黒式部の怨念日記

怨念を恐るる者は読むことなかれ

総理大臣の指名選挙で過半数をとった人がいなかったら

2024-10-28 13:13:40 | 法律

自公過半数割れを受けての某ワイドショーで、上から目線のコメンテーターが、国会での総理大臣の指名について「過半数をとれなくてもいい。一番多く票を取った人が選ばれる」と言っていた。私はわが耳を疑った。総理大臣の指名だって国会の議決である。国会の議決は、もっともハードルの低い普通決議だって過半数が必要である(可否同数のときは議長が決める)。これは、憲法が定めていることである。変だな、と思ったら、別の解説者が「一回目の投票で過半数を得た人がいない場合は、上位2名による決選投票になる」と言った。上位2名による決選投票なら、そこではやはり過半数は必要なのでは?

ここは、人の話を聞くのではなく、根拠条文をあたってみよう。根拠条文を探したがなかなか出てこない。多くの人にとっては根拠条文などどうでもよいのだろうが、そういう態度だと一人がウソをつけば全員が騙されることになる。ようやく見つかった。衆議院規則18条(及び同条が準用する同規則8条)であった。ふむ、それによると、「投票の過半数を得た者を当選人とする。投票の過半数を得た者がないときは、投票の最多数を得た者二人について決選投票を行い、多数を得た者を当選人とする」とある。決選投票について「過半数」と言わずに「多数」と言っている。だが、2名による決選投票の多数と言ったら通常は過半数であろう。過半数ではない多数という事態があるだろうか。決選投票で上位2名以外の名前を書いたら無効になるから、そうした無効票が多ければ、「過半数」でなくても「多数」という事態が起こり得そうである。いずれにせよ、前記のコメンテーターがそこまで理解したうえで「過半数をとれなくてもいい」と言ったかは甚だ疑問である。

そういうことであれば、1回目の指名選挙で最多票を集めた人が総理になるとは限らない。決選投票において、二位以下の陣営が結束して二位の候補に票を集めたら二位の候補が総理大臣になることになる。

これって、結構現実的な話だ。今度の首班選挙で、決選投票になって、野党が一致団結して同じ候補に投票したら政権交代となる。だけど、1回目で三位以下だった政党がみんな決選投票でも自分とこの党首の名前を書いたらそれは無効票になるから、結局、1回目で一位になりそうな与党の候補が当選することになる。

なお、私がどういう事態を望んでいるかいないかは表明しない。政治信条を明らかにしない自由は、憲法19条が保障する思想及び良心の自由に含まれている。だから、人々は、例えば私に踏み絵をさせて政治信条をしゃべらそうとしてはいけないのである(つうか、そもそも、しゃべることがない=政治信条が空っぽだという噂もある)。

なお、前記の条文は、さらに「但し、決選投票を行うべき二人及び当選人を定めるに当り得票数が同じときは、くじでこれを定める」と定めている。くじで総理大臣が決まることもあるとは驚き桃の木山椒の木である。

 

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台地を行くVol.4(道潅山)

2024-10-28 11:33:09 | 地理

西日暮里駅は、何十年も単に乗換(JRと地下鉄千代田線)のみの利用で、駅外に出たことなど覚えてないくらいなのだが、上野台地を歩き回るうちに、上野台地が一番狭くなった箇所が西日暮里駅の辺りで、そこを道潅山通りが突っ切ったため台地が分断されたこと、分断でできた南北二つの崖のうち北側の崖の上にかつて道潅山という山があったこと(南側の崖の上は諏訪台であり、現在西日暮里公園がある)、そしてこの道潅山が江戸時代以前は景勝地であったことを知った。そんなに偉い場所だったのか、頭の下がる思いである。そこで、今回は道潅山に絞って探索を試みた。

西日暮里駅を降りて、道灌山通りに出て、通りの向こうを仰ぎ見ると、分断された上野台地の北側の崖(法面)がそびえ立つ。

この上にかつて道潅山があったのである。

これまで、道灌山通りから上野台地上に戻るために線路に沿った坂道を上ったのだが、今回は、由緒ある坂を上ってみた。「ひぐらし坂」である。登り口は道潅山通りに面していて、左端に坂名を記した標識がある。

坂の途中に遺跡を表す標識が現れた。

縄文時代から弥生時代にかけての竪穴式住居の跡が発掘されたそうな。なぜ、この場所に遺跡があるかと言えば、太古の昔、この辺りが陸地の端だったからである。だから、高台から東の崖下を見ると、今は線路があって、その先にビルが立ち並んでいるが、

ここが海だったわけだ。その後、埋立てが進んで陸地が広くなった後も、現在の線路の箇所には音無川が流れていて、

道灌山(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」
(https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

その先は田園風景で、それを見下ろす道灌山はなかなかの観光スポットだったという。

道灌山虫聞之図(広重)出典:国立国会図書館「錦絵でたのしむ江戸の名所」 (https://www.ndl.go.jp/landmarks/)

現在、道潅山があった辺りは学校のグラウンドになっていて、そのグラウンドの脇に「道潅山」の標識が立っている。

なお、道潅山に登る坂で名前の付いている坂にはもう一つ向陵稲荷坂がある。

ここを上っていくと、前記のグラウンドの脇に出る。

この辺には同じ種類の木がいくつか植わっていた。

♪このーきなんのききになるき!だが、気になるのを止めて(「憧れるのを止めましょう」by大谷翔平)先にいくと、先ほどのひぐらし坂の坂上に出る。

ひぐらし坂を今度はさっきと逆に下っていくと坂の途中に歩道橋が現れる。

道潅山通りを渡って反対側の崖上(諏訪台)に行くには、通りまで降りなくてもここを渡ればよい。渡った先にあるのが西日暮里公園であり、そこに「環」というブロンズ像(三人の裸婦像)があるのであった。そのあたりのことは既に記事にした。

今回、ちょろちょろ動き回ったのは、下図の中央辺りである。

ということで、今回の記事はここまでである。次回のVol.5は、少し趣向を変えて、車窓から見た崖のレポートをするつもりである。

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