老人党リアルグループ「護憲+」ブログ

現憲法の基本理念(国民主権、平和、人権)の視点で「世直し」を志す「護憲+」メンバーのメッセージ

衆院選の結果とこれから

2012-12-21 21:08:57 | 選挙
今回の衆院選は自民党の圧勝という、何ともやり切れない結果になりました。なぜこうなったかについては色々と論評されていますが、私の選挙区の場合、自民党候補が勝利したものの、民主党候補と未来の党候補の得票数を合わせると、自民候補を上回っていました。そのことひとつとっても、民主党の分裂劇がいかに自民党を利することになったかが見て取れ、とても残念です。

この3年間を振り返ると、官僚の様々な抵抗の結果、鳩山内閣が沖縄の米軍基地問題で挫折、その後菅・野田内閣が官僚の言いなりに消費税増税を打ち出して国民の期待を裏切った。加えて、検察・マスコミが一体となった小沢潰しに菅・野田氏とその取り巻きは、仲間として立ち向かうことなく自身が小沢切りに邁進したことが、多くの民主党支持者に失望を与えた、というのが大まかな流れだと思います。

その意味で、「国民の生活が第一」の当初の理念を掲げて民主党を離れざるを得なかった小沢グループの行動には、理があると私の目には映りました。しかし、一連の流れに特段の関心を持たない人にとっては、民主党は分裂だの何だのとゴタゴタしていて何も出来ない素人集団でしかない、というのが大方の見方だっただろうと察せられます。

今回、選挙直前に生まれた未来の党を支えたいと、沢山のボランティアが選挙活動に参加しましたが、あえなく落選の報が続きました。その一方で、落日の民主党の中にも、官僚の嫌がらせと闘いながら懸命に働き、折に触れ地元の支援者と地道な対話を重ねていた某議員は、落選を免れたことを思うと、風を起して勢いに乗るという戦法は、いかにも心もとなく思えました。勿論ボランティアの人達の無償の懸命なサポート振りは、今後に繋がる可能性を充分に感じさせるものではありましたが。

こうしたことを踏まえ、選挙戦に敗れた数あるリベラル政党が今後どう建て直しを図るかについては、彼ら自身の判断とその動向を、私自身はしばらく冷静に注意深く見守って行きたいと思います。

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それはそれとして、戦後最低の投票率の中での、原発継続、消費税増税に加え、集団的自衛権の容認・改憲・自衛軍の創設など、タカ派色を前面に打ち出した安倍自民党の大勝は、何としても避けたかった痛恨事です。

選挙明け、若い人達との会話の中で、「皆がそれを選んだのだから、もう仕方ないかなとも思って、、、」と言うと、「皆が分かって選んだんじゃありません。良く分からなくてムードで選んでしまったり、棄権した人も多かったみたいです」という答えが返ってきました。

確かに、コアな自公支持者は別として、多くの人にとって本当に選択し辛い難しい選挙であったことは事実です。しかし、選挙期間中政治に心を閉ざしたような若い人達の様子を散見した者としては、「政治は必ず自分たちの暮らしに跳ね返ってくるし、選挙の結果権力を手にした人間の中には、思いもかけない困難を自分たちに押し付ける可能性がある」ということを、どうしたら伝えられるかが、大きな課題だと感じさせられました。

安倍自民党政権は、国の繁栄を掲げて勝利を収めましたが、原発事故の被害者や米軍基地に苦しむ沖縄の人々を置き去りにした繁栄は、絵空事に過ぎません。万一原発事故が再び起きれば、今は他人事と目をそむけていられても、自分自身が当事者になり、いとも簡単に繁栄の外に弾き出されることを、もう一度思い起こして欲しいと思います。

更に言えば、安倍自民党が成立を目指す「新憲法草案」の中には、自衛軍の問題もさることながら、国民を主役の座から引き釣り下ろそうとするあからさまな意図が仕込まれていて、改憲以前にその意図を先取りした政策を打ち出すことが、容易に想像されます。

参院選まで牙を隠しておく作戦といわれる安倍政権ですが、気がついたらとんでもないことになっていた、ということにならないように、若い人達にも、是非今度の政権が何をしようとしているのか、それは自分たちにどういう影響を齎すのかを、しっかり見つめてもらいたいと思います。

そして私たちも、これからの時代を担う人達が、穏やかで安心できる社会を自らの手で築いていく手伝いという意味からも、今一度現憲法の意味/意義と、自民党改憲案に込められた意図などを伝えて行きたいと願っています。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
笹井明子
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「秩父事件」をリサーチ

2012-12-21 11:11:51 | 民主主義・人権
自由民権運動の最期期に起きた秩父事件を「読み直し」しているときに、通説(秩父事件を自由民権運動の流れから異端視する見解)と異なり、実は明治維新から始まる日本近代の光と影がこの事件に集約されていることが分かり、司馬史観:「坂の上の雲」と違う明治時代が仄見えてきました。

それは一言で言うと、旧幕府法が農民の土地を守る法制度を採用していたのに比較して、明治新政府は近代的土地所有権を確立するために地租改正を実現させ、大地主による土地の独占を許し、結果的に天皇制を下部構造的に支える「地主制度」を現出させたのです。こうした天皇制的地主制度は財閥とともに戦前日本社会の基本的性格を形成しました。そして無謀な戦争へと突き進み国家を滅亡させたのでした。

こうした戦前の歴史的な岐路の最初に農民1万人が決起した事件が「秩父事件」だったのです。

養蚕農家が多かった秩父地方では(主に西秩父)松方デフレの影響と生糸相場が大暴落(半分以下の価格になった)したために借金が2倍になった養蚕農家が、身代限り(破産のこと)に追い込まれ土地を金貸しから奪われそうになった農家が続出。こうした背景から秩父や群馬の民衆1万人が決起した事件だったのです。

「護憲+BBS」「メンバーの今日の、今週の、今月のひとこと」より
名無しの探偵
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