黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

草枕と血圧

2024-10-14 17:13:31 | 健康

数十年前、土曜日の昼間だったか、山田邦子がMCを勤める番組でダイエット企画をやっていて、毎週MCがダイエットに励んだ成果を発表するのだがなかなか体重が落ちない。ところが、ある週がたっと落ちた。風邪をひいたのだという。それまでの苦労は何だったのかって話だった。

反対に、それまでの苦労が元の木阿弥になったって話が私の血圧。いっとき言えないほど高くて、そこで、血圧を下げるためによいということをなんでもやった。歩くのがいいというから23区の崖の上と下を歩き回った。塩分がそのままでもカリウムをたくさんとると減塩効果が見込まれるというので、カリウムをたくさん含む鶏の胸肉をパサパサなのを我慢して摂り続けた。毎朝のラーメンにスープを入れるのを止めて、代わりに血圧を下げる効果があるというお酢を入れた。W効果。しかも、味は十分だった。こうしたちまちました努力が実を結び、血圧は、健康診断で異常なしと言われるまでに下がった。

そうやって喜んだのも束の間、ストレスのかかる出来事があった。計る前から予感はしたが血圧を計ってみた。血圧計は、いったん数字が上がった後に下がっていって最後に結果が出るのだが、なかなか下りにターンしない。案の定、結果は高かった頃の数値に逆戻り。ちりがつもってできた山が崩れるのは一瞬だった。

と共に、私の高血圧の原因がストレスであることがこれで判明した。漱石は、「草枕」に「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」と書いたが、住みにくいだけではなく「血圧が上がりやすい」も加えてほしい。漱石は「住みにくさが高じると、安い所へ引き越したくなる」と続けるが、これは「血圧が高じると、安くなる所へ引き越したくなる」に変えてほしい。漱石はさらに「どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生れて、画が出来る」と書いているが、それは漱石のような芸術家の話で、凡人は、どこへ越しても住みにくいと思ったらやけ酒を飲んでくだをまくだけである。そして、いっそう血圧が上がるのである。因みに、私が「草枕」の冒頭の一節を知っているのは文学の素養があるからではない。子供の頃、なんかのCMで使われていたからである。

なお、血圧に何がいいという情報の多くは「トリセツショー」で得た情報である。この番組、見かけは変えてるけど、使うアナログチックな模型は以前の「試してガッテン」(後に「ガッテン」)で見たようなものばかりである。

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細川ガラシャが念じるオラショの「のす、のす」とは

2024-10-14 09:28:20 | 小説

ときどきキンドルに入れた芥川龍之介全集を読んでいる。短編ばかりで、たまにある長編だって漱石なら短編の部類。うーんと短いヤツなどはショパンの子犬のワルツを弾き終わるのより先に読み終わる。

漱石が明治の人なら芥川はちょっと後輩だから大正時代の人。だから、描かれる世相が少し今風。それでも「田端の音無川のあたり」とあったから、西日暮里から田端にかけて今の京浜東北線が走っていたあたりを流れていた音無川が当時はまだ健在だったようだ。

そんな芥川の作品(彼としては長い方)に「糸女覚え書」というのがある。関ケ原の際、細川ガラシャが石田三成の人質になるのを拒んで家来に胸を突かせるまでのことを描いた話。なにが面白かったって、一般に、細川ガラシャって、美人で信仰に篤い「いい人」に描かれることが多いでしょ?ところが、ここでは、西洋かぶれで、上から目線の傍若無人で、故もなく侍女を折檻するくせに、人からお世辞を言われるのは大好きな人間に描かれてる。こういう人が上司なら最悪って感じ。

そのガラシャが、始終おらつしょ(oratio=キリスト教の祈祷文。それが訛って「オラショ」になったと言われているが、芥川は「つ」を入れている)を唱えていて、それが「のす、のす」に聞こえて思わず笑ってしまう侍女がいた(それでまた折檻された)というのだが、いったい、祈祷文のどこが「のす、のす」に聞こえたのか、私にはそこが問題である。キリスト教の宗教音楽をそこそこ知ってるけれど、どの部分だかさっぱり見当がつかない。

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