久しぶりに堀江敏幸 作『熊の敷石』を取り出してみました。
芥川賞を受賞した直後に買った本です。
あまりそうゆうことをしない私ですが(笑)、
そのとき何かピンと来たものがあった記憶があります。
その中の一編、「砂売りが通る」を朗読してみたらどうだろう
と思って声に出してみると、なかなか手強かった・・・。
書き出しはこうです。
大きなひさしのある麦わら帽子をかぶった彼女の細い腕の先には小さな娘の手
が握られていた。鮮やかなピンクに花開いたスポンジの大輪が鼻緒を覆い隠して
いる、ビーチサンダルを履いたまだ足もとのおぼつかない女の子は、母親でも海
でもなく花の砂を舐めるようにずっと下ばかり見て歩いている。めぼしいものが
見つかると手を握ったまま、ふいに体重をかけてぶら下がり気味にしゃがみ込む
ので、後ろへ引っ張られてのけぞらないよう素足の右脚を前につうっと突き出し
てバランスをとる母親の表情は、しかし蔭になって読むことができない。
目で読むのと違って、朗読の場合声で伝えてゆかねばならない。
最小限書かれてあることは伝えなければならないし
朗読はそこから先が勝負。
かっこよくいうと、朗読者の“心の動き”をのせたい。
意識、呼吸、間合い・・・
いろいろ気になります。
この作品のように、劇的ではないけれど
地の文章から登場人物の心情がうかがえたり
独特のリズムがあったりする場合なら尚更。
でも、手にとって読んでみて「あぁ、いいな、朗読したいな」
と思う作品は、必ずしも朗読するに容易くはないけれど
挑戦はしてみたいものです。そう私は思うのです。