私は、たぶん5回目(?多分)の沖縄だ。
20世紀の一回目の時に南部戦跡1日ツアーというバスに乗って、平和祈念公園やひめゆりの塔、司令部跡(地下壕のようになっている)を回った。。
これ、なかなかきついものがあったが。
しかし、これは、沖縄に初めて足を踏み入れる本土の人間の「義務」というかまたがねばならない敷居と思っていた。
訪ねた先で祈る、思いをはせる、それは、今の平和を生きる人間の義務。
先の戦争で失われた多くの命の犠牲の上にそれはあるからだ。
今回、例のごとくの気楽な一人旅を予定していたのだが、友人(50年以上の)から、「私も連れて行って」と頼まれてビール飲み友達がいる旅となった。
彼女は、初めての沖縄。
私が昔参加した戦跡ツアーは、見当たらない。(時の流れを感じる、1日ツアーの参加者の減少?)
友人には
「対馬丸記念館」に行こうよ。
それと、ひめゆりだね…
まあ、初めての「ご挨拶」だよね。
彼女、うんうん、とうなずく。
まずは
対馬丸記念館
ホテルから歩いて15分ほどのところ。
対馬丸沈没事件…知らない人が多いので、少し書いておく。
「対馬丸事件とは、太平洋戦争中の1944年8月22日、沖縄から疎開する学童らを乗せて九州に向かっていた対馬丸が米潜水艦の攻撃を受けて沈没し、784人の子どもを含む1484人が犠牲になった事件。」
そもそも、赤十字の印をつけた船を攻撃することは国際条約違反だ。しかし、米軍はこういうことを平気でやった、これ以外にも。
多くの子供や、高齢者が犠牲となった。
その記録を残した記念館。
この写真の左側にたくさんの犠牲者たちの顔写真がかけてある。(ご遺影は撮影禁止)
ご遺影の前で手を合わせた。屋外の小高い丘の上にも「小桜の塔」という慰霊碑があるのだが、そちらにも行った。
対馬丸事件を知っている人は少ない。(当初、かん口令が敷かれていたの関係するのかもしれない)
次はひめゆりの塔。
帰る日、空港に行く前の半日ツアーに参加、平和記念公園を車窓に見て、ひめゆりの塔に回った。
ひめゆりの塔では、友人は館内を見ている間、私は慰霊碑の前で心を込めて般若心経を読経した。
経をよむとわかるのだが。。。うーん‥まだ浮かばれていない方々、おられます。
やがて天に還られて安らかなることを心より祈ります。
友人も30分あるというのに、20分にもならないうちに出てきて、せつないんで長くいられない‥と一言。
わかるわ、私もそうだったし。
ちなみに
ひめゆり学徒隊 (ひめゆりがくとたい)とは、 1944年 12月に 沖縄県 で 日本軍 が中心となって行った看護訓練によって動員された 女子学徒隊 のうち、 沖縄県立女子師範学校 と 沖縄県立第一高等女学校 の 生徒 で構成された女子学徒隊。
敗色濃厚となった6月18日に突然解散命令が出され、翌日の6月19日をはじめとする約1週間の間に多数の犠牲を出した(死亡者のうち実に80%がこの間に集中している)。最終的には教師・学徒240人のうち136人が死亡。そのうちの10人(教師の平良松四郎と9名の生徒)は荒崎海岸で集団自決(強制集団死)している(自決の強制性については論争あり。当該項目を参照)。また隣の洞窟でも米軍の銃乱射で3名が死亡、3名が重傷を負った。
戦後、最大の犠牲を出した伊原第三外科壕跡に慰霊塔である「ひめゆりの塔」が建立された[5]。これは、ひめゆり学徒隊を祀り、平和を願うものである。
ひめゆり学徒隊の沖縄戦
時間がなければ、那覇市内の対馬丸記念館だけでいい、初めて沖縄観光をするときに訪ねてほしいな、と思います。
これが、私の考える沖縄の敷居をまたぐ作法であります。以上。
私、一人旅だったら、どちらもいかなかったかな・・正直に言うと。結構つらいので。
しかし、50年来の友人のおかげで行けました。旅は道連れあり、もよし。