かなしきは 小樽の町よ
歌うことなき 人人の
聲の荒さよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
啄木は明治40年9月に小樽で創刊された小樽日報社に入社。(20歳か19歳)
姉夫妻の家に寄宿。姉の夫(山本千三郎)は小樽駅の初代駅長だった。
頑張って働いていた啄木だが、社内の内紛で同年12月に退社。
翌年1月に釧路へ向かった。
・・・・・・・・・・・・・・
啄木は、小樽の前は確か函館にいて、北に向かっていますね。
これは、当時の北海道の開拓と発展とともに、動いているといってもいいのかな、と。
うたに戻って
素直に解釈すれば
小樽の町はあまりに悲しい
人々は、歌うこと(これは「思索する」とか「花鳥風月を感じて味わって楽しむ」ととらえてもいいか)
などせずに
金儲けや仕事のことだけ、声高に話してしている。
って感じかな。
しかし、
かなしい・・・は悲しい、哀しい
以外、古文的には「愛しい(かなしい)」がある。
この「愛しい」は古文の世界では「かなしくなるほど好きだ、いとおしい」という過剰な愛情表現にも使われる。
さて
啄木は、半年もいなかった小樽をどう思っていたのか。
愛していたのか、やれやれ、と思っていたのか。
どっちなんでしょう?
両方っていうこともありますよね。
掛詞、なんて技法もありますし、何より人の心は複雑ですし。
そういえば
「愛憎相半ばする」とか「愛憎入り混じる」という言葉もありで。
啄木の歌碑はあと2つ小樽にあったようです。
小樽公園
こころよく
われに働く仕事あれ
それをし遂げて 死なむと思う
小樽駅
子を負いて
雪の吹き入る停車場に
我見送りし 妻の眉かな