黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

車の騒音で発狂しそうな私

2024-10-19 15:02:45 | 生活

ようやく秋らしい日も「ときどき」ある昨今、エアコンを切って窓を開けるようにしたのだが、車の音が超うるさい。うるさくて気が狂いそうである。

もともと、ウチはマンションの上階なのだが、以前は、表の道路とマンションの間に人家があった。

写真は表の道を祭りの神輿が練り歩いてるときのものであり、下に写っているのが間の人家の屋根である。ところが、道路を拡張するらしく、間にあった建物が取り壊されて駐車場になり、マンションと道路を遮る物がなくなった。

これにより、表の道路をひっきりなしに走る車の音が直にわが家に達するようになった。中でもエンジン音に加えて「バッシャン、バッシャン」という音が頻繁に聞こえるのだが、これがなかなかの音量で、いったい何かと思ったらコンテナ専用車(上の写真にも写っている)の音であった。コンテナと荷台の摩擦音だろうか。ただ、大事な物流を担ってくださってるのだから感謝しなければいけないことは分かっている。我慢しようと思ったら、天はさらなる試練を与えたもうた。バリバリバリという殺人的な音である。その発信源はコレ。

大型バイクである。近くに大型バイクを扱うバイク屋ができたせいである。だが、その店は道路の向こう側。なのに眼下で聞こえる。音がワープして伝わってくるのか思ったら理由が分かった。マンションの眼下の駐車場にそのバイク屋のスペースがあって、運搬の際、大型バイクがそのスペースに来るのである。眼下で聞こえるわけである。

おかげでテレビの音がまったく聞こえない。いや、テレビの音が聞こえないだけではない。そもそも、私は、この手の都会の騒音には慣れてないのである。なにしろ、育ったのは某市チベット区の山の上で、当初、近所に人家はなく、お友達は鶏であった。

こんなだから、徒歩15分の所を走る電車の音が聞こえたし、夜になると響くのは山の下に広がる田んぼの蛙の大合唱であった。要は、私は田舎者であり、田舎者には自動車の騒音を聞くことは拷問に他ならないのである。なお、私がただ同然で買った奥地の家は静かである。宅急便の車がウチに来るのが分かるくらいである。早いとこ引っ越すことが身のためかもしれない(なかなか事情が許さず引っ越せないのだが)。

因みに、写真に写っている鶏は、その後、この家の構成員の胃袋の中におさまったそうである。「そうである」というのは覚えておらず、後から親に聞いて知ったから。聞いたときはショックだったが、これが当時の鶏の共通の運命だったようである。あと、私は、牛に産まれるのだったら乳牛がいいと思っていたのだが、乳牛だって結局は人間の胃の中におさまると聞いてがっかりしたものだ。なお、闘牛は、闘牛士の剣で痛い思いをしてお陀仏となるのが通常だが、希に、がんばり通したとき「お許し」が出るって話をなんかの映画で見た。

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西田敏行さんとキャンディーズ

2024-10-19 08:58:48 | 人物

西田敏行さんが亡くなった。76歳だった。2023年の日本人の男性の平均寿命は81歳を超えているから早すぎる。だが、70歳半ばで訃報を聞く著名人も多い。カルロス・クライバーの享年は74歳だったし、私の父は(著名人ではないが)75歳だった(女性だが、エディタ・グルベローヴァの享年は74歳であった)。このあたりに「見えざる壁」があるのだろうか。

西田敏行さんを最初に知ったのは、10チャンネル(当時の関東)で放送していたヴァラエティの「みごろ!たべごろ!笑いごろ!」だった。小松政夫さんが♪しーらけどーり……と歌い、伊東四朗さん扮するベンジャミン伊東が電線音頭を踊り狂った伝説の番組である。そのなかに、キャンディーズと加山雄三が小芝居をうつコーナーがあり、そこに登場したのが初めて見る顔=西田敏行さんだった。設定は、言い寄る西田敏行さんをキャンディーズが足蹴にして加山雄三さんにラブ目線を送る、というもの。なかでもミキちゃんはあからさまに設定に忠実だったが、スーちゃんだけは西田さんがまんざらでもない様子。だが、西田さんがスーちゃんのことを「大福のようなほっぺ」と言ったためスーちゃんが気を悪くしたものだった(私も妙なことを覚えている)。因みに、このときの西田さんとキャンディーズのやりとりは、ヴァーグナーのオペラ「ラインの黄金」のアルベリヒとラインの乙女のそれと似ている。

その後、あっと言う間にスターダムをかけ上った西田敏行さんは、大河ドラマでいろんな役を演じたが、私的には秀吉になって佐久間良子さん演じるねねに「おかか、おかか」と呼びかけるシーンが一番脳裏に残っている(秀吉の正妻=北政所は、このドラマでは「ねね」だったが「おね」と呼ぶ向きもあるようだ)。

西田敏行さんは会津(福島県)の生まれだから、大河で薩摩の西郷隆盛を演じる際は「どうしよう」という思いがあったそうだが(会津は会津戦争で官軍と戦った)、長州じゃないからいいだろう、ってことで出演を決めたとどこかで(徹子の部屋?)仰ってた。会津の人にとって恨み骨髄なのは薩摩よりも長州の方らしい。それだけ、会津戦争の怨念は深いということ。往々にして、やった方は忘れるがやられた方は覚えているものである。とかいいながら、西田さんは長州の山県有朋も演じている(あれ?)。なお、代々の総理大臣の顔ぶれを見ると、長州閥ってまだ残ってるの?と思わないこともない。

映画にもたくさんお出になったが、変な意味で印象的だったのは「THE有頂天ホテル」で見た西田さんのお尻。あと、「釣りバカ日誌」の「合体」のシーンも、夫婦が仲よさそうで好きである(このシーンは真っ黒のスクリーンに「合体」の文字だけ浮かび、お尻は映らない)。

昨日、急遽予定を変更した「徹子の部屋」が西田敏行さんを追悼していた。まあ、トークの上手なこと!ようやく食べられるようになったので武田鉄矢さん一家と合同で食事会を開いた際、デザートのメロンではしゃぐ子供に対して「いつも食べてるだろ」とウソをつく話などは抱腹絶倒である。その中で、西田さんは、いずれ田中角栄を演じたい、と仰ってた。あらー、それはなんとしても見たかった。つくづく惜しい人を亡くしたものである。

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