「黒い五月」の活動日誌

ティーカップから引っ越してきました。

何故、交流戦だとパ・リーグが強いのか?(3)

2016-07-02 23:13:00 | NPB
 いやあ、ずいぶんとロングランになりそうだな、と、思いつつ、3回目です。

 基本的に敬称略、あと、主観が入りまくってますので、悪しからずご了承ください。

 さて、落合が中日へ移籍、西武は黄金時代へと突入していくわけですが、そんな色々と騒がしい中で行われた1986年オフのドラフト会議。
 三球団競合の末、近鉄に1位で亜細亜大から阿波野、ハズレ1位ながら日本ハムに愛知工大から西崎が入団してきます。(※なお、日本ハムの当初の1位指名は近藤真一=享栄高→中日)
 ルーキーイヤーから新人王争いを展開、2人とも細身で精悍な顔立ちであることから、この2人に西武・渡辺久信を加えた3人が「トレンディ―エース」と呼ばれ、名をはせることになります。

 日本ハムなんて、キャンプからガンガンにルーキー西崎を売り出してましたね。いきなりグッズも作ってましたし、「多摩川ギャルが多摩川を渡ってきた」(=当時の讀賣の多摩川グラウンドの川を挟んだ対岸の川崎市側に日本ハム多摩川グラウンドがあった)とNHK(多分、関東ローカル)が特集を組まれたのもこのころでした。

 後年のハンカチ王子フィーバーの方が凄かったかも知れませんが、何せ当時は、悲壮感すら漂ってましたからね「西崎がモノにならんかったら、この球団は終わる」みたいな。にしちゃ、のちのち年俸で揉めたり、実質クビ扱いでトレードにまで発展しちゃうんですけどね(苦笑)。

 余談ですが、この年は全球団が1位で投手を指名しております。
 ついでに言うと、この年に指名された選手は、その後、数奇な野球人生(と、その後)を送っている人が多数出ております。
 例・阪急1位=高木晃次(その後、23年にわたり現役生活を全う)、横浜大洋1位=友利結(後のデニー友利。初勝利まで9年かかるも20年現役を続ける)、讀賣1位=木田優夫(現・HNFのGM補佐)、中日2位=山崎武司(色々ありながら27年)、阪急3位=中嶋聡(最後は半ば無理やりながら29年)。あ、ギャオスさんとか、広島で伝説作っている人もこの年のドラフト組です。(続く)