城の石垣には大小様々な石が使われていますが、これらはそのまま土の上に積むと、重さで地盤沈下が発生します。
そのため下に土台が置かれているのですが、それには松の木が使われています。
松は強い上に、水に浸かっても腐りにくいという特徴があるため、山梨県庁の下から発掘された石垣からは築城当時のものと思われる松の木が朽ちることなく見つかっています。
② 格式高い城門
城門は控え柱を建てた荘厳な作りとなっており、格式高さを演出しています。
屋根に使われている瓦は平瓦と丸瓦を組み合わせた形となっており、重厚な雰囲気を醸し出します。
③ 高い技術力で積み上げられた石垣
▲築城当時の石垣
▲江戸時代以降に復元された石垣
築城当時の石垣は「野面積み」と呼ばれる、大きい石を適当に積みその隙間を小さい石で埋めて補強する工法で作られていました。
江戸時代以降に復元された均一な石垣と比べると乱雑なように見えますが、実は野面積みの方が高い技術力を要します。
荷重の掛かり具合なども複雑になる野面積みですが、当時の職人さんの洗練された感覚でこの石垣は作られたようです。
ちなみに石垣に使われている石は、甲府城の建つ台地に元々あったものと、近くの愛宕山から切り出されたものが主だそうで、愛宕山には石切り場後が残っています。
④ 敵の侵入を遅らせる入口の構造
中央本線の線路の北側、山手門をくぐると、石垣で囲まれた部屋のような作りになっています。
これは「枡形虎口」と呼ばれる敵の侵入を遅らせるための構造です。
わざと狭く入り組んだ作りにすることで、侵入しづらくさせ、壁に開けられた穴から武器を用いて反撃します。
四角の穴が弓矢、三角の穴が鉄砲を放つ場所でした。
城東通りに数か所クランクがあるのも、敵の侵入を遅らせる構造の名残です。
―最後に―
ここまで、甲府城に使われている技術をいくつか紹介させて頂きましたが、細かく見ていくと、石を切り出すときに彫られた矢穴など当時の名残がまだまだ多く見られます。
今では土木技術も発達し、当時と比べれば格段に作業がしやすくなりました。
しかしながら、そんな時代だからこそ培われた技術もあり、中には再現不可能なものもあります。
数百年経った今でも、昔の人々を侮ることはできないなと感じました。
今と昔、様々な技術が共存する甲府の魅力をいつまでも残していければと思います。